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キャッチコピー
・英語版:unknown
・日本語版:カッコイイとは、こういうことさ。

 時には昔の話を。

三文あらすじ:人間に嫌気がさした大戦の英雄マルコ・パゴット大尉(声:森山周一郎)は、自らに魔法をかけることで豚になり、賞金稼ぎ”ポルコ・ロッソ”(紅の豚)としてアドリア海で名を馳せる。あるとき、飛行艇の不調のためアメリカの賞金稼ぎドナルド・カーチス(声:大塚明夫)に撃墜されたポルコは、事の成り行きから飛行艇屋のフィオ・ピッコロ(声:岡村明美)を賭けてカーチスとの再戦に挑むことに。勝負の行方は、そして、ジーナさん(声:加藤登紀子)の賭けは果たしてどうなったのか・・・

 
~*~*~*~

  
 筆者のオールタイム・ベストであり、実は当ブログ名も本作の主題歌『時には昔の話を』から勝手に拝借している。もう幾度となく鑑賞してるが、その度に最高の映画だと思い知らされる傑作だ。

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 まず、本作の世界観を支える重要なファクターの一つとして、登場人物のステキさを挙げたいと思う。本作の登場人物に悪人は一人もいない。庭師のおじいさんの言葉を借りるなら、全員が”気持ちのいい連中”。マンマユート団のボスも、カーチスも、飛行艇に乗っているときはポルコを撃墜しようとする敵であるが、夜になればホテル・アドリアーノに飛行艇を並べ、同じ空間で酒を飲む。悪態はつき合えど、彼らは決して互いに憎み合っているわけではない。そこには、やるときは飛行艇で正々堂々といった飛行艇乗りのプライドが伺える。厳密には、彼らは敵ではなく"ライバル"と言ったほうがいいだろう。フィオが”トンカチ”と酷評しなくても、豚をミンチにしたり、ハレンチで真っ赤っかな船をぶち壊したりは結局しなかったのではないだろうか。

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 ちなみに、宮崎アニメにおける"完全な悪人"は、筆者が知る限りムスカ大佐カリオストロ伯爵のみである。クシャナ殿下はナウシカに理解を示したし、エボシ様はタタラ場を守るという信念を持っていた。カオナシもただ寂しかっただけである。彼らはナウシカやアシタカや千尋と"相対する勢力"ではあっただろうが、一般的・客観的に"悪人"と断じ得るキャラクターではなかったと思う。対するムスカ&カリオストロは、2人とも私利私欲のために人を殺し、可憐な美少女の髪を切ったり、薬で口をきけなくしたりする。なんという極悪非道。よって、この2人だけは明確な死亡シーンが描かれている、というわけだ。

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 話を戻して、本作で筆者が一番気に入っているシークエンスは、ポルコがフェラーリンと会話する映画館の場面である。この一連のシーンには、本作のテーマや先々の展開が余すところなく凝縮されている。

 マルコ・パゴット大尉は、不必要な戦闘を繰り返す戦争、その中で信念を失い殺戮の機械と化してしまう人間、そして、何よりベルリーニを始めとする戦友達を救えなかった自分自身に失望し、人間であることを止めて"ポルコ・ロッソ(紅の豚)"となった。そんな彼に、戦友であり今も軍に残っているフェラーリンは、彼が軍にマークされていることを伝える。ポルコは高らかに笑い、上映中の映画を「ひでぇ映画だ。」と酷評。ここでポルコたちが観ているのは、ミッキーみたいな主人公が飛行機で悪そうなドラゴンをとっちめている場面。フェラーリンは、ポルコに空軍への復帰を勧めるが、ポルコは「ファシストになるより豚のほうがましだ。」とつれない態度。

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 この偽ミッキーとドラゴンの戦闘は、過去との関係では戦争のメタファー、未来との関係ではカーチスとの対戦を象徴しているのだろう。フェラーリンは続ける。「冒険飛行家の時代は終わっちまったんだ。これからは国家とか民族とか、くだらないスポンサーを背負って飛ぶしかないのさ。」と。もちろん、フェラーリンはロマンを失った空に満足している訳ではない。その証拠に、彼はこの台詞に続けてポルコのポップコーンを奪い取り、勝手にバリバリ食べてしまう。そこには、未だ飛行艇にロマンを求め続けているポルコへの一種の”羨み”が見て取れる。そんなフェラーリンに対し、ポルコは「俺は俺の稼ぎでしか飛ばねぇよ。」と宣言し、あくまで軍には戻らない意思を表明。ここで、フェラーリンが口を開く。

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「飛んだところで豚は豚だぜ。」


 このセリフこそが、『紅の豚』における真の名セリフである。"飛べねぇ"じゃなくて"飛ばねぇ"なんだよ!自由意思の介在こそがポイントなんだよ!と、なにかと「飛ばねぇ豚はただの豚だ。」のみが注目されがちな本作だが、本当にその台詞の味わいを理解したいのであれば、フェラーリンの上記名言とセットで覚えておくのが正解だろう。ここでのフェラーリンの真意は、もちろん、ポルコに対する”もう自分を許してやれよ”という気持ち。しかし、ここに前述の羨みの気持ちが付加されて、実際にはこのような物言いとして表出されたのだと思われる。

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 劇中の映画は大団円を迎え、偽ミッキーが偽ミニーと交わす熱いキス。アニメチックに、かつ大げさに画面いっぱいに広がるハートマーク。フェラーリンは、再び名言を吐く。

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「いい映画じゃないか。」


 ポルコは、この偽ミッキーの物語における戦闘部分のみを観て「ひでぇ映画だ。」と吐き捨てた。でも、そうだろうか。彼らの"人生"は、彼らが"空を飛ぶ"ということは、果たして他人を傷つけるだけの悪業でしかないのだろうか。もちろん、飛行艇は"兵器"だ。本作の後、現在に至るまでの間にも、数段パワーアップされた戦闘機たちが日々死傷者を生み続けている。でも、それでも。それでも、人は生き続けなければならない。飛び続けなければならない。ポンコツばかりが集まった海賊船の船長としてでもいい。政府に魂を売った軍人としてでもいい。己の醜さや、愚かさや、後悔を抱えたまま、それでも、人は飛び続ける。悲しみを隠れ蓑にした怠惰な"豚"としてではなく、ひとりのくだらない"自分"のままで、飛び続けるのである。

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 もちろん、人生の大半は、無駄な後悔をもて余し、安っぽい自責の念とにらめっこしながら過ごすことになるだろう。でも、時には、この偽ミッキーのように誰かを救うことだってある。カーチスが言いたいのは、そして、本作が描こうとしているのは、きっとそういうことだ。”上映中の映画”=”「マルコ」の人生”まだ捨てたものじゃないって、きっとそう訴えている。事実、偽ミッキーの物語は、この『紅の豚』という作品の中で具現化される。フィオに出会うことで”人間も捨てたもんじゃねぇ”と思えるようになったポルコは、フィオを守るための飛行艇バトルの末、彼女のキスで人間に戻るのである。

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 このように、フェラーリンはかつて志を共にした戦友としてポルコを後押しする存在だが、決定的・直接的にポルコを救ったのは、やはりフィオ・ピッコロというひとりの少女である。純粋無垢な彼女には、世界のありのままを感じ取る力がある。裏のどぶ川から飛び立った後のシーンで、日の光に煌めく野と海を目にした彼女は、素直に「キレイ…世界って本当にキレイ…。」と呟く。しかし、心を閉ざしたこの時点のポルコには、「海も陸(おか)も見た目は良いがな、中身はみんなすっからかんなのさ。」と、そんな風に見えてしまうわけだ。ちなみに、宮崎作品のヒロインは、全員「キレイ…。」という台詞を口にするらしいのでチェックしてみて欲しい。

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 この”ポルコの閉ざされた心”の象徴が、彼のしているサングラス。鼻を丸出しにしているポルコにとって、サングラスは豚たることを隠すには役立たずだし、映画館内でも着用していることから遮光用とも思えない。つまり、それは、紛れもなく彼が文字通り”色眼鏡”で世界を見ているということのメタファーなのである。よって、フェラーリンに諭されたときには、ポルコの心はまだ完全には開いていない。しかし、ラストで去り際のフィオにキスされたシーン、ここではサングラスがばっちり割れている。この時点で、ポルコはすっかり心を開き、”人間も捨てたもんじゃねぇ”と本気で思えるようになっていたわけだ。そんな心境の変化に"お姫様"たるフィオのキスが重なって、まるで”カエルにされた王子様が人間に戻る”ように、彼は"マルコ"の姿を取り戻す。

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 そして、このように考えてくると、ポルコ救済に実は大きな役割を担っていたのが、宿敵ドナルド・カーチスだったということが分かる。ポルコのサングラスを渾身のパンチで叩き割ったのは、他ならぬカーチスだ。また、後述のように、ポルコが自責の念を抱く大きな要因でもある"ジーナへの想い"に気付かせてくれたのも、またカーチス。したがって、しばしば"カッコイイ"などというフレーズで形容されがちな本作は、実はひとりの怠惰な"豚"が、彼を取り巻く様々な人物に支えられ、次第に失った自分を取り戻していくという、そんなある意味で"カッコ悪い物語"なのである(まぁ、人間のカッコ悪さもきちんと織り込んでいるところがカッコイイんじゃないか!という逆説的な主張をされれば、それもそうだな、と頷くしかないのだが。)。

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 以上を前提にすれば、ジーナさんの賭けがどうなったのかは、もはや改めて付言するまでもないだろう。ポルコが昼間のホテル・アドリアーノに姿を現さないのは、自分自身を許せないからだ。卑近な言い方をすれば、日の下ではジーナさんに会わせる顔がないのである。もちろん、彼が感じているジーナへの自責の念には、"恋"という要素が多分に寄与している。ポルコはジーナが好きだ。ジーナもポルコ(マルコ)を愛している。でも、ポルコからすれば、旦那を殺しておいてその妻と体良くくっ付けなんて、そんな虫の良い話はない。だから、ポルコは、夜のアドリアーノに客としてしか足を運ばない(まぁ、その後プライベートな感じで飯食ったりもしているが。)。昼間に顔を出すのは、客ではなく、ひとりの"人間"として、なにより"男"としての決意を彼女に伝えるときだけなのである(事実、花束持参で愛を伝えに来たカーチスは、昼日中に現れた。)。

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 しかし、ご存じの通り、フィオのキスで彼は人間に戻った。すなわち、過去の自分を許した(正確には、過ちを抱えたまま、正々堂々もがき続けることを選んだ)のである。フィオが語るエピローグを注視すると、昼間のホテル・アドリアーノにマルコの飛行艇サボイアS.21Fが停泊していることが分かる。マルコはジーナになんと伝えたのだろうか。ひょっとしたら、もうサングラスはしていないかもしれないな。まぁ、ここは観た者それぞれが様々な解釈を展開すべきポイント。そして、自らが導き出した答えは、そっと胸の内に秘めて楽しむのが正しい。なぜなら、それは、”私たちだけの秘密”なのだから。

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点数:100/100点
 文句なし。本当に文句なしだ。筆者の稚拙な文章では、この映画の良さが1ミリも伝わらないのが歯がゆい。ここで語ったことは、ほとんどが筆者の深読みによる妄想であり、実際は、気の良い登場人物、粋な会話の数々、ポルコの渋さ、フィオの可愛さ、ジーナさんのセクシーさなども相まって、本当にステキなアドリア海の一夏が綴られていく。ただ一点、惜しむらくは糸井重里のキャッチコピーだろう。ポルコを形容する言葉は”渋い”がベストなのであって、いや、本当はそんな一言では言い表せないくらいに深み(と実は"弱さ")のあるキャラクターなのだが、やはり”カッコイイ”などという軽薄な言葉では決して表現しきれない。軽薄なのは、サボイアのカラーリングだけで十分である。

(鑑賞日:A long time ago...)

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Posted byMr.Alan Smithee

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