[No.95] ミスト(The Mist) <89点>

The Mist



キャッチコピー:『映画史上かつてない、震撼のラスト15分』

 B級モンスターパニックに対する究極の”アンチテーゼ”。

三文あらすじ:歴史的な嵐が町を襲った翌日、デヴィッド・ドレイトン(トーマス・ジェーン)は、妻ステファニー(ケリー・コリンズ・リンツ)を家に残し、息子のビリー(ネイサン・ギャンブル)とスーパーマーケットに買い出しへ。嵐の影響でいつもより多い買い物客の他は平穏なスーパーに、血を流した老人が唐突に飛び込み、直後濃い霧(The Mist)が辺りを包む。突然の異常事態に慌てる客たちは、やがて霧の中に”何か”がいることを知る・・・

※以下、ネタバレ有り。


~*~*~*~

 
 いわゆる”衝撃のラスト”をウリにする映画というのは、ほとんどが駄作である。というか、作品自体はそれなりにおもしろくても、ラストでの”どんでん返し”を期待させる宣伝のせいで、結局”全然衝撃のオチじゃなかったな…”という残念な読後感を抱いてしまうことが多い。

 最近で特に印象的だったのは、『パーフェクト・ストレンジャー』。「ラスト7分11秒、あなたは絶対騙される」という引きの強いキャッチコピーに釣られた観客は、キャッチコピーが本来意図したのとは違う意味で”騙されて”しまった。また、本作同様スティーブン・キングの小説を原作として、シリーズ屈指の名作『スターウォーズ:帝国の逆襲』や『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』の脚本家ローレンス・カスダンが映画化した『ドリームキャッチャー』。これも「見せてあげよう、見たことを後悔するものを」とのキャッチコピーが、”逆に正確”と話題になった。筆者は、残念ながらまだ『パーフェクト~』を観ていないのだが、『ドリーム~』に関しては、どんでん返し有りの上質なホラーを期待しない限り、非常に良く出来たB級モンスターパニックであったと考えている。これもやはり宣伝攻勢のミスであろう。

 そんな”衝撃のラスト衝撃のラスト詐欺”が横行する昨今の映画界において、近年では唯一と言っていいほどまさに”衝撃のラスト”だったのが、本作『ミスト』である。

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 スティーブン・キングの同名短編小説を、すでに『ショーシャンクの空に』、『グリーン・マイル』でキングの小説の映画化を成功させているフランク・ダラボンが映画化。原作者キングをして「執筆中に思いついていればあのオチにしていたのに!」と言わしめたほどの衝撃的なオチが本作のウリだ。

 しかして、”衝撃的”にはいくつか種類がある。本作の場合、多くの人が受ける”衝撃”の内実は「何という”鬱”な映画なんだ…」ではないだろうか。そう、本作は、上質なホラーであるとともに、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と双璧を為す、近年希に見る”ラストが憂鬱な映画”として一躍有名になった作品である。

 この多くの観客が抱くであろう本作に対する評価は、もちろん的を射ている。共に苦難を乗り越えてきた女性や老人だけでなく最愛の我が子をも自らの手で銃殺した直後、霧の晴れ間とともに登場する軍の戦車。がっくりと膝をついた主人公の絶望の咆吼。ここまで救いの無いラストというのもちょっとお目に掛かれないものだ。

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 しかし、今回筆者が若干の詳述を加えたいのは、以上のような”鬱映画”としての本作ではない。本作を希代の傑作と評価する筆者が考える本作の真の姿とは”B級モンスターパニックムービー”である。

 まず、その設定から、本作が紛れもなくB級モンスターパニックムービーであることが覗える。突如町を包む謎の”霧”。その中に潜み、人々を襲う”何か”。舞台となるのは、人々が立て籠もる”スーパーマーケット”。スーパーマーケットに逃げてきた人々が立て籠もる内に生じる”人間同士の疑心暗鬼”は、紛れもなくB級映画の帝王『ゾンビ』以降受け継がれてきたギミックである。

