[No.320] キリング・ゾーイ/破滅への銃弾(Killing Zoe) <68点>





キャッチコピー:『悪の華を咲かせる。』

 棚からぼた餅シルブ・プ・レ

三文あらすじ:旧友エリック(ジャン=ユーグ・アングラード)の銀行強盗計画に参加するためフランスにやって来たアメリカ人の金庫破りゼッド(エリック・ストルツ)は、ホテルで娼婦のゾーイ(ジュリー・デルピー)と一夜を過ごす。ゼッドはその後、エリックに誘われるままアルコールとドラッグにまみれたパーティーへ。翌朝、彼らが押し入ったのは、偶然にもゾーイが勤める銀行だった・・・


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 今回感想を述べたいのは、筆者が敬愛して止まないクエンティン・タランティーノが制作総指揮を務める作品『キリング・ゾーイ/破滅への銃弾』である。

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 日本においては(現在も)DVD未発売という幻の作品。しかし、カルトファンの後押しを受けてか受けずか、昨年2014年12月にディレクターズカット版Blu-rayが発売された。では、タランティーノファンである筆者はこのBlu-rayをいち早く購入し鑑賞したのか、というと答えは否で、なんと近くの映画館で鑑賞したのである。安い元手で商売しようなんて“棚からぼた餅”的映画館だな!と早計な憤りをみせてはいけない。“午前十時の映画祭”しかり、古き良き往年の名作を今再び銀幕で堪能出来るこのような趣向に対して、我々ゆとり世代の映画鑑賞者は惜しみない感謝で以て応えるべきである。ましてや本作に限っては、筆者のようなタランティーノファンなら歓喜して当然と言えよう。

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 もっとも、“制作総指揮クエンティン・タランティーノ”だからと言って過剰な期待は禁物だ。彼が本作にクレジットされているのは、監督ロジャー・エイバリーと仲良しだったからにすぎない(仲良し、と言っていいのかな。本作制作時が彼らの確執の時期と被っていたは失念してしまった。)。つまり、「名前だけ貸してよ。」「うん、ファッキンいいよ。」で制作総指揮になっただけで、タランティーノはほとんど本作に関与していないらしい。

 そんな姑息な手段で以て作品のネイム・バリューを上げようなんて、まったく“棚からぼた餅”的監督だな!、と憤るのは、いささか正しい反応ではある。しかし、このロジャー・エイバリーという人物は、『レザボア・ドッグス』及び『トゥルー・ロマンス』において脚本の一部を担当し(後者に関してはほとんど“共著”かな。)、『パルプ・フィクション』の原案も務めた男。他人の威を借ってやろう、という下心はあるにしても、全く無才のボンクラというわけでは決してないのである。

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 他人の威ばかり借っている“MR.ぼた餅”は、むしろ本作の主人公ゼッドだ。演じるのはエリック・ストルツ。タランティーノファンにはお馴染み、『パルプ・フィクション』で麻薬の売人ランスを演じた彼である(ちなみに“ゼッド”という名前は、同作に登場したゲイの警官と同じだな。)。

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 このゼッドという男は、“凄腕の金庫破り”という非常に格好いい肩書きを持っている。そして、作中もその名に恥じぬ破りっぷりは披露している。こいつの気にくわないところは、スタンスというか立ち位置というか、なんか生きる上での心意気みたいな部分。

 旧友であるエリックに呼ばれ、のこのことパリくんだりまでやってきた彼は、空港で乗ったタクシーの運転手が炸裂させる風俗トークをニヒルに一笑しつつも、その夜、ちゃっかり運転手が紹介した娼婦(ゾーイ)を呼ぶ。体の相性も良く、人間的にもゾーイを気に入ったふしのゼッドだが、約束の時間にやってきたエリックが彼女を邪険に室外へと追い出しても、ただその様を見ているだけ。その後は一晩中エリックと共に、酒とドラッグで溢れた不届きな夜を過ごすのであるが、ここでもゼッドは、もう俺はいいって…もう俺はいいって…と口でこそ言うものの、なんやかんやエリックにされるがままに強烈なドラッグを服用し続け、仕舞いにはフラフラのヘロヘロになってしまうのである。「ここにはうざってぇ観光客はいねぇ!俺が“本当のパリ”を教えてやるぜ!」なんて押しつけがましいエリックにも辟易だが、終始無抵抗なゼッドにもイライラ。

