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2015

[No.332] バードマン あるいは (無知がもたらす予期せぬ奇跡)(Birdman or The Unexpected Virtue of Ignorance) <78点>

CATEGORYドラマ
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キャッチコピー:『もういちど輝くために、もういちど愛されるために、すべてを手放し、羽ばたこう。』

 大人になっても、奇跡は起こるよ。

三文あらすじ:かつて、大ヒットヒーロー超大作『バードマン(Birdman)』の主役を3作に渡って務め、一躍世界のトップ・アクターとなったハリウッド俳優、リーガン・トムソン(マイケル・キートン)。しかし、それは20年前の話、60代になり、世間から既に忘れ去られた彼は、再起を賭けてレイモンド・カーヴァーの短編小説『愛について語るとき我々の語ること』を自ら舞台用に脚色し、遂にブロードウェイでの上演までこぎつける。ブロードウェイのスター俳優マイク・シャイナー(エドワード・ノートン)や別れた妻との娘サム(エマ・ストーン)ら関係者とのトラブル、そして、自身の内に語りかけるバードマンの幻聴と戦いながら、リーガンは、なんとか舞台初日の成功を目指すのだが・・・


~*~*~*~


 先頃発表された第87回アカデミー賞において、作品賞を含む4冠を達成した本作『バードマン』。対抗馬は色々あったけれど、やっぱり『6歳のボクが、大人になるまで。』を作品賞に予想していた人が多かったように思う。まぁ、12年間も同一のキャストで撮影を続け、しっかり一本の映画に仕立て上げるなんて、素人の我々から見ても相当のスゴ技。ショウビズ界に精通したアカデミー会員たちはきっと大きく心を揺さぶられ、みな同作に投票するに違いない。と、日本のいわゆる“映画評論家”たちが考えたことも、至って真っ当に思える。些細ないざこざですぐ破綻してしまう昨今のハリウッド映画企画を鑑みれば、同作はまさに“奇跡の一本”と呼んで差し支えあるまい。

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 では、そんな『6歳の~』を含めた他の名作たちを押さえ、作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞の4冠に輝いた本作は、いったいどんな作品なのか。日本公開日から1日遅れの4月11日に早速鑑賞してきた筆者の感想としては、こりゃあ、なんだか難しい映画だぞ、というのが、正直なところである。もちろん、毎度のことながら映画に対する筆者の“無知”ゆえ、そのような愚かしい感想を抱いているという可能性は大いにある。したがって、以下の文章は、名も無き一般人がなんとなく感じたことをそのまま書き殴った稚拙な感想になるだろう。もちろん、そこにはなんら“奇跡”が起こる余地はない。

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 さて、本作を鑑賞した筆者が何をそんなに“難しい”と感じたか、というと、本作は、主人公の心の機微が理解しづらい作品なのである。

 主人公リーガン・トムソンは、60代の老俳優。かつてはヒーロー・ブロックバスターに出演し、世界的な人気者だった。しかし、ショウビズ界の移り変わりは早い。今では彼のことなど誰の興味にもなく、もう一度脚光を浴びたいと願うリーガンは、再起を賭けてブロードウェイの舞台に向かっていくのである。その過程でいろんな人との確執があったり、娘や元妻との和解があったり、自身の後悔や懺悔を経た成長があったりしつつ、最終的には明日へと一歩を踏み出す…。

 まぁ、だいたいこんなあらすじだろう。そして、これだけ聞けば、本作は至極親切な“中年サクセス・ストーリー”に他ならない。こういうのは、観客の心を掴みやすい題材である。世の中年オヤジなんてみんな似たり寄ったり、抱える悩みはそう違わない。若かりしころの栄光から抜け出せぬまま、今、愛されることを望む。それが、“リアルな中年オヤジ”ってもんだ。

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 しかし、本作における主人公リーガンは、以上のようなあらすじ通りの素直な流れで成長していくわけではない。プレビュー公演間際に事故で入院した俳優の代役として名優マイク・シャイナーが来た!と喜んだら、当のマイクに俳優としての格の違いをこっぴどく見せつけられ、深く落ち込む。プレビューが上手くいった!と喜んだら、翌日の新聞にほとんど取り上げられなくて、深く落ち込む。その他、喜んでは落ち込み、立ち直っては立ち止まりを散々繰り返していくのである。確かに、挙げては落とし、また挙げては落とし、という展開は、サクセス・ストーリーの定石に違いない。しかし、リーガンが落とされる展開の中には、あれ、文脈的にそれは別に落ち込まんでもいいことなんちゃうん?というようなものも混じっていたりするので、リーガンという男が何を考えているのか、こちらとしてもだんだん分からなくなってくる。

