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20
2016

[No.376] ヴィジット(The Visit) <88点>

CATEGORYホラー
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キャッチコピー:『あなたは絶対に、“その約束”を破ることになる―。』

 シャマラン大復活をその目に焼き付ケイティ・ペリー!

三文あらすじ:シングルマザーに育てられている15歳の姉ベッカ(オリビア・デヨング)と13歳の弟タイラー( エド・オクセンボールド)は、母と15年間疎遠になっていた祖父母から、休暇を利用して遊びに来ないかとの誘いを受ける。ペンシルバニアで1週間を過ごすことになった2人は初対面の祖父母ともすぐに意気投合するが、夜中になると家の中には異様な気配が漂い、不気味な物音が響き渡る。恐怖を覚えた2人は、21:30以降絶対に部屋の外に出てはいけないという祖父母からの言い付けを破ってしまい・・・

※以下、ネタバレあり。


~*~*~*~


 世紀末の1999年、世間は、幽霊が見える一人の男の子の物語に度肝を抜かれた。今や“どんでん返し”の代名詞と言っても過言ではない名作『シックス・センス』は、丁寧なサスペンス描写と驚愕のオチを引っ提げ、M・ナイト・シャマランという男を一躍スター監督の座にのし上げたのである。しかし、彼は、その後長らく低迷する。出ては叩かれ、出ては叩かれ、仕舞いには自らの名を大々的に出すことすら止めて、ずーっと苦労してきた(個人的には『アンブレイカブル』なんかすごく好きだったし、『ヴィレッジ』も悪くは無かったと思うが。)。本作は、そんな彼の復活を高らかに、そして、こじんまりと宣言する紛れもない秀作である。

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 まぁ、いくつか感想を読んでいると、そこまでの作品では無いと思っている人も多そうである。シャマラン映画では初の試みだったとはいえ、今ではもうこすり倒された“ファウンド・フッテージ”(まぁ、本作を正確に表すなら“POV”という撮影手法のみ言及するのがよいかもしれないが。)というスタイルにそもそも倦怠感を覚えている人もいれば、思いのほか多めに含まれているコメディ要素に「おもしろいけど、ホラーとしてはどうなんやろうなぁ」という戸惑いを隠せない人もいるようだ(ちなみに、本作には当初、純粋なホラー、ホラーとコメディの中間、純粋なコメディの3パターンの構想があったらしい。)。または、シャマラン映画の中で最も低いバジェット(500万ドル)で作られた作品ということもあって、スケール的な物足りなさを感じている人だっているだろう。

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 しかしながら、筆者個人としては、シャマラン、本当によくやった!と絶賛のねぎらいを送りたいのである。本作は、本当に巧い映画だと思う。本作を全体として誉めている人も、オチは正直大したことない、と述べているが、そんなことはない。確かに、祖父母だと思っていた老夫婦が実は本当の祖父母ではなく、本当の祖父母を殺して彼らに成りすましている精神異常者だった、という本作のオチは、コンビニに売っている500円くらいの暇つぶし本にも載っていそうな雰囲気ではある。でも、鑑賞中、それを本当にズバリと予想できた人が果たして何人いるのだろう。適当に流し見していたのならいざ知らず、シャマランという監督のこれまでの作品を知っていて、なおかつ、本作にも並々ならぬ期待を寄せて真剣に鑑賞していたのなら、きっと騙されたはずなのである。また、騙されるのが正しいと思うのである。

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 つまり、シャマランという男は、悪い意味で何をするか分からない、という監督だ。これは、『シックス・センス』以降、シャマラン作品のオチに過剰な期待を寄せ、勝手に裏切られ続けてきた数多の観客が張り付けたレッテルなのかもしれないが、いずれにせよ、これまでのシャマラン作品の多くは、え?そんなオチなん?というものであった(少なくとも、大半の観客にはそう思われていた。)。