 翌日は強盗だ。しかし、ここでも彼は、終始エリックの庇護の下、一人でぬくぬくと金庫破りに勤しむ。階上でのいざこざやハプニングなど、彼には知る由もない。で、結局、警察が突入、偶然にもゾーイと鉢合わせたゼッドは、彼女に引かれるまま脱出を試み、ゼッドを裏切り者と断じた上でこれに立ちはだかるエリックが間一髪で駆けつけた警官に銃殺されると、ゾーイの機転によってあたかも人質であったかのように銀行を後にするのである。

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 おい!お前、何もしてへんやんけ!

 本作の主人公ゼッドは、一から十まで受動的なキャラクターとして描かれている。ゾーイにしてもエリックにしても、何かとゼッドのために気を揉んでやり、何かと世話を焼いてやる。その結果、彼は、金塊こそ手に入れ損ねたものの、カリスマ性と引き換えに常軌を逸したような悪友と永遠に手を切ることができ、胸部の脂肪と引き換えに抜群の美貌と人間性を備えたような美女を得たのである。おまけに自身の身は潔白そのもの。今後は、美術家(彫刻家だったかな。)を目指すゾーイと二人で、貧乏ながらもセックス三昧の幸せな毎日をつつがなく送ることであろう。そーいえば、パリの初日に繰り広げられたゼッドとゾーイの性交渉において、騎乗位のみが執拗なまでに描写されていたことも、ゼッドのキャラクターを始めとした色んなことを暗示しているような気がしてきた。

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 なんなんだ、この体たらくな主人公は!お前はイケメンやから何もせんでもみんな色々してくれるけど、現実のブサイクはそーはいけへんねんぞ!つまんねー映画だな!プンスカ!と、自身の自堕落を棚に上げ、筆者は一人で憤っていたのであるが、本作のラストには少し感銘を受けた。先述の通り、なんやかんやの“棚ぼた”の末、無事に銀行を出たゼッドは、ゾーイの車でその場を後にする(ここでも人に頼ってる!乗るべき夜は乗らず、乗せるべき昼は乗せず、とは!)。パリの街を颯爽と行く真っ赤な小型車。「私の家に来て。傷の手当てをするわ。」とは、殊勝な貧乳美人ゾーイのセリフ。「そうしたら、その後は…」彼女は続ける。

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「“本当のパリ”を見せてあげるわ。」


 あー、そういうことね。と、ここで前半のやけに長く、やけに下品な“ドラッグ・パーティー”のシークエンスが持つ意味を我々は理解することになる。つまり、本作は、エリックが象徴する“パリのダークサイド”とゾーイが象徴する“パリのライトサイド”をゼッドという“傍観者”を通して描きたかったのではなかろうか。もちろん、強盗だったり娼婦だったり、両サイドを象徴するキャラには、監督なりのエンターテイメント的味付けがされてはいる。しかし、それも、「人を惹き付けるカリスマ性には溢れているが、一歩間違えば本当に道を踏み外してしまうというパリの“絶望的側面”」と「貧しく、一見して正統な道を踏み外しているように見えても、実は確固たる夢に溢れているパリの“希望的側面”」を象徴していると言えそうだ。そして、作中ほとんど何もしないゼッドは、パリを観光する我々と同様、悪い面も良い面も体験し、“本当のパリ”を知る。

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 ふむ、そう考えれば、終盤まであまりおもしろくなかった本作も、概ねセ・ボンな作品だと言えそうである。

点数:68/100点
 まぁ、そうはいってもやっぱりタランティーノ作品のような興奮にはほど遠い。タランティーノ的な雰囲気は確かに若干漂っているものの、どこか今一歩突き抜けていないのである。さしずめ、“掃きだめの子犬たち”。そんな作品だ。

(鑑賞日:2015.1.14)
(劇場:塚口さんさん劇場)

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棚から牡丹餅の含蓄は「何もせずに」じゃなくて「予想もしない」やったような。

  • Mr. Alan Smithee
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Re: タイトルなし

そうなんです。
何もしなかったくせに、ゼッドは予想もしない幸運を引き当てるのです。
まったくけしからん奴です。
凱旋門からクロワッサン、と言い換えることもできるでしょう。

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