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26
2017

[No.417] ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー(Rogue One:A Star Wars Story) <80点>

CATEGORYSF




キャッチコピー:『希望は、死なない―。』

 希望を紡ぐ、名も無きヒーローたち。

三文あらすじ:銀河全体を脅かす帝国軍の究極の兵器“デス・スター”。無法者たちによる反乱軍の極秘チーム“ロ―グ・ワン(Rogue One)”に加わった女戦士ジン・アーソ(フェリシティ・ジョーンズ)は、様々な葛藤を抱えながら不可能なミッションに立ち向かう。その運命のカギは、天才科学者であり、何年も行方不明になっている彼女の父ゲイレン(マッツ・ミケルセン)に隠されていた・・・


~*~*~*~


 おととしの暮れに公開された『フォースの覚醒』を皮切りにして、遂に動き出したスター・ウォーズ新章。ディズニー傘下での再始動に際した一連の流れの中、いわゆる“スピンオフ”として様々な趣の作品を一話完結型でお送りしていく“アンソロジー・シリーズ”、本作『ローグ・ワン』は、その第一弾となる(ちなみに、第二弾は2018年公開予定の『ヤング・ハン・ソロ』。)。

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 さて、昨年末に公開された本作が、世界中でどれほどの大ヒットを飛ばしているかということについては、改めて付言する必要もないだろう。日本ではまだしぶとく『君の名は』なんとかとかいうアニメが公開されているようだが、そんなのはもちろん極東の小国(あるいは、その界隈)だけでの話。西暦2017年の現在、銀河に名を轟かしているのは、恵まれたイケメン・美人高校生ではなく、勇敢で哀愁漂う“持たざる者たち”の集団である。

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 『スターウォーズ』というシリーズは、1~7まで一貫して“ジェダイの物語”であり、“スカイウォーカー家の物語”であった。そして、先頃正式タイトルが『ザ・ラスト・ジェダイ』と発表されたエピソード8及びその後に続くエピソード9もおそらくそうなるだろう。フォースを操り、ライト・セーバーを振るい、銀河を股にかけて冒険を繰り広げる。これは、ジェダイの敵であるシスも基本的には同様だ。つまり、『スターウォーズ』というサーガは、これまで“選ばれた者”、あるいは“持てる者”たちの物語を描いてきたということである。一方、本作の主人公たる“ローグ・ワン”の面々は、フォースはおろか、ライト・セーバーすら持ってはいない。これまでのシリーズからすれば、一見して“主人公足りえない”キャラクターばかりだ。この関係性を分かりやすく他の映画に例えるなら、正統なイタリアン・マフィアの血統を持つ者たちの世界を描いた『ゴッドファーザー』がエピソード1~9、決してファミリーにはなれないチンピラの成り上がり物語を綴った『グッドフェローズ』が本作ということになるだろうか。

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 “アンソロジー・シリーズ”の第一弾として、このコンセプトは非常に正しい。これまでとは違う“スピン・オフ”であることを観客にアピールするため、あえて一般ピーポーを主人公に置くという大英断は、大正解に思える。とはいえ、いざこれをきちんと"SF大作”として、そして何より“スターウォーズ”として仕上げるのは、極めて困難であろう。ましてや本作の監督は、小品のSF作品『モンスターズ/地球外生命体』を2010年に撮った後、再リメイク版の『ゴジラ』を2014年に撮っただけのド若手、ギャレス・エドワーズであるから、果たして大丈夫なんだろうか…?と懐疑的な視線を向けてしまうことも致し方ない。

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 しかしながら、個人的に本作は総じて満足のスピン・オフであった。巷では冒頭から中盤辺りにかけてがかなりタルいなんて言われているらしく、また筆者自身、ふむ、それもそうかもしれないな、と感じたのだが、クライマックスから終盤にかけては、まさに圧巻。大作SFとして最高に盛り上がるし、何より“スターウォーズ”として全く以て文句のない最高の仕上がりだったと思う。

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 まず、スカリフに張り巡らされたバリアをぶち破る方法。これは最高だったな。2基のスター・デストロイヤーを衝突させ、惑星めがけて墜落させるというのがそれだが、この展開における“スターウォーズ的文脈での説得力”は尋常でない。すなわち、スター・デストロイヤーという宇宙戦艦のアイデンティティーは、そのデカさであった。エピソード4を初めて劇場で鑑賞した当時の観客たちは、開幕と同時にスクリーンを覆いつくす宇宙戦艦のあまりの巨大さに度肝を抜かれ、一瞬の内に心を奪われたのである。その後の作品においても、スター・デストロイヤーという戦艦は、基本的にそのデカさを軸に描写されてきた。『フォースの覚醒』冒頭、スター・デストロイヤーの巨大な影が惑星の光をえぐっていくという登場のさせ方にも、製作者の“デカさ表現”に対する苦心が垣間見える。そんなスター・デストロイヤーを2基も墜落させたら、そりゃぁ、どんなに強固なバリアであろうと破れるに決まっているではないか。バリアバリアとあれだけ執拗に前ふりを行っていたため、観客の中には、なんや…そんな安易な方法かいな…とため息をついた人がいたかもしれないが、真っ当なスターウォーズ・ファンの中でこの展開に納得できなかった者がいたとは、ちょっと筆者には考えられない。