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 そして、そうこうしている内に物語はクライマックスを迎え、彼は舞台上で自らの脳天を撃ち抜くのである。正確には弾は逸れ、彼の鼻が吹き飛んだだけだったのだが、筆者などはこの展開に対して、“え、どっちだい??”と少しだけ戸惑った。すなわち、リーガンは、計算の上で発砲したのか、それとも、本当に自殺しようとしたのか、の二択である。まぁ、落ち着いて考えてみれば、おそらくは、彼の緻密な計算の上に成り立った大胆な行動だったと解釈すべきなのだろう。たぶんね、たぶんそうだと思う。でも、やや分かりづらい。もちろん、監督がわざとそういう風に描いていって、観客にも分からなくしたのだとは思うのだが。

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 思えば、本作には、リーガンの本心をぼかすための仕掛けが色々施してあった。大まかなあらすじだけ聞けばまるで第81回アカデミー賞を賑わせた『レスラー』のような本作だが、同作とは違い、本作にはいくつかのギミックが追加されている。そして、それらギミックによって、主人公であるリーガンという男のキャラクターが、なかなか一筋縄ではいかないものに仕上がっているのである。

 そのギミックとは、例えば、リーガンが聞く“バードマンの幻聴”。そして、リーガンが有する“念動力(テレキネシス)”である。

 前者に関しては、まぁ言ってみればけっこうベタなギミックだろう。リーガンが一人きりになるときまって聞こえてくるバードマンの声は、彼の認めたくない本心の現れ。リーガンの舞台を罵倒し、現在の状況を酷評し、彼のアーティストとしての道を阻む内なる声。言い換えれば、リーガンを“バードマン”=“過去”に縛り付ける呪縛である。

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 これに対して、リーガンの念動力については、なかなか分かりづらい。彼は、物語冒頭から念動力を使いまくる。そもそも初登場時には、楽屋で一人宙に浮いていた。その後も、手も触れずにいろんな小物をクルクル回してみたり、激高した際には部屋中の品々を手も使わずに飛ばして破壊したり。挙げ句の果てには、ビルの屋上から飛び降り、そのままニューヨークの街中を颯爽と飛行、劇場の前に降り立つ、というシークエンスまで登場する。

 そして、この念動力のやっかいなところは、客観的な観察者がいる、という点。まぁ、一人きりのときはリーガンの胸中を映画的に描いたファンタジーシーンなのかな、という感じだが、街飛行シーンでは、ビルから飛び降りる際にそれを止める第三者がいる。これは分かりづらい。リーガンは本当に超能力者なのか、それとも、全ての能力は彼の単なる妄想なのだろうか。

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 一応、終盤までのシーンでは、超能力の存在を否定することが可能だと思う。リーガンが一人でいるときはそもそも彼の妄想でカタが付くし、部屋中を荒らしたシークエンスのラストで彼の友人が入ってきたときには、リーガンは物品を手で掴んで投げていた。また、街飛行シークエンスのラストでは、タクシードライバーがリーガンの無賃乗車に怒りながら彼の後を追っていくというシーンが挿入されているため、実際のところリーガンは飛行によってではなくタクシーで帰ってきたことが分かる。なるほど、やはり、追い詰められたリーガンの“狂気”みたいなものを表現しているのだな、と早計な鑑賞者は早合点し、安堵する。

 ところが!本作ラストシーンでは、リーガンが実際に宙に浮いているとしか解釈できない描写が登場するのである。確かにこのシーンでは、リーガンが宙に浮くビジュアルが直接描かれるわけではない。しかし、彼の姿を追ったサムが思いっきり中空を見つめていて、しかも、それまでの文脈を勘案するなら、その表情は、あわや自殺したかと心底心配した我が父の元気な浮遊姿を目撃した少女の、安堵と驚愕の表情にしか見えないのである。ふーむ、どういうことなのかな?