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 さらに、霧の中に潜むモンスターの造形。若き店員を死に至らしめた”触手”から始まり、毒針を持った空飛ぶ”昆虫”、それを捕食する謎の”翼竜”、果てはB級モンスターパニック界のアイドル”巨大蜘蛛”まで登場する。しかも、彼らを描写するCGのお粗末さ。特に、初めて登場するモンスターであるにも関わらず、電動シャッターをかいくぐってスーパーの倉庫内に侵入する”触手”のビジュアルは、かなりCGCGしておりB級感満点である。

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 そして、だめ押しは、モンスターの出現理由。すなわち、”異次元の研究をしていた軍のミスでワームホールが開いた”という理由なのだが、こんな幼稚な設定は、明らかにフランク・ダラボンのような上質のドラマ・クリエーターが用いて良いものではない。完全に超B級モンスターパニックの専売特許である。

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 また、小道具から、本作がB級モンスターパニックムービーであるという監督自身からの明確なメッセージも読み取ることが出来る。それは、冒頭、映画のポスターを描くデヴィッドのアトリエにあのB級侵略SFの古典的傑作『遊星からの物体X』のポスターが置かれている、という点から。”触手”を見たというデヴィッドをバカにする弁護士ブレント・ノートン(アンドレ・ブラウアー)が「『遊星からの触手X』か?」と茶化すシーンもある。

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 以上から、本作はやはりB級モンスターパニックムービーであり、『ショーシャンクの空に』や『グリーン・マイル』を期待した観客が、まず度肝を抜かれる点であろう。では、このことを前提として、問題のラストを考えてみる。

 筆者は、冒頭で本作を”B級モンスターパニックに対するアンチテーゼである”と言った。では、まず、B級モンスターパニックムービーにおける”テーゼ”とは、一体何だろうか。

 それは”主人公は絶対に正しい”ということに他ならない。モンスターパニックというジャンルでは、その性質上、主人公がモンスターと遭遇し戦わなければならない。そして、その過程で主人公は、必ず”理不尽な行動”をとる。武器を粗末に扱ってみたり、あえて逃げ場が無くなるような行動をとってみたりと、とかく主人公は自らピンチに陥りたがる。そして、この傾向は、脚本がお粗末になりがちなB級映画でより顕著だ。一応”他の者の命を救う”という大義名分があったりする場合が多いとはいえ、一般人なら決してしないような無茶で無謀で理不尽な行動をとるのが主人公であり、彼らの行動を正当化するのは、よくよく考えてみれば”結局助かった”という偶然の結果論でしかないのである。

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 また、このテーゼの表裏として”主人公に反対する者は絶対に正しくない”というテーゼが導かれる。物語を俯瞰で見る我々からすれば明らかに理にかなった発言や行動であっても、主人公サイドと相違しているなら、それは“間違った答え”となる。主人公に逆らって“安全地帯”から出たりしようものなら、たちまちの内にモンスターの餌食となるのが、モンスターパニックにおける”常識”だ。

 本作の登場人物は、誰もがこのテーゼに沿った動きをとる。主人公デヴィッドは、重傷者のための薬を入手しようとあえて危険な薬局に赴くし、家に残した子供を心配するおばさんは、矢も楯もたまらずデヴィッドの忠告を無視してスーパーから飛び出していく。これら登場人物、特に主人公の行動は、映画を俯瞰で見ると非常に不自然であるが、彼らがスクリーン上で動いている限り何ら映画上の非合理性を感じることはない。観客、特に我々のようなB級モンスターパニック好きには、前述のテーゼがしっかり刻み込まれているからである。

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 そんな我々に対して、本作は問いかける。

 ”主人公は本当に正しいのか?”

