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2013

[No.265] グッドフェローズ(Goodfellas) <90点>

CATEGORYギャング




キャッチコピー:『俺は小さい時からマフィアになる日を 夢みていた。』

 最高のギャング映画。
 最高のロック・ムービー。
 そして、最高の“ワイズ・ガイ”たち。

三文あらすじ:幼い頃から“グッドフェローズ(Goodfellas)”、あるいは、“ワイズ・ガイ”と呼ばれるイタリアン・ギャングに憧れていた男、ヘンリー・ヒル(レイ・リオッタ)。大物ギャング、ポーリー一家の使い走りを始めた彼は、相棒であるトミー・デヴィート(ジョー・ペシ)や兄貴分である“ジミー”ことジェームズ・コンウェイ(ロバート・デ・ニーロ)と共に犯罪行為を繰り返し、のし上がっていく。ギャングの世界を生き抜く一人の男の半生は、いったいどんな結末を迎えるのか・・・


~*~*~*~

 
 ギャング映画とは、今や映画における立派な一つのジャンルである。利口で度胸ある青年がその世界に飛び込む、目もくらむハイ・ソサイエティな暮らしと凄惨で刹那的な暴力、成功の絶頂に訪れる不意の切っ掛け、盛者必衰の理を体現する没落、哀愁ある幕引き。こういった、まるで金太郎飴のような紋切り型の語り口で以て描かれるのが“ギャング映画”であり、その始祖にして金字塔は、未だにやはり『ゴッドファーザー』だろう。ギャング映画というジャンルのみならず、全ての映画を総合しても相当上位にランクインし続ける同作があるために、それ以降のギャング映画は、皆必然的に『ゴッドファーザー』を念頭に置いて制作される運命にある。この点は、『ジョーズ』以降のサメ映画と同様だ。もちろん、ギャングの世界を走り抜けた一人の男の半生を描き出す本作においても、それは変わらない。

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 では、本作は、一体どのようなアプローチで以てギャング映画としての存在感を主張したのか。キーワードは、“ロックンロール”“実話”

 まず、前者については、本作の演出上のテンポ使用される楽曲の両方を指している。『ゴッドファーザー』と言えば、極めて重厚で厳かな雰囲気の中、ギャングの世界、特にコルレオーネファミリーの内部をじっくりと克明に描き出す作品。使用される楽曲、誰しもが一度は聞いたことのある『ゴッドファーザー 愛のテーマ』もミラノ生まれのクラシック音楽家ニーノ・ロータらしい非常に荘厳なものである。

 一方で、本作が描くのは、血統上決してファミリーの一員にはなれない一ギャングの成り上がり物語。ファミリー幹部の抗争という“会議室”の出来事ではなく、いわば“現場”を描写する訳だ。したがって、ヘンリー・ヒルたちが集まる街の飲み屋、恐喝、強盗を繰り返す日常、などがメインの舞台となり、必然、それを綴る方法も『ゴッドファーザー』のような由緒ある感じではなく、極めて軽快でハイ・テンポなものとなる。また、そのような語り口を補完するのが、本作で使用されるロックンロール・ミュージック。ラストで印象的に使用される軽快なピアノ伴奏は、エリック・クラプトンが所属していたロックバンド“デレク・アンド・ザ・ドミノス”による『いとしのレイラ』の後半に当たるピアノのインスト部分である。