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 よくよく考えてみれば、これはけっこう困った描写なんだよな。リーガンが本当に飛んだと考えるなら、本作はラストで突然、ある種の“ファンタジー”になってしまったことになる。一方で、リーガンが過去と決別し明日への一歩を踏み出したことの単なる比喩だと考えたとしても、その比喩には客観的存在であったはずのサムが巻き込まれているので、いずれにせよ、一人の中年オヤジが再起するまでの“リアル”な物語を応援していた我々としては、少しだけ突き放されてしまうわけである。

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 ん~…でも、まぁ個人的には…やっぱり、リーガンは本当に飛んだ、という説を推したいかなぁ。

 我思うに、リーガンって、若いときは本当に超能力を使えたのではないだろうか。もちろん、メタな視点から見れば、それはかつて勢いがあったころの彼の野望だったり夢だったり輝きだったり活力だったりといったことの象徴である。しかし、本作の枠組みの中では、この『バードマン』という映画世界の中では、彼は、実際に超能力者だった。ところが、彼は、やがてその力を失う。栄光の果ての傲慢。名声がもたらす怠慢。浪漫の欠如は、彼を普通の人間に、つまらないただの“中年オヤジ”へと変貌させた。これではいけない。惨めな中年オヤジは、本当の自分を取り戻すため、本当に大切なものを守るため、再起を賭けて一世一代の大勝負に挑む。当然、それは平坦な道のりではない。周囲との確執。自分との悪戦苦闘。しかし、自身の弱さと向き合い己の未熟さに打ち勝ったとき、中年オヤジはかつてのあの輝きを取り戻し、そして、今再び空を“飛ぶ”…

 ん~…ちょっと長いな。もう少し端的にまとめてみよう。

 魔法使いのリーガンは、夢をいっぱいにたたえて大都会にやってくる。そこで職を見つけなんとかかんとか頑張るも、やがてスランプに陥って空を飛べなくなってしまう。落ち込み、悩みながらも、相棒である“バードマン”と共に模索し、やがて周囲の人の優しさに包まれたとき、一人前の大人へと成長した彼は、また飛行の能力を取り戻す…



 …あれ、これは『魔女の宅急便』だな!実は、本作鑑賞後、筆者がまっさきに思い描いたのは、“リーガン”=“キキ”という方程式であった。まぁ、本作の監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥが『魔女宅』を知っているかは定かでないが、両作には驚くほど似た部分が多い。そう、本作は、バードマンとジジの役割を逆転させた『魔女の宅急便』なんだ。本作を鑑賞した人は、試しに『魔女宅』の主題歌『やさしさに包まれたなら』をもう一度聞き直してみてもらいたい。この歌詞なんて、もうリーガンのことを歌っているようにしか思えないではないか。

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 いや、もちろん、本当はそうではなくて、きっと他にオマージュしているものがあるんだとは思う。まぁ、だいたい批評家たちに絶賛される作品なんてのは、過去の名作を華麗に取り込んでいるものだ。したがって、以上で書いた稚拙な駄文は、映画史に無知な筆者が奇跡的に思いついた、くだらない感想でしかないのである。

点数:78/100点
 なんだか不満めいたことを書いてしまったが、誤解の無いように言っておくと、本作はとてもおもしろい。“なんだか分かりづらい”という筆者の感想も、リンチ作品鑑賞後のような「はぁ?意味分からん!」というものではない。ともすれば一気にバカ映画へと転落しそうな描写を絶妙の世界観の中で描いているからこそ出てくる疑問なのである。それから、今回は、撮影監督エマニュエル・ルベツキの匠の技について一切触れなかった。本作でアカデミー撮影賞を受賞した彼について述べないとは愚の骨頂だが、長くなりすぎたので、それはまた別の機会に。これは本当に偶然なのだが、本作鑑賞直前、筆者は、ルベツキが撮影監督を務めた『ゼロ・グラビティ』をそうとは知らずに鑑賞しているのである。さすがにこれを“奇跡”と呼んでしまうのは、少しやりすぎだろうか。

<おまけ>
 『魔女宅』の主題歌『やさしさに包まれたなら』。筆者のしょうもないこじつけなんてもうどうでも良い。改めて、真の名曲である。


(鑑賞日[初]:2015.4.11)
(劇場:TOHOシネマズ梅田)










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