 ラスト間近、霧の終わりを目指しスーパーから当てもなく移動してきたデヴィッド一行。主要人物は結局助かるのでは?との観客の期待とは裏腹に、デヴィッドは、残された弾丸で我が子を含む同乗者の命を奪う。

 しかし、これではまだテーゼの完全な否定にはならない。ここまでで提示された状況では、デヴィッドのとった行動も致し方ないようにも思えるからだ。後部座席に座る老人が「我々はよくやった。誰もそれを否定できない。」と言うが、この時点では確かにその通り。狂信おばさんのいるスーパーにはいられないが、霧を抜ける手がかりも皆無。道中デヴィッドらの前を横切った超巨大なモンスターは、彼らの行く先に”絶望”しかないことを象徴している。そんな状況下で、デイヴィッドが仲間をいわば”安楽死”させるという行いは極めて”正しい”ものに思えるし、何より「僕を怪物に殺させないで。」という息子との約束を守るため、唯一残された行動を彼はとったまでだ。未だ”主人公は正しい”と言える。したがって、ここで終わっていたなら、本作はそれこそただの”鬱映画”になっていただろう。

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 ところが、同乗者を撃ち殺し、絶望の中車外に出て自らモンスターに殺されることを望むデヴィッドは、晴れた霧の向こうから軍の救援が来る光景を目の当たりにすることになる。これこそが、”主人公は絶対に正しい”というテーゼに対する完全な否定

 怪物が迫っていたわけでもないのに、なぜもう少し銃殺を待たなかったのか。逆に、あんなに切迫した状況だったのに、なぜ車に乗るとき同乗者を危険に晒してまで拳銃を拾ったのか。そもそも、スーパーからの脱出などせず、なんとかあの教祖を打倒するすべを模索していればよかったのではないか。鑑賞中、一瞬沸き上がったものの、確固たる“テーゼ”によってすぐさま霧散した数々の疑問が、とめどなく溢れてくる。さらに、一人を救うために数人が命を落とした薬屋への遠征は正しかったのか、燃えた翼竜を必要以上に痛めつけたせいで我が子が危険に晒されたのではなかったか、触手についてもっと真剣に説得していれば若い店員は死ななかったのではないか、などなど遡及的に発生する疑問の数々は、尽きることを知らない。

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 “えぇ?そうせんとこうしたほうがいいんちゃう?まぁでも、「主人公のすること」やから結局正しいんやろうな。” そんな我々の無自覚な“常識”は、もはや崩れ去った。あまりに見事なラストは、我々から絶対の“テーゼ”を奪ったのである。もはや、いや、そもそも、主人公の行いだからといって信じることなど、本当はできなかったのだ。

 加えて、本作のラストは、前述のテーゼを裏面からも完全否定する。絶望に立ち尽くすデヴィッドの前を横切る軍の車両。避難民を乗せる荷台には、あの”子供心配おばさん”の姿が。たまに弟のことを忘れてしまう8歳の娘に留守番を頼んだの、と言って主人公らの忠告を聞かず霧の中へと飛び出した、あのおばさんである。確かに、あの時点では、外で何が起こっているか分からない以上、主人公の制止も一見正しそうであった。しかし、このような展開において、我々は、常にまずこう感じる。“いや、まだそこまで必死こいて止めるほどの根拠は無いんとちゃうかな…。” そう、“根拠なんて無い”のである。あらゆるモンスターパニックにおいて、“なぜか物語の序盤だけ異常に慎重な主人公”は、やっぱり“異常”だったわけだ。

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 主人公の理不尽な行いはやはり間違っており、彼に反対した常識人は救われる。現役屈指のドラマ・クリエーター、フランク・ダラボンが、映画の構造を正確に研究し俯瞰で見た上で放つこのラストは、単なる“鬱展開”ではなく、B級モンスターパニックの本質を克明に暴き出した珠玉のアンチテーゼであると筆者には思える。

点数:89/100点
 まず、本作を「”鬱”だぜ…」という前評判から敬遠している人は、筆者の見解を参考に是非1度鑑賞してもらいたい。そして、すでに本作を観て「”鬱”だぜ!」と感じた人は、やはり筆者の見解を参考に是非もう1度鑑賞してもらいたい。そうすれば、本作のラスト、いわば”あまりにも美しい絶望”をあなたは目の当たりにするだろう。とはいえ、やっぱり大なり小なり気が滅入る映画であることは確か。こんな梅雨のジメジメした時期に紹介する映画ではなかったかもしれない。次回は、もっと楽しげな映画の感想を書こうと思う。

(鑑賞日:2012.6.11)

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