08
2015

[No.319] インターステラー(Interstellar) <87点>

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キャッチコピー:『必ず、帰ってくる。それは、宇宙を越えた父娘の約束―』

 愛し合うことだけは、どうしてもやめられないんだ

三文あらすじ:地球規模の食糧難と環境変化によって人類が滅亡の危機に瀕した近未来、元エンジニアの男クーパー(マシュー・マコノヒー)は、ひょんな事からNASAが人類の命運を賭けて計画する惑星間(Interstellar)の探査ミッションにパイロットとして抜擢される。地球に残さねばならない幼い娘マーフィー(マッケンジー・フォイ)と人類滅亡の回避、二つの間で葛藤するクーパーだったが、悩み抜いた末、彼は帰還を約束し、前人未到の新天地を目指して宇宙船へと乗り込む。アメリア・ブランド(アン・ハサウェイ)他、ミッションクルーと共に使命を全うしようとするクーパーを待ちうけるものとは・・・


~*~*~*~


 SFファンの間では当然のように話題沸騰、そうでない映画好きの間でもかのクリストファー・ノーランの最新作ということで賑わいを見せていた本作『インターステラー』を極めて遅ればせながら鑑賞してきた。2014年を代表する本作は、本当なら昨年の内に見ておいてしかるべきであった。重力井戸の底ではほんの数秒かもしれないが、筆者にとっては公開から2ヶ月も後の鑑賞となってしまったわけである。自らを“映画好き”と称しておきながらもたびたび起こすこんなミスは、今後はできるだけ意識して断たねばならぬ。筆者の本年の目標は、“可及的多数の作品をできるだけ早期に劇場鑑賞する”、コレである。

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 さて、前述のように本作は、あのクリストファー・ノーランが撮った最新の作品である。『メメント』や『プレステージ』、そして、『インセプション』といったいわゆる“ドンデン系”、あるいは、“考察系”の傑作を数々世に送り出してきた彼は、デビッド・フィンチャーや初期のシャマランに向けられるのと同質の期待を、ある程度ライトな映画ファンから向けられる。また、よりディープな映画ファンであったとしても、『ダークナイト』のアメコミものにあるまじき完成度を目の当たりにした今では、彼の新作と言うだけで並々ならぬ期待を抱くことであろう。

 知識量や考察力、または、それらを総合したいわば“映画愛”において、筆者が“ディープな映画ファン”と言えるかは願望の域を出ないが、筆者とて一映画ファンの端くれとして、本作に尋常成らざる期待を抱き、観なければ観なければ、と自問していたことは、前述の通りである。また、筆者個人に限っては、最近めっきり“宇宙ファン”になってしまった、ということも大きい。映画とは違い、こちらについては胸を張って“ライトな”と自称できる程度ではあるが、日々自室に帰れば宇宙関連の番組を見たり、文献を読んだりしていることは事実だ。

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 本作の評価における分水嶺として、この“宇宙ファン”という要素が、実は結構重要なんじゃないか、と筆者は思うのだ。どういうことかと言うと、本作は“極めて正統的なSFものの名作”でありながら、宇宙に無関心な者にとっては“単なるオカルティックなファンタジー”になってしまいかねないからである。

 “SF”、すなわち、“サイエンス・フィクション”の定義など本当は個々人が自由に設定すればいいのだが、一応“科学的な空想に基づいたフィクション”というのが最も一般的な定義なのではなかろうか。時空を超越したワープを実行したり、超文明の宇宙人と白熱のバトルを繰り広げたりする展開を現在の科学水準に照らすなら、ともすれば一笑に付すべき幼稚なファンタジーと感じらるかもしれない。しかし、“SF”における“ファンタジー”は、それがどんなに幼稚でバカバカしかろうが、全てすべからく“現代科学の延長”にある。つまり、“ファンタジー”に合理的、あるいは、理論的な説明を必要とするのが“SF”というジャンル。

 例えば、「宇宙飛行士が幾年月の間に巨大怪獣になった」などと言うのは、それだけでは“ファンタジー”である。いくら長い時間が過ぎたからと言って、現在我々が知る科学の範疇では、一介の人類が巨大怪獣になったりはしない。しかし、“生物には想像を絶する環境適応能力がある”という生物学的知識と“宇宙環境(重力的変化、宇宙線の照射等)は地球生物に想像を絶する変化をもたらしうる”という宇宙物理学的知識。これらを“土台”として考えるなら、希薄な重力しか無く、かつ、おびただしい宇宙線に晒される火星に放置された宇宙飛行士が、幾年月の間に巨大怪獣ジャミラへと変貌した、という顛末も“あり得る飛躍”として受け入れることができるだろう。

 “現代科学を「土台」とした「あり得る飛躍」”、これこそが、SFにおけるファンタジーである。

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 そういった観点を持って鑑賞すると、本作では実にたくさんの“SF”に出会うことができる。太陽系内に突如現れたワームホール、コールドスリープのデバイス、高度な人工知能を搭載した自立型ロボット、超重力の惑星やブラックホールへの突入、そして、重力の謎の解明。これらは全て現代の科学水準に照らして荒唐無稽な夢物語なのかもしれないが、しかし、現代科学の延長として“あり得る”ものばかりである。

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 問題は、クーパーが高次元の存在になる、という終盤の展開だ。

