[No.405] エンジェル・ウォーズ(Sucker Punch) <82点>





キャッチコピー:『お前の世界は自由か。』

 お前の世界を“物語”れ!

三文あらすじ:1950年代のある日、母を失った上、逆上した継父に妹を殺害されてしまった少女ベイビードール(エミリー・ブラウニング)。失意に暮れる彼女は、継父の蛮行の口封じとして精神病院に送られ、5日後にロボトミー手術を受けることに。彼女は、同じ入院患者の仲間とともに“ファンタジーの世界”へと飛び込み、精神病院から脱出するための5つのアイテムを集めるのだが・・・


~*~*~*~


 カルト界の巨匠ジョージ・A・ロメロの傑作『ゾンビ』のリメイク『ドーン・オブ・ザ・デッド』で鮮烈な監督デビューを飾り、その後、『300(スリー・ハンドレッド)』、『ウォッチメン』、『マン・オブ・スティール』、そして、『バットマン vs スーパーマン』と多くのアメコミ(または、グラフィック・ノベル)を映画化させている名匠ザック・スナイダー。そんな彼が2011年に世に送り出した、彼にとって初めての“オリジナル作品”が、本作『エンジェル・ウォーズ』である。

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 世間の評価は、概ね不評と言っていいだろう。Rotten Tomatoesなんかだと、批評家の評価が23%、一般観客の評価が47%。お世辞にも良作とは言えそうにない。まぁ、確かにそれは分かる。映像がスタイリッシュったって、どれもみなある程度の既視感からは脱却できていないし、ストーリー構成は娯楽作品として通常あり得ないほど複雑だし、よく考えてみれば、そのストーリーの本質は超が付くほど陰鬱だし、だからこそ、一見ノリノリに描かれている“ファンタジー世界”の描写が、辛い現実の単なるごまかしでしかないように見えてしまう。

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 でも、筆者は、本作に対して大変な感銘を受けた。本作は、ザック・スナイダーが思う、そして、筆者自身が思う“映画とは何か”という問いに、ひとつの明確な回答を示していると感じたからである。もちろん、他の数多の作品について語るときと同様、これは名も無き一鑑賞者が勝手に解釈した“妄想”でしかないのであるが、つまるところ本作が言いたいことはこうだ。“映画は、現実と戦うための「武器」である。”

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 本作は、現実と虚構が折り重なる多重構造で描かれていく。まず、精神病院にぶち込まれたベイビードールが何とか脱出を試みるのが現実の世界。本作の根底にあるストーリーの縦糸である。そして、この現実の上に一層乗っているのが、精神病院内の世界を全て架空の売春宿に置き換えたファンタジーの世界。“ベイビードールを始めとする捕らわれの少女たちの脱出”というストーリーの本質は現実と同じだが、登場人物の属性や配置、ベイビードールにとってのタイムリミットとしての事象など、あらゆる要素が架空の設定に置き換えられている。そして、この上にさらにもう一層乗っているのが、売春婦としてのベイビードールがダンスを踊るときに挿入されるバトル・ファンタジーの世界。ベイビードールが初めて踊ったときには単純にダンスという“戦い”をバトル・ファンタジーにデフォルメして描いていたのだが、その後、他の女の子とのチーム・プレイ時には、ベイビードールのダンスを含めた“アイテム奪取作戦”全体のメタファーとなっている。

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 このややこしい3層構造が意味するところは、ベイビードールは辛い現実と戦うためにファンタジーの世界に自己を投影している、ということであろう。精神病院での日常は売春宿での日常へ、ダンスシーン、つまり、アイテムを奪うための作戦シーンはより激しい戦闘シーンへ。まともに立ち向かうにはあまりにも辛い現実、それこそ、直視すれば気が狂うような困難と対峙するため、ベイビードールは世界をファンタジックに再構築する。これは“現実逃避”ではないと思う。彼女は、精神病院を楽園に改変したわけではないし、自分をお姫様に変身させたわけでもない。辛い現実を忘れるため虚構の世界に逃げたのではなく、彼女は、あくまでも現実と戦うために虚構を利用しているのである。

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 一応これだけでも“広い意味での「物語」は現実と戦うための武器である”というテーマは理解されるところだが、本作が素晴らしいのは、そこからもう一歩踏み込んでいるからである。すなわち、本作はこのテーマを映画作品内で完結させず、本作を鑑賞する我々観客に向けて具体的に提示してくるのである。

 本作クライマックス、主人公であったベイビードールはその命を賭してスイートピー(アビー・コーニッシュ)を逃がす。バスに揺られながら未来へと新たな一歩を踏み出したスイートピーのモノローグ。「誰が“物語”の主役なのか。誰が幕を引くのか。誰が振り付けを決めるのか。誰が狂気へと追いやるのか…」 例えば“物語”の中なら、誰もがその主体足り得る。我々が今まさに鑑賞を終えようとしている本作だって、主人公であったはずのベイビードールをある意味で脇役として着地させた。虚構の世界であれば、主観の転換はいとも容易い。“ヒーロー”はいつも傍にいて、か弱い登場人物を、ときにその命をかけて助けてくれる。それが“物語”ってもんだ。でも、現実なら、どうだ…? ふっとそんな疑問が脳裏をよぎった瞬間、スイートピーの最後の一言が、我々の脳天に“不意打ち(Sucker Punch)”をくれる。

それはあなた。
(It's you.)
武器は揃っている。
(You have all the weapons you need.)
さぁ、戦って。
(Now fight!)