 このような古き良きギャングものからすればある種斬新な演出手法が、本作ではバチッとハマっている。これは、ひとえに呪われた巨匠マーティン・スコセッシの手腕であろう。

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 本作が古のギャング映画と一線を画する名作に仕上がったもう一つの要素は、実話をベースにした物語、という点である。本作の主役ヘンリー・ヒルは、実際に本作のような半生を送り、2012年6月12日、心臓疾患で死亡した。先程述べた“ギャング映画における紋切り型のストーリー展開”において、死亡という結末は、オチである“没落”あるいは“哀愁ある幕引き”に相当する部分である。実際、『ゴッドファーザー』における“マイク”ことマイケル・コルレオーネは、最終作に当たるPart.3のラストで独り孤独に死んでいく。しかし、本作のオチは、ヘンリー・ヒルの死亡ではない。本作の独自性溢れる“没落と哀愁”は、主人公が仲間を売ってのうのうと生き残る、という極めてリアル、あるいは、等身大なものだ。一見すれば、ただのチンピラがやりそうなこのオチが本作において計り知れない悲哀と哀愁を以て我らに迫るのは、逮捕されても決して仲間を売らず、口を割らなかった少年時代のヘンリーを前半で描き、その後全編を通して、彼と“グッドフェローズ”たちとの男気溢れる友情と絆をしっかり描けているから。ここにもまた、呪われた巨匠マーティン・スコセッシの手腕がキラリと光っている。

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 さて、筆者は、先程から本作の監督マーティン・スコセッシのことを“呪われた監督”と繰り返し形容してきた。それは何故かと言うと、マーティン・スコセッシという監督は、映画界でも有名ななかなかアカデミー賞を貰えない監督だったからである。

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 長年彼を苦しめた“アカデミーの呪い”の始まりは、実に40年前に遡る。時は1973年、スコセッシ自身が監督・脚本・制作・出演の4役を務め、ヤクザな若者2人の生き様を描き出して見せた名作であり、現在では“文化的、歴史的、ないしは芸術的に重要な作品”としてアメリカ国立フィルム登録簿制度によってアメリカ議会図書館に保存されている『ミーン・ストリート』が、アカデミー賞において何らの賞も与えられなかった。この年に作品賞をかっ攫ったのは『スティング』。希代の傑作である同作を前にしてはこの不名誉も致し方なかったとも思えるが、映画雑誌CUTのアカデミー賞特集では“『ミーン・ストリート』か『エクソシスト』か『地獄の逃避行』のどれかが賞を獲るべきだったんじゃないだろうか。”と疑問を投げかけている。

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 それから4年後の1976年、彼を二度目の悲劇が襲う。今や誰もが知る名作中の名作『タクシードライバー』がアカデミー賞に無視されたのだ。『ミーン・ストリート』同様、アメリカ国立フィルム登録簿に登録され、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールまで受賞したこの希代の傑作を差し置いてチャンピオンベルトを手にした作品は、スタローンが放つ成り上がり物語『ロッキー』。確かに、同作もまた紛れもない傑作ではあろうが、現在の評価を勘案した上でどちらの受賞が正当だったかを考えれば、答えは自ずと明らかだ。CUTもこの年のアカデミー賞に関して、“正直に言おう、『ロッキー』は確かにいい対戦相手だったが、勝者には値しなかった。”と述べ、“やっぱ『タクシードライバー』でしょう。”と締めくくっている。

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 2度の受難に襲われた悲劇の巨匠。しかし、彼の戦いはまだ始まったばかりである。4年後の1980年、アカデミー賞的には1981年の第53回に当たるこの年にリリースされた作品が『レイジング・ブル』。これもまた映画ファンなら知っていて当然の大傑作。例に漏れず、本作もアメリカ国立フィルム登録簿に登録済みである。本作では、これまでもタッグを組んできたロバート・デ・ニーロの演技がすさまじい評価を受けたし、アカデミー賞主演男優賞もしっかりゲット。なんせ実在のプロボクサーを演じきるために、役作りとして体重を27kgも増量させたのだからスゴい。この作品での彼の役作りは、後に“デ・ニーロ・アプローチの完成形”と賞されることになる。が!デ・ニーロの演技は素直に賞賛したアカデミーは、この年も巨匠の顔に唾を吐きかけた。作品賞を受賞したのは、名優ロバート・レッドフォードが息子を失った一般家庭の悲喜交々を描いたお涙ちょうだい物語『普通の人々』。タイトルだけでなく作品の出来としても“普通”だった本作の受賞は後に映画ファンの間で物議を醸し、現在では、この第53回アカデミー賞は、アカデミー史上最大の誤審の一つとして語り継がれている。『普通の人々』について“今観るべきか?”という項目のCUTの回答は“さあ、どうだか。”という冷たいものであった。

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 挙げ出すとキリが無いのでここからはダイジェストでお送りするが、ざっと見ただけでも、1985年の『アフター・アワーズ』、1990年の本作『グッドフェローズ』(CUTのコメントは“『グッドフェローズ』が賞を持ち帰るべきだったのに、この年も「スコセッシの呪い」が効力を発揮していたのは明らかだ。”。ちなみに、作品賞を受賞したのは、ケビン・コスナーの『ダンス・ウィズ・ウルブズ』。)、1995年の『カジノ』、筆者の記憶にも新しい2002年の『ギャング・オブ・ニューヨーク』、2004年の『アビエイター』と、明らかに異常と思える程、アカデミー賞を逃し続けている。

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 そんな悲劇の映画監督がやっとこさ受賞を認められたのは、『ミーン・ストリート』から実に30年以上も過ぎた2007年のことだった。受賞作はマフィアと潜入捜査官のスリリングなドラマの秀作香港映画『インファナル・アフェア』のハリウッド・リメイク『ディパーテッド』。もちろん、この作品自体素晴らしい出来映えである上、同年の他のノミネート作に飛び抜けた名作が無かったということもあり、CUTも本作の受賞には賛成のようだ。しかし、これは言ってみれば“功労賞”としての受賞なのであって、やはり『レイジング・ブル』にこそオスカーをあげるべきだったと思っている映画ファンは多い。

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 という訳で、本作は、アカデミー会員の中に“グッドフェローズ”を見つけられなかった悲劇の巨匠による素晴らしき傑作“ロックンロール・ギャング・ムービー”なのである。

点数:90/100点
 今回は主にアカデミー賞関係の事柄について若干詳述したので、本作の素晴らしきキャストたちへの言及を省いた。が、ロバート・デ・ニーロは言うに及ばず、本作が出世作となったレイ・リオッタの演技も素晴らしいの一言に尽きるし、何より個人的に注目してもらいたいのは、ヘンリーの相棒トミーを演じるジョー・ペシの好演である。筆者のような若造映画ウォッチャーは、『リーサル・ウェポン』シリーズにおけるレオとしての彼しか知らなかったため、本作を初鑑賞したときにはあまりのギャップに酷く面食らい、心底感心したものだ。未見の人は、是非『リーサル・ウェポン』と本作、あるいは『カジノ』を見比べて、ギャング映画界の隠れた名優ジョー・ペシの狂気溢れる演技に圧倒されて欲しい。

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 それと、これは余談だし、今はどうなっているか知らないが、筆者が始めて本作をレンタルした当時、確か高校生のときだったと記憶しているが、そのときは本作のDVDが驚愕の“両面銀盤”でリリースされていた。つまり、DVDの表にも裏にも映像が記録されているという訳で、本来2枚組の本作を1枚で楽しめる、という奇抜な趣向である。したがって、本作のサイドAを鑑賞し終わった観客は、ただちにDVDをひっくり返し、そのままサイドBを鑑賞し始めることが出来るのだが、幼き日の筆者はそんなハイテク技術を知るよしもなく、サイドBを借り忘れたのだという思い込みの中で再度レンタルビデオ店に足を運んだのであった。しかし、当然、後編に相当するジャケットは影も形もない。1~2時間ほどの逡巡を経て事の真相に思い至った筆者は、殊勝にも再び同じ作品をレンタルし、驚愕と後悔と安堵の嘆息を漏らしてから、続きを楽しく鑑賞したのであった。まぁ、2枚組であれば元から2枚借りるつもりだったのだし、考えようによっては何ら損をした訳ではない。そのような妙な理屈で自分を納得させた筆者もまた“ワイズ・ガイ”の一人である。

(鑑賞日:2013.7.15)










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Tag:紫煙をくゆらせて お酒のお供に 男には自分の世界がある アイ・ラブ・ニューヨーク アカデミー賞

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