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2013

[No.228] 真実の行方(Primal Fear) <85点>

CATEGORYサスペンス




キャッチコピー:『あなたには、いくつの顔がありますか』

 この世には“正義”も“悪”も存在しない。
 あるのは“甘美な嘘”か“残酷な事実”のみである。

三文あらすじ:シカゴ、冬のある日、大司教が何者かに惨殺される。現場から逃亡した聖歌隊の青年アーロン・スタンプラー(ローラ・リニー)の逮捕を受けて、敏腕弁護士マーティン・ベイル(リチャード・ギア)がその弁護を駆って出ることになり、一方の検察は、ベイルの元部下であるやり手検察官ジャネット・ヴェナブル(エドワード・ノートン)を担当検事に任命する。土地の利権や大司教の不祥事など、様々な事実が明らかになる法廷で、彼らが辿り着く“真実の行方”とは・・・

※以下、ネタバレ有り。


~*~*~*~

 
 筆者は、最近個人的に“どんでん返し系映画”にハマっている。とはいえ、その筋の有名どころ、すなわち『ユージュアル・サスペクツ』、『セブン』、『ファイト・クラブ』、『シックス・センス』、『バタフライ・エフェクト』、『マッチスティック・メン』、あるいは『SAW』などは既に鑑賞済みであるので、色々とインターネット上で検索した結果ヒットしたのが、本作『真実の行方』であった。

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 本作は、筆者が高校生くらいの頃から度々手にとっては鑑賞の機会を逃してきた作品であるので、やや個人的な思い入れもあり、ワクワクしながら鑑賞した訳であるが、このような系統の作品を観るにあたっては、毎回期待と不安、複雑な両者の葛藤と向き合わなければならない。あっ!と驚く秀逸などんでん返しの作品であれば、当然既に映画ファンたちからの一定の評価を得ており、その評価は、筆者のような未鑑賞の映画ファンの耳にも入ってくる。したがって、必然的に“衝撃の結末”へのハードルは上がり、その分味わうことの出来る鑑賞前のワクワクは格別であるとしても、肝心のラストで素直に驚けない可能性が高まるのである。

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 さて、そのように言わば“不健康な鑑賞者”として本作と相対した筆者であるが、結論から言えば、その“衝撃の結末”にまんまと度肝を抜かれてしまった

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 既に本作を鑑賞し、筆者同様その結末に仰け反った方々には迂遠な駄文となってしまうが、何故か作品は鑑賞しないにも関わらず筆者の拙稿は楽しみに読んでくれるという友人がいるので、以下に本作の顛末をざっと記しておきたいと思う。彼は、言うなれば“不健康な読者”に違いない。

― ・ ― ・ ― ・ ―


 事の始まりは、一件の殺人事件である。被害者はシカゴの大司教。この被害者の聖なる属性に加え、事件発覚直後の逃走劇をニュースが中継したというセンセーションによって、事件は一気に世間の注目の的となる。

 これに目を付けたのがリチャード・ギア演じる敏腕弁護士マーティン・ベイル。小さな事務所ながら、元検察庁のエースという経験を活かし、数々の難事件を捌いてきた男。金と名声に目がないが、しかして、己の信念、自分の中の“真実”には決して反しない、という中々魅力的なキャラクターだ。

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 彼に対するのは、検察庁の敏腕検事ジャネット・ヴェナブル。ベイルの検察官時代の部下であり、当時6ヶ月間ベイルと恋人関係にあった女性。気の強い彼女は、公私両面において、ベイルに対する“ライバル心”というか“敵対心”というか、ある種愛情の裏返しのような“反発心”のようなものを持っている。ベイルとジャネット、事件を通して、この2人の“大人の恋愛”が描かれる、という側面も、本作は持ち合わせている。

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 そして、肝心の犯人アーロン・スタンプラー。演じるのは、名優エドワード・ノートン。嘘か真か、当時無名であった彼が大抜擢されたという本作での演技は、筆舌に尽くしがたく素晴らしい。月並みな意見ではあるものの、彼なくして本作は成り立たなかったであろう。