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 そして、これまでのそういう経緯を念頭に置いて真剣に鑑賞したとき、本作には、秀逸なミスリードがそこかしこに散見される。例えば、序盤の列車内で登場した黒人の車掌と中盤手前辺りで祖父母宅を訪れた男のどちらもが、かつて役者を志していた、というセリフを吐く。結局のところ、これはオチに対する何の布石でもない。強いてこじつけるなら、祖父母だと思っていた老人2人が実は“祖父母を演じていただけの他人だった”という事実へのメタ的な示唆だろう。でも、シャマラン作品だから、ということで前のめりに鑑賞していると、あれ?もしかして、ベッカとタイラーを取り巻く登場人物にはみな“何か”あるんじゃないか…?なんて邪推してしまう可能性がある。それは、『トゥルーマン・ショー』でジム・キャリーの周囲の人物が“セリフ”を間違えたときのような、あんな状況が起こっているのではないだろうか、みたいな邪推である。また、同じシャマラン作品で言うなら、『ヴィレッジ』のように、主人公を取り巻く者が結託して騙しているのではなかろうか、みたいな、そんな邪推。

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 それから、ベッカのインタビューに答えるおばあちゃんが“物語”を話し始めるシークエンス。ここもかつてのシャマラン作品が頭から離れないまま観ていると、むむ…これはまさか『レディ・イン・ザ・ウォーター』なんじゃないか…?なんて勘違いしてしまいかねない。しかも、ここでおばあちゃんは、あろうことか“宇宙人”に言及するのである。ここに至って、聡明で愚かなシャマランファンたちは、ま・さ・か…『サイン』になっていくんでしょうか…?という高揚とも失望ともつかない、シャマラン作品でこれまで幾度となく味わってきた気持ちを胸に抱く。

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 当然、それらは全てオチに何の関係もないただのミスリードだったし、筆者がまだまだ“シャマラー”として本物ではないからそんなミスリードにまんまと引っかかっただけなのかもしれないが(本物の“シャマラー”なら過去の忌まわしい“肩透かし”の数々は心の奥底に封印していて、思い出しもしないだろう。)、とにかく、筆者は、シャマランめ、自分の過去作に対する悪いイメージまでミスリードに利用してきたな!、と感心したのである。また別な言い方をすれば、これまでの自らの軌跡というか、ポートレートというか、集大成というか、まぁある種、自伝的な側面を持った作品と表現し得るかもしれない。そして、そう考えるなら、シャマランが既にこすり倒された“POV”というスタイルを敢えて用い、全体としてベッカとタイラーの“自主製作映画”というていに仕立てたことに、何らかの意味を見出したくもなるのである。

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 もちろん、相変わらず演出的な巧さも光っている。シャマランという男は、もともとスリラーとかサスペンスとかホラーとかを描くのが本当に巧い。だからこそ、観客はみなすっかりと物語に入り込み、真剣にオチを期待する。そして、明後日の方角へと飛んで行ったオチの放物線をただ茫然と見つめることになるのである。まぁ、言ってみれば、風呂敷広げが巧すぎるというわけだ。日本の漫画家で言えば浦沢直樹みたいな作り手なのである。

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 本作において、筆者が最も感銘を受けた演出が登場するのは、ばばぁとの床下チェイスのシークエンスである。ここでは、“POV”の真骨頂が垣間見える。“POV”、すなわち、“Point Of View(主観視点)”という撮影方法の一番の醍醐味は、“リアルさ”である。つまり、“映画的な演出を感じさせない”ということだ。素人カメラで撮影される映像にはカット割りなどないから、襲い来るモンスターや佇む悪霊が自然に“映り込む”。したがって、普段映画を観慣れている者ほど、自身が想像した次の演出を裏切られ、ことさらにゾクゾクするのである。

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 まぁ、それでも往々にして、まずこの世のものではない雄叫びが後ろから聞こえ、怯えた撮影者がカメラを背後に向けるとそこにモンスターがいる、というくらいの演出は入るものだが、この“床下チェイス”では、ばばぁがマジで突然にフレームインするのである。これはもう本当に、え…え…?というくらいのファースト・インプレッション。しかし、刹那にして、うわ!きたきたきた!という衝撃が我々を襲う。POV作品と相対した観客が抱く正しい心の機微とは、本当はこういったものに違いない。