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 それから、クライマックスで言えば、何と言ってもジンとキャシアン(ディエルゴ・ルナ)がデス・スターの設計図を送信してから始まる“雑魚共による希望のリレー”のシークエンスであろう。ここは本当に本当に良かった…。まず、ここで良いのは、ダース・ベイダーの恐怖がきちんと描けているというところ。戦艦内、狭い通路の暗闇の中、セーバー先行で姿を現すダース・ベイダー。これにはマジで痺れた。その後、アワアワと逃げていく雑魚共をバッタバッタと慈悲なく切り伏せていく様、これこそ最強の暗黒卿の名に相応しい。ぶっちゃけた話、エピソード3で幼きパダワンたちを皆殺しにしたところ以外にダース・ベイダーの残酷さが直接描かれることは今まで無かったのだが(パダワン殺害だって実は(ほぼ)伝聞でしかない。)、このシークエンスでは、これでもかと演出されている。

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 ちなみに、このシークエンスは、ギャレス・エドワーズらしさが爆発しているという点でも見どころたっぷり。まず、ベイダーがセーバー先行で登場するシーン。こういう“徐(おもむろ)に姿を現す演出”は、本作でも当該シーン以外に二か所ほど使われているが(宇宙空間の暗闇からスター・デストロイヤーが現れるところと、スカリフで爆炎の中からAT-ATが現れるところ)、ギャレス・エドワーズの過去作品でも数々見ることができる。特に2014年の『ゴジラ』では、街灯が手前から順々に点灯していくとその先にムートーがいるシーンとか、爆炎の中からゴジラの巨大な尻尾がヒュンッ!と出てくるシーンとかで、“ギャレス演出”を存分に堪能できる。要は、“ヤベェやつがあえて静かに急に出てきたらヤベェだろ?”ということなんだろうが、全く以てその通りだ。それから、逃げていく雑魚が開かないドアに阻まれるというシーンにも、ギャレス色が出ている。2014年の『ゴジラ』でも主人公のお母さんが死ぬシーンで同様の演出が使われていた(ただ、『ゴジラ』のお母さんは自らの意志で留まったのだったかもしれないが。)。

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 そんなこんなで、ディズニーという帝国に牛耳られながらもしっかり独自性を保っているギャレス・エドワーズであるが、話を戻して“希望のリレー”。ここはもう本当に号泣必至である。決死の思いでデス・スターの設計図を送信したジンとキャシアン。「ちゃんと届いたかしら?」と不安げなジンにキャシアンが答える。「あぁ、きっと“誰か”が受け取ってくれたさ。」 ここでひと泣き。本作は、キャラ立ちした“持てる者”が活躍する話ではない。有象無象のならず者が人生を賭けて成し遂げたことは、どこぞの有象無象が受け取る。でも、一般ピーポーたちが繰り広げるそんなやり取りは、決して無駄ではない。名もなき者のメッセージを名もなき者が受け取り、そうやって意志は受け継がれていく。筆者は、伊坂幸太郎の小説『フィッシュストーリー』における「なぁ、俺たちの歌、誰か聞いてんのかよ」を思い出した。

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 そして、この後、先述のダース・ベイダー降臨シーンから、怒涛の号泣シークエンスが始まる。ジンとキャシアンが命を賭して繋いだバトンを、有象無象の、名もなき、フォースもセイバーも持たぬ“ザ・モブキャラ”たちが、命がけでリレーしていく。彼ら脇役たちを脇役足らしめているのは、もちろん、"主役にはなれない"という明白な事実だ。では、いわゆる"主役"とはいかなる存在か。我思うに、"主役"とは、"物語を紡ぐ人物"のことである。『天元突破グレンラガン』が毎話シモンの独白から幕を明けるように、旧『スパイダーマン』がピーターのモノローグで始まるように、およそあらゆる"物語"は、特定の誰かについてのストーリーである。先ほどから何度も言及している通り、その"誰か"は誰でもいい訳ではない。『グレンラガン』ならずば抜けた螺旋力と類希なき穴堀の技術を持つ少年、『スパイダーマン』なら特殊な蜘蛛に噛まれた青年。そして、『スターウォーズ』なら、フォースやセーバーを操るジェダイなりシスなりが"主役"として、言い換えるなら"物語の紡ぎ手"としての適格を有する。