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 そのような主要人物が巻き込まれていくのは、大司教殺害に隠された様々な“社会の闇”。土地開発計画をストップさせた大司教に恨みを持つ土地開発機構の存在が浮き彫りになり、開発中止によって多大なる損害を受けた市長や検察関係者がジャネットに圧力をかける。また、善なる者の象徴と思われていた大司教が、アーロンを始めとした聖歌隊の男女数名を強制し、私的なポルノ・ビデオを撮影していたという事実も発覚。事件は、2転3転し、観客はますます引き込まれていく。

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 時を同じくして、アーロンの隠された事実が発覚する。彼は、二重人格者だったのである。追い詰められた際に出現する“ロイ”という人物は、普段吃音気味でオドオド喋るアーロンとは似ても似つかぬ、狂気とカリスマ性を帯びた人格。“ロイ”が出現するとき、アーロンは意識を失ってしまう。すなわち、“ロイ”が大司教を殺害した際には、アーロンは心神喪失の状態にあった、ということだ。しかし、ベイルは、心神喪失を理由に裁判を展開することが出来ない。ベイルが答弁書で述べたのは、殺害現場にアーロンではない第三者がいた、という事実であり、これと大幅に異なる立証プランの変更は、認められないからである。

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 ここからは、テクニカルでエンターテイメントな法廷劇。一体どのようにして“ロイという第三者”の存在を立証していくか。ハラハラドキドキの展開である。

 ベイルは、ジャネットに大司教のポルノ・ビデオを送る。両者の大人の駆け引きの末、ジャネットはビデオを証拠として提出。証言台に立った被告に対し、ジャネットは、強制的にポルノ・ビデオを撮られたことが殺害動機であること、したがって見るも無惨に大司教を殺害したことを、克明にかつ執拗に追及する。追い詰められたアーロンは覚醒。ジャネットの首を絞め、法定内は阿鼻叫喚。なんとか“ロイ”は取り押さえられ、ジャネットも危うく無事であったのだが、アーロンに別人格が存在する事実は誰の目にも明らか。裁判長は非常措置を取り、裁判は終了、無罪が確定したアーロンは、短期間の精神病院収監を言い渡される。

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 裁判長室に2人残ったベイルとジャネット。プライドをへし折られ、恐ろしい思いをした“女”を後ろから優しく抱く“男”。“事件の行方”と同様に明らかになった“大人の恋の行方”を噛み締める観客。しかし・・・

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 裁判所内の留置所へ足を運び、ベイルは、クライアントに無罪確定を告げる。アーロンへと戻った青年は、いつものようにオドオドした、しかし、優しげな振る舞いでベイルに礼を言う。「あなたは命の恩人だ。」と。今や戦友といっても過言ではない2人の“男”は、固く抱き合い、別れを述べ合う。独房を出るベイルの背中にアーロンが一言。「検事さんに、首をお大事にとお伝えください。」

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 優しく微笑み独房を後にしたベイルは、その歩みを止める。・・・彼は何故“検事の首を気遣えた”のか。独房に戻ったベイルは問い詰める。“ロイ”出現時は意識を失っているはずではなかったのか。何故ジャネットが首を痛めたことを知っているのか。

 一瞬唖然とするアーロンは、ゆっくりと手を叩く。それは、賞賛の拍手。自身の大芝居を最後の最後に見抜いた“敏腕弁護士”に対する“ねぎらい”である。

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 彼は語り始める。その口調は、あの臆病な青年のそれではなく、その表情は、あの哀れな被告のものではない。そう、二重人格はアーロンの芝居だったのだ。そう気付き、絶望するベイルに冷酷な悪魔が吐き捨てる。「違うよ、マーティン。がっかりだ。“アーロンなんて始めからいなかった”のさ。」