 我々が生きる現実には、都合の良い“ヒーロー”なんていない。我々の“物語”は、自分にしか紡げない。気が遠くなるほど困難でも、気が狂うほど辛くとも、生きている以上、我々は戦っていかなければならないのである。でも、どうやって?これは“物語”じゃない。“ヒーロー”なきこの現実で、我々丸腰の一般人は、どうやって戦えばいい?

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 そう思ったなら思い出して欲しい。本作がその幕開け時において、敢えて劇場のカーテンの幕が上がるという演出を用いていたことを。ベイビードールたちのバトル・ファンタジー世界で度々彼女らの指揮官として登場した老人(スコット・グリーン)が、ラストの現実世界でもなぜかバスの運転手として登場したことを。つまり、『エンジェル・ウォーズ』は“物語”なんだ。売春宿のファンタジー世界だけではなく、物理法則を無視したバトル・ファンタジー世界だけでなく、精神病院の現実世界でさえ、それを劇場で鑑賞する我々観客からすれば“物語”であり、“作り話”であり、“映画”なのである。そして、同時に思い出して欲しい。我々が今まさに鑑賞を終えた“映画”の中で、金も権力も特殊能力も持たない彼女らが、如何にして“現実”と戦っていたかということを。現実と戦うため自らをファンタジー世界に投影し“武装”したベイビードールらと同じように、我々も今まさに現実と戦うための“武器”を“観終わった”ところなのである。

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 筆者が思う“映画の存在意義”っていうのは、まさにこれなんだよな。まぁ、もっと広く“物語の価値”と言ってもいいけれど、とにかく、バカバカしいモンスターの雄姿に喝采を送るとき、壮絶なガン・アクションに興奮するとき、血なまぐさいゾンビの群れに辟易とするとき、感動の実話に涙するとき、陳腐なラブ・ストーリーに赤面するとき、全ての瞬間が、現実を生き抜くための“手助け”になっていると思うんだ。それは別に“生きる希望”とか、“未来への糧”みたいな大層なことじゃない。暇つぶしのリフレッシュでもいいし、単なるデート・コースの一環だっていい。観た作品が名作のときだってあれば、怒り心頭の駄作だったりすることもあるだろう。それでも、現実から離れたひとときを物語の中で過ごし、そこで何かを得たり、何かを捨てたり、あるいは、やっぱりそのままだったりして、そうやって人はまた現実へと戻っていく。“物語”っていうのはそういうものであり、閉鎖空間の暗闇で数時間の物語に没頭できる“映画”という媒体は、特にその意味合いが強いように思う。

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 最後に本作のタイトルについて。まず、原題は『Sucker Punch』。日本語訳するなら“不意打ち”となるだろう。少し先述した通り、個人的にこのタイトルの意味は、どうせこれは映画なんだという漫然たる倦怠の中で鑑賞を続ける我々に対して、そうだ!これは"映画"だ!だからこそ、お前たちの“物語”でもあるんだぞ!というメッセージの提示を指しているように思う。つまり、映画を覗くとき映画もまた我々を覗いている、とでも言おうか、受動的な鑑賞者を“はっ”とさせるその構成こそが“不意打ち”なのではないだろうか。

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 少し違った視点で作中のシーンから“不意打ち”を探すなら、ラストでベイビードールがロボトミーされてしまう瞬間に注目すべきだろう。物理的にトゲを穿たれたのはベイビードールだが、施術した医師は「今まで何人もの患者を見てきたが、施術の瞬間、“ロボトミーを望む”ような表情を見せたのは、彼女が初めてだ…。」と驚愕する。これは、ベイビードールがスイートピーを守り抜いたことに満足している証拠であり、彼女が“ヒーロー”として、あるいは、“脇役”として映画的な役割を全うしたことの表れであろう。ベイビードールは、物理的に打たれることで、世界に対して堂々たる“不意打ち”をぶちかましたのである。

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 一方、『エンジェル・ウォーズ』なる本作の邦題は、一見して原題とあまりにもかけ離れていて、それゆえ作品の趣をぶち壊す珍タイトルのように思える。しかし、個人的には邦題も悪くないと思った。本作における“天使(エンジェル)”については、冒頭でベイビードールがちらりと言及する。

 誰にでも“天使(エンジェル)”がいる。
 守護天使が見守っている。
 様々な形に姿を変えて。
 ある日は老人、次の日は少女。
 外見は優しくても
 ドラゴンのように荒々しい。
 でも敵と戦ってはくれない。
 ただ心の奥からあなたに囁くのだ。
 誰もが世界を変える力を持っていると。



 本作を最後まで鑑賞すれば、このモノローグがしっかりと本作のメッセージをまとめていることが分かる。要は、本作で言う“天使”っていうのは、“ヒーロー”と同じ概念なんだな。もっと言えば“神”であろう。そして、もちろん“映画”もそうだ。見た目や呼び名は違えど、具体的・直接的に問題解決はしてくれないが、そのための精神的支えになる、という点では、どれも共通している。その上で、この『エンジェル・ウォーズ』という映画を鑑賞している我々からすれば、ベイビードールたちも“天使”に他ならない。筆者は本作を鑑賞して広く“映画”を“武器”として捉えたが、より具体的なアイコンとして考えるなら、作中で過酷な現実と戦うベイビードールら少女部隊こそが、我々の“ヒーロー”なのである。よって、その意味において本作の邦題『エンジェル・ウォーズ』は、作品のテーマを適確に捉えた名邦題と言ってもいいだろう。

点数:82/100点
 正直、世間の低評価も分かる。でも、個人的には本作のテーマに打ち震えてしまった。Mr.Childrenが「明日も何も起こんないかも」と歌っていたように、忍野さんが「人は一人で勝手に助かるだけ」と語っていたように、自分の世界は自ら物語っていくしかないのである。

(鑑賞日[初]:2016.9.19)

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