 俺のことはいいから行けぇ!という古くさい見せ場の末、ブラックホールのただ中へと落つクーパー。あわや絶命の刹那、何かに導かれるように宇宙船から緊急脱出すると、そこは四方を“本棚の裏”に囲まれた謎の空間だった。並ぶ本の隙間から見えるのは、地球に残したまま既に何十年も過ぎてしまった最愛の娘マーフィー。彼女を残し旅立ったまさにその当時のまま、彼女は目の前にいる。愛しさと切なさと歯がゆさの渦中でパニックに陥ったクーパーは、一心不乱に“本棚の裏”を叩き、本が何冊か落ちる…。

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 この空間は、我々が現在知覚できる四次元を超えた五次元以上の高次元空間である。時間と空間の両方、つまり、“天元”を自在に行き来できる場所だ。これまでのスペースっぽい“(エセ)科学”から一転、このシークエンスは、極めてファンタジー寄りの展開と感じる人は多いだろう。SF映画史に残る傑作『2001年宇宙の旅』においても物語終盤、主人公のボーマンが高次元の存在(スター・チャイルド)となってしまうが、あれはあれである意味唐突なファンタジーであった。

 そういった感想を抱く最大の原因は、「土台」の欠如、であると筆者は考える。ブラックホールに落ちたからといって、なにゆえクーパーは高次元の存在となった?ブラックホールが計り知れない重力井戸だ、ということは知っているが、なにゆえ次元を超越することができる?

 ここでしっかりと確認しておきたいのは、“重力は次元を超越する”、という“科学的事実”である(もちろん、厳密には“説”の域を出ないものではあろうが。)。我々が現在観測できる力(電磁気力とか、弱い力とか、強い力とか、そーゆーやつ)の中でも重力は飛び抜けて薄弱な力であり、それを説明せしめるためには、重力には次元を越えて拡散する性質がある、と考えるしかない。これが科学が導き出した現時点での最も合理的な説明である。この点を“土台”としてきちんと知っておかなければ、本作終盤の展開は、見るも無惨な“オカルト”でしかなくなる。もちろん、重力の性質については、作中幾度となく説明されるのだが、この事実を本作において初めて見聞した者にとっては、既にそんな重力の性質自体が“飛躍”と感じられるだろう。一方で、重力の性質を本作外で予め聞きかじっていた者は、作中の説明から既知の“土台”を構築し、「次元を超越する重力が人智を越えた超密度で結集するブラックホール内に人類が生身で飛び込んだ結果、四次元を超えた高次元存在へと移行した」という“飛躍”も“あり得る飛躍”として受け入れ得るのである。

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 さらに、ここから派生して、あるいは、この“飛躍”を補足する形で登場した“クーパーを高次元へと導いたのは「愛」である”との説明に、筆者は痛く感動した。重力だって、かつては完膚無きまでに謎の力であった。人類には観測できない不存在の概念であった。しかし、人は地に足を着け、惑星は公転する。理由は無くとも、存在は確認できなくとも、そこには確かに“作用”があったのである。ならば、「愛」も同じではないか。仕組みなど分からない。在処など知るものはいない。それでも、人は愛し合う。“運命”と呼ぶのはいささか陳腐に過ぎるとしても、誕生以来、人は互いに引き合ってきた。地を覆う都市を築こうとも、天を衝くビルを建てようとも、人は、愛し合うことをやめようとしない。確かな“作用”がそこにはあるのである。

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 重力解明の歴史という“土台”からの“あり得る飛躍”として、これほどまでに情緒的で説得的な展開が他にあろうか。壮大であり、なおかつ、繊細。本当に感動した。

 と、いうことは、つまり、筆者は“クーパーを導いたのは高次元の地球外生命体である”という説を否定したいのである。もちろん、この説も極めて説得的であり、かつ、むしろこちらの方が本作の解釈として適切であるとすら言えるかもしれない。そもそも、太陽系内に突如ワームホールが出現したのは異星人が手を加えたからだ、と明言されていたような気もするから、本作を語る上で異星人の存在を全く無しとするわけにはいかない。それでも、やはり筆者は、少なくともクーパーを高次元存在へと移行させた主たる要因は「愛」だと主張したい。

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 “高次元生命体説”を通説たらしめる最大の理由は、あろうことかクーパー自身がその旨の発言をしている、という点にある。しかし、クーパーは同時に「俺を導いたのは俺自身だ」という発言もしているし(正直、この辺りは筆者の読解力不足である。)、ワームホール内でアメリアに触れたのは高次元生物ではなかった(実は未来のクーパー自身だった)、という“高次元生命体説”に反する描写が存在する。さらに、アメリアが自身の決断に際して恋人との“「愛」の作用”を説明する、という“「愛」説”に有利なフラグが立っているため、やはり、「愛」が持つ未知なる力を信じる余地は、充分にあるのではないだろうか。

点数:87/100点
 未来が現在になった21世紀において、人類の飽くなき進歩とその根源的本質を同時に堪能できる素晴らしき“SF”。クリストファー・ノーラン、やはりすごな!という感じである。なお、本作を鑑賞するにあたっては、ノーラン自身も強く意識したという『2001年宇宙の旅』との共通点や、当初予定されていたスピルバーグ版プロットとの差異などに注目しても楽しいだろう。そのあたりについては今回は割愛するので、是非ご自身の目で確かめていただきたい。長々書きすぎて筆者は疲れてしまったし、“鑑賞溜め”した作品があと7本も残っている。それでも、映画の感想を書くことはやめられないのである。

(鑑賞日:2015.1.13)
(劇場:TOHOシネマズ梅田)














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