 裁判所正面玄関に大挙するマスコミを避け、一人裏口から出て行くベイルのカットで、本作は幕を閉じる・・・。

― ・ ― ・ ― ・ ―


 ・・・というのが、本作のおおまかな流れ。名演、名音楽、名脚本、名演出ががっちりとタッグを組んだ、紛うことなき名作である。

 まず、素晴らしいのは、やはり緻密な脚本であろう。本作のまさに“衝撃の結末”は、人々の先入観や固定観念を逆手にとった非常に秀逸なものである。しかし、本作は、その結末のインパクトに甘んじていない。“木を隠すなら森の中”ではないが、本作の法廷劇は、それ自体展開が二転三転する秀逸でスリリングなものであり、我々は、その流れを追い、逐一目を丸くすることに忙殺されるのである。

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 しかし、それでいて本作には、実は最初から結末を示唆するヒントが堂々と登場している。大司教の書庫から発見されたバイブルの一節であり、ポスターにも記されている、

 Sooner or later, a man wears two faces forgets which one is real.

がそれだ。つまり“遅かれ早かれ、2つの顔を持つ者は、どちらが本物か分からなくなる。”ということであり、皆に信頼された聖職者でありながらポルノ・ビデオ撮影を趣味にしていた大司教の2面性に観客をミスリードし、実はアーロンの本性が“ロイ”であったという“真実”を上手く隠す、非常に秀逸な引用である。さらに、この一節が、金や名声と自らの信念、どちらが真の目的であったか分からなくなり、結果、無情な“真実”に弄ばれたベイルをも示唆すると考えるのは、深読みが過ぎるだろうか。

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 また、もう1点、特筆すべきは、やはり先述したエドワード・ノートンの名演技であろう。Wikipediaを参照すると、確かに、本作が彼のデビュー作となっている。2000人ものオーディションを勝ち抜き、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた無名の新人。すさまじい。ちなみに、彼がノミネートされた第69回アカデミー賞において、見事助演男優賞を勝ち取ったのは、『ザ・エージェント』のキューバ・グッディング・Jrであった。2人の甲乙については、『ザ・エージェント』を再鑑賞してみないことには何とも言えないが、ノートンの“怪演”と言うべき演技にオスカーをあげるべきだったのではないかと思える。無名の新人ということで何らかの“圧力”がかかったのではないだろうか。“真実の行方”は、映画内よりむしろ授賞式で物議を醸すことが多い。

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 さらに、演出面においても、本作は秀でている。筆者が特に感銘を受けたのは、全ての種明かしがなされたラスト。留置所を後にしたベイルは、既に誰もいない法廷を通り抜けるのだが、ここのカメラワークは、正面から歩いてくるベイルを出口上方から捉え、そのままワンカットで撮りきる、というもの。始めは普通のカメラアングルが、ベイルが退場するときには天地逆になるのである。何やら意味深だ。裏の顔と表の顔、嘘と真実、そういった様々な2面性をテーマとする本作を象徴するカットであると、筆者は感じる。

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 最後にやや釈然としない点について述べる。先述の通り、大司教殺害事件は、アーロンの策略によりその無実が確定する訳である。そして、アーロンの計画の肝であり、彼の才能が最も表れていたのが、二重人格の演技であった。 この演技は完璧で、ベイルが用意した神経学の専門家でもそれが演技とは見抜けなかったほど。しかし、そうであれば、果たしてアーロンはこんなにも回りくどい方法を採る必要があったのだろうか。始めから自身の二重人格を告白し、演じてみせれば、ベイルもハナから心神喪失で答弁書を提出できたのに。まぁ、いざ心神喪失が争点となれば、二重人格の専門家が出張ってくる訳で、それを切り抜けることは不可能と考えたのかもしれない。

点数:85/100点
 “衝撃の結末”がなくても一級の法廷ドラマとして成り立つかなりの名作。これに“素晴らしいオマケ”が付いているのだから最高だ。梅雨と言いつつ中々雨の降らない日が続いているが、天地がひっくり返るようなどしゃぶりの週末には是非鑑賞して欲しいオススメ作品である。

(鑑賞日[初]:2013.6.11)






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Tag:衝撃のラスト!

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