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 では、何らの適格も持たない脇役たちに"希望"は無いのだろうか。彼らには物語を紡ぐことなどできないのだろうか。そんなことはない、と本作は高らかに宣言する。個人では主役になれなくても、一人では世界を変えられなくても、彼らは"脇役"として、確かに"希望"を繋いだ。これはジェダイの物語ではない。スカイウォーカーのサーガではない。しかし、有象無象のモブたちは、ここに今、"あるスターウォーズの物語"を紡いだのである。さらに、この展開は、安穏と映画を鑑賞している我々にもある意味で意識の拡張を可能にする。すなわち、我々のような"持たざる者たち"にだって、物語を紡ぐことができるのである。『スターウォーズ』を"聖典"と崇め、ジェダイたちを神にも等しい唯一の希望として崇拝していたスターウォーズ・ファンは、はたと気付く。遠い昔、遥か彼方の銀河系で繰り広げられた冒険は、我々の回りでだって起こりうるということを。これが泣かずにいられるかい?ちなみに、以上の議論を前提として再度"主役"の定義付けを試みるなら、"個人単位で物語を紡ぎ得る、キャラ立ちした適格者"となるだろうか。

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 その他良かったところと言えば、キャラクターだろうか。ぶっちゃけ、ジンに関しては、『フォースの覚醒』におけるレイの衝撃があったためそこまでではなかったし(もちろん良かったは良かったが。)、キャシアンに関しては、個人的に最後までどこかいけ好かなかった。しかし、ローグ・ワンの一員たるドロイド“K-2SO”(アラン・テュディック)及びチアルート・イムウェ(ドニー・イェン)&ベイズ・マルバス(チアン・ウェン)のバディは最高だった。

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 K-2SOについては、やはり何と言ってもそのシニカルさであろう。これまでのサーガの中でこういうドロイドっていたかしら?R2-D2も若干反抗的な瞬間が無いでは無かったが、基本的には自身のマスターに従順だったし、何より現在の我々が認識できる言語を喋る訳でもなかったので、そのシニカルさは二次的なギャグ要素に留まっていた。その一方、K-2SOは、始終ペチャクチャとペシミスティックなおしゃべりを繰り返し、皮肉を言ったり、悪態をついたり、これまで登場したドロイドの中でも群を抜いて人間臭いロボットになっている。もちろん、このキャラ付けは、"帝国軍のドロイドをリプログラムしている"という彼の属性があってこそ説得的だ。

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 チアルート&ベイズについては、何と言ってもキャラクターのアンサンブルが素晴らしい。要は、2人のダチ感がとても魅力的。思い起こせば、『フォースの覚醒』序盤においても、フィンとポーのナイスな掛け合いを見て、我々は一瞬の内に彼らを受け入れた訳だが、どうやらディズニーはこの辺りのコツを掴んでいるようだ。

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 一方、本作にはイマイチな部分もたくさんある。巷でも言われているように、まずはやっぱり序盤から中盤辺りまでのタルさ。そして、キャラクター描写の浅さ。正確には、ローグ・ワンの面々が仲良くなっていく過程及びその理屈がきちんと描かれていない。要は、最終決戦出撃前の最も重要なシーンにおける「俺はお前についていくぜ!」に説得力が全く無いという訳で、これは、チーム映画であり、いわゆるケイパーものである本作にとっての致命的な欠点であろう。

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 また、個人的に憤慨したのは、デス・スターの弱点に綺麗な理屈を付けすぎたという点。そもそも、デス・スターという映画史に残る“最強兵器”は、その初登場たるエピソード4のクライマックスにおいて、現在の映画水準からすればあり得ないほどあっけなく破壊される。もはやスターウォーズ・ファンの間ではいじられ過ぎて“常識”にまで昇華されているのが、“デス・スターは小天体ほどの大きさがありながら、戦闘機が放ったビーム一発で崩壊する”という事実だ。そんな常識に対して本作は、ゲイレンが最後の希望を託し、わざと弱点を仕込んでおいたという理屈を付けた。そして、その設定自体は良い。

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 問題は、この“後付け設定”によって、『フォースの覚醒』がはしごを外されたという点。同作に登場する最強兵器“スター・キラー”は、デス・スターなんて比じゃないくらいデカい。なんせマジで天体を丸ごと兵器に改造してしまっているのだから。しかし、そんな史上最大の兵器の最期は、非常にあっけない。ポーが乗るエックス・ウィングによって、なんだかよく分からない“弱点”を破壊され、その爆発が惑星全体に連鎖する。今どきの映画水準というものからすればあり得ないほどバカらしい展開だが、初代デス・スターを前提に考えるなら、いわゆるオマージュとしての情緒を感じることは十分に可能だ。

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 ところが、本作は、このオマージュの土台たる部分をきれいさっぱり持ち去ってしまった。まぁ、いいっちゃあいいんだけどさ。別に『スターウォーズ』に厳密なストーリー性を求めてはいないのだし。でも、やっぱりこのままじゃあ、いくらなんでもファースト・オーダーが馬鹿の集まり過ぎるよな。これを解決するためには、エピソード6と7との間