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 また、このシークエンスは、締め方も素晴らしい。パニックに陥りながらもなんとか外に出たベッカとタイラー。後を追ってばばぁも出てくる。まだ逃げきれていなかった…!と、いったん緩めた気を我々が締め直した瞬間、ばばぁは快活に笑い、いやー楽しかったわね♪と笑顔を見せる。あれれ、やっぱり我々が構えすぎていただけであって、ばばぁは普通に孫と遊んでいただけだったのかな?もちろん、追い追いばばぁの狂気が顕在化していくことは分かっている。本作はホラー映画で、ばばぁは確実に加害者として配置されたキャラクターだ。しかし、映画的な構成として、まだこの段階では観客の先読みを逆手に取った、いわば“こけおどし”的なシークエンスだったのかしら、なんて、生意気な“映画好き”は再び安堵する。しかし、踵を返し去っていくばばぁの後ろ姿、すなわち、スカートがビリビリに破け、生ケツが半分見えている様が画面に映った瞬間、我々は再度戦慄するのである。あのばばぁは、やっぱり狂っている…、と。この二転三転の揺さぶり方、本当にゾクゾクする(別に筆者は、おばあさんの裸に興奮する変態ではない。)。

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 そういえば、この締め方を始めとして、本作の加害者たるばばぁとじじぃが行う“奇行”の数々は、多くの鑑賞者から“ギャグ”として捉えられているようだ。特にばばぁにおいて、夜中に全裸で壁を引っかく様とか、手を後ろで組んで家中を疾走する様とか、四足歩行で駆け回る様とか、そういうところが、怖そうに描いてるけどあんなんコントやん、と評されている。まぁ、明確に主人公の命を脅かすような行動が少ないから、"恐怖演出だ!"と気負って見ると逆に“ギャグ"に感じられるわけだが、ばばぁたちの“奇行”は、やはりあくまでも“奇行”なのであって、描写の役割としては“違和感の演出”と捉えるのが正しいように思う。逆に言うと、もともとからして必ずしも“恐怖演出”というわけではないのである。

 “恐怖演出”というやつは、概ね“対象者を殺傷する危険性”が肝になるものだ。追いかけてきたり、包丁を研いでいたり、とにかく、“恐怖”とは、大抵の場合、“身の危険”とイコールなのである。本作の序盤から中盤にかけてはそういった危険性がほとんど無いため、我々は“ギャグ”だったり“コント”という感想を持ちがちなのだが、本作は、終盤に至るまではまだ“恐怖”を演出していない。あくまでも、観客に“違和感”を植え付けているのである。実際、ばばぁやじじぃが取る不可思議な行動は、主人公の身体・生命に危害を加えるには迫力不足なものばかりだし、大抵はなんたら症候群だったり失禁癖だったりといったあり得る説明が付加される。え、何この人たち…あぁ、でもそれやったらまぁ仕方ないんかもなぁ…いや、でもやっぱり変やろ…。序盤から中盤にかけて我々が感じるべきは、こういう“違和感”や“不自然さ”なのではないだろうか。これは先述の“床下チェイス”と同様である。

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 こじんまりした作品に対してずいぶん長々と書いてしまったので、最後に個人的な捜索願いを提出して終わりたいと思う。探しているのは、『死霊館』に登場し、スピンオフ『アナベル 死霊館の人形』も公開された呪われし人形“アナベル”。本作の舞台となる家の壁には、アナベル人形の写真が飾られている、とIMDbに書いているのだが、観直してみてもどこなのかさっぱり分からない。序盤、タイラーが荷ほどきを終えた直後あたりで、確かにコルクボードに貼られた何枚かの写真が出てくるシーンがあるのだが、お目当てのアナベル人形を筆者は見つけられなかった。このシーンではないのだろうか。もしご存知の方がいれば、どこで登場するのか是非教えていただきたい。

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点数:88/100点
 個人的には、シャマラン完全復活!と奇声を上げながら失禁しそうな傑作ホラー。まぁ、確かに、シャマランにはもっと大掛かりなギミックで驚かせて欲しいんだという声も理解できるから、ここでは、こんなシャマランもアリアナ・グランデ、と言うに留めておこう。

(鑑賞日[初]:2016.4.13)






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Tag:衝撃のラスト!

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