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17
2014

[No.312] 原子怪獣現わる(The Beast from 20,000 Fathoms) <70点>

he Beast from 20,000 Fathoms



キャッチコピー:not found.

 元始、怪獣は“浪漫”であった。

三文あらすじ:北極圏での水爆実験の最中、原子力の権威として参加していた科学者トム・ネスビット(ポール・クリスチャン)は、巨大な“怪獣”を目撃する。しかし、軍関係者は誰も彼の話を信じようとはしない。ネスビットは、古生物学の世界的権威サーグッド・エルソン教授(セシル・ケラウェイ)とその美人助手リー・ハンター(ポーラ・レイモンド)に協力を依頼するのだが、そんな中、長い眠りから目覚めた巨大怪獣が遂に大都会ニューヨークに上陸する・・・


~*~*~*~


 “モンスター・パニック”は、誰が何と言おうと“男のロマン”だ。男性であれば誰しもが、かつて“大怪獣”に熱狂した過去を持つ。つまり、“モンスター・パニック”とはまた、たいていの場合、“怪獣映画”を指すことが多い。

 “怪獣映画”と言えば、特に日本では誰が何と言おうとやはり『ゴジラ』であろう。まぁ、筆者個人としては、当ブログでも度々述べてきた通り、どちらかと言えば“ガメラ派”なのであるが、我が国の怪獣シーンをその最初期から牽引してきた『ゴジラ』には、弾けんばかりの熱狂と惜しみない敬意が相応しい。

 今回は、そんな日本が誇る大怪獣のさらに原典となった、古典的“怪獣映画”のお話。

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 本作の公開は1953年。『ゴジラ』の第一作が1954年だから、本作の方が早く世に出たわけである。しかも、本作とゴジラのプロットは、はっきり言ってめっちゃ似てる。核実験の結果現代に蘇った大怪獣が大都会に現れ、しっちゃかめっちゃかに街を壊す。はりきった軍のわたわたした活躍も虚しく元気な怪獣は、最終的にアイソトープの凶弾に倒れる。まぁ、両作のプロットは、どちらも概ねこんな感じである。もっとも、『ゴジラ』の方は、上記のような怪獣映画の基本的プロットに、“核”というテーマをやや色濃く添えていた、らしい(筆者は同作を未見。)。唯一の被爆国としてのきめ細やかな制作者魂であろうか。

 一方の本作はと言えば、そんな辛気くさいテーマなど微塵も無い。上記よりももっと単純に本作のプロットを述べるなら、

 怪獣出た!
 ほんまに出たって!
 ほらやっぱ出た!
 ヤバイ!
 倒した!

である。なんとシンプルで無駄の無いプロット。

 北極圏で行われる冒頭の水爆実験は、ただ単純に大怪獣を目覚めさせるだけのガジェットでしかなく、別に核爆弾であるストーリー上の必然性は皆無である。本作に登場する幾人かの科学者たちが、大怪獣と核を結びつけて殊勝な警鐘を鳴らす、ということも当然ながら無い。しかし、だからこそ、本作は、その後あらゆる怪獣映画やモンスター・パニックのお手本足る“教科書”として、現在でもなお映画史に残り続けているのであろう。

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 辛気くさいテーマに時間を割かない本作は、代わりに“ロマン”へと労力を注ぐ。上記超簡略プロット説明では、“怪獣出た!”~“ほんまに出たって!”に相当する部分だ。“ロマン”というのは、諸説在ろうが、“不可能・不存在の否定”を指す。少なくとも、当ブログでは、今後“ロマン”をこのように定義したい。人が空を飛べるはずないさ、月に行く?無理に決まっているだろう?、ツチノコなどいないぜ、ましてやネッシーなんかもってのほかだ。こういった真っ当なご意見に真っ向から疑義を唱え、否定せしめんと奔走する営為こそが“ロマン”だ。

 本作では、1億年以上も前に絶滅したはずの巨大恐竜が現代に生きているはずがなかろう、という科学的・理性的な批判に対し、主人公ネスビットがわーわー騒ぎながら勇敢に立ち向かっていくのである。そして、そのくだりがけっこう長い。まぁ、ネスビットの場合、自らの目で実際に怪獣を見てしまっているから、本来的・根本的な“ロマン”には当たらないのかもしれないけれど(不可能・不存在を否定する主体自身も可能・存在の客観的根拠を持たない、ということも“ロマン”の重要な一要素だ。)、とにかく、本作では、怪獣の存在が中々世間に認知されないまま物語が進行していく。

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 そして、そんなにも不認知のまま放置された怪獣の存在がネスビット以外の人々にも受け入れられる瞬間は、極めて唐突に訪れる。ここは、本作が有する古き良き突っ込み所の一つだ。そもそも、怪獣の実在を証明する方法が、ネスビットに多数の古代生物の“絵”の中から彼が見たのと似たものを選ばせる、というところが、まず微笑ましい。そんなんでホンマにええんかいな。

 ネスビットは苦心の末、自身が目撃した怪獣とうり二つであるリド・サウルスの“絵”を選び出すのだが、さすがの本作もそんなことではまだ怪獣の存在を認めさせない。古生物学の世界的権威サーグッド・エルソン教授もまだまだ鼻で笑っている。この教授は、“怪獣の存在”という事柄に関して、いわば“世間”の象徴としての役割を与えられたキャラクター。彼が怪獣の存在を認めればストーリー上でも怪獣の存在が周知になったとして良い、という感じで展開が集約されている。

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 まぁ、ネスビットだって、ちょっとやそっとではくじけない。科学者である彼は閃く。そうだ!怪獣に襲撃された船の生き残りにも“絵”を選んでもらい、自分と同じだったなら怪獣の実在を立証できる!もちろん、同じものを選ぶのである。「こ、これですだ…。」なんて言いながら、無骨な田舎者の船乗りがリド・サウルスの絵を手に取るのである。そして、絶句するのである。大衆と理性の象徴としてそこに居るエルソン教授は、船乗りがネスビットと同じ絵を選んだことに絶句するのである。

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「どうやら…本当のようじゃな…。」


 ゆるいなぁ、ノリが。こいつらは、きっと怪獣が「あ、オレオレ、リド。」と電話を掛けてきても信じただろう。

 ちなみに、ネスビットと船乗りが指し示したリド・サウルスの絵がこれ。

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 いやぁ、これはキツイやろ。“絵”もいいとこである。

 我々ゆとり世代の鑑賞者は、このようなゆるゆるの展開に目くじらを立ててはいけない。そんなのは馬鹿者のすることだ。往年の古典的名作を改めて観るときしばしば直面するこういった事態に対しては、一瞬だけ目を丸く見開き、刹那だけ大爆笑し、あとはその芳醇な時代性を体の隅々までじっくりと染み渡らせて味わうのが正しい。かと言って、大仰に褒めちぎるのも違う。そんなのは虚け者のすることだ。非合理なものは非合理なのだから、しっかりと時代性を理解した上で大いに突っ込み倒すことは、決して間違いではない。

 まぁ、とにもかくにも、これにて物語は次のステップへと進むわけである。

 ここからは、ニューヨークに上陸した怪獣vsアメリカ軍の大スペクタクルシーンのつるべ打ち。上記超簡略プロット説明においては、“ほらやっぱ出た!”から“ヤバイ!”を経て“倒した!”に至るパートである。このパートで注目すべきは、もちろん、レイ・ハリーハウゼンである。特撮分野において、おそらく永遠に映画史に残っていくであろう最強の巨匠。

 1998年に『マイティ・ジョー』としてリメイクされた往年のゴリラ映画『猿人ジョー・ヤング』に効果技術スタッフとして参加、その後、本作で華々しく正式デビューする。本作で観る者の度肝を抜いたのは、ハリーハウゼンの代名詞“ストップ・モーション”だ。まぁ、いわゆる“コマ撮り”のことであり、パッと思いつく例で言えばNHKでやっていた『ニャッキ』なんかがこの部類のアニメーション技術を用いた作品であろう。

 当然、今観れば、とってもショボいのである。ちょろちょろカクカク動き回るリド・サウルスには、現代の水準に照らした“リアルさ”は皆無と言っていい。でも、当時からすれば圧倒的ビジュアルイメージだったであろうこともまた想像に難くない。難しいところである。歴史を築いた巨匠の技術だから褒めちぎるのは違うし、かといって、今の感覚からこき下ろすのももってのほか。結局、“味わい”なんだろうな、と思う。モンスター・パニック好きからすれば、あるいは、そうでない人にとってももしかしたら、本作の古き良き特撮は、抱きしめたくなるほど魅力的だ。

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 さて、暴れ回った怪獣が最終的にどうなるかと言うと、極めて淡泊かつ哀愁漂う最期を遂げるのである。すなわち、“倒した!”に相当する部分だ。ここにおいても、これまでの例に漏れず、本作の古き良き時代性を感じることができる。どういうコトかと言うと、本作の幕引きは、非常にあっさりしているのである。もちろん、エンターテイメント作品のクライマックスとして不十分ではない。原子力研究者であるネスビットのキャラが活きるアイソトープによるトドメは秀逸だし、燃えさかる木製ジェットコースターをバックにしたリド・サウルスの死に様も美しくどこかヒロイックで大変素敵だ。

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 本作があっさりしているのは、リド・サウルスが絶命したら即終幕!という終わり方。倒した!終わり!なのである。そこには、憐れなモンスターは美女によって倒れたのだという追悼の言葉も無ければ、砂漠のただ中における最高のキスも無い。もちろん、死闘に打ち勝った気の良い2人の男がバタ足で岸を目指して泳いでいく、ということも無いのである。人類からすれば、まさに、勝ったッ!第3部完!である。でも、こういった淡泊な幕引きもエンドロールの間に様々な思いを巡らせる余地があって、個人的には大好きだ。

 というわけで、本作『原子怪獣現わる』は、色々な突っ込み所や現在からすれば異色とも映る展開の数々をじっくり堪能出来る素晴らしき古典怪獣映画なのであった。

点数:70/100点
 時代を感じ、浪漫に身を置く。いつになっても変わらないのは、怪獣映画はワクワクする、という、男の子にとって最も大事なただ一つの真実である。

(鑑賞日[初]:2014.10.13)










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Tag:アイ・ラブ・ニューヨーク 特撮映画 ヘンテコ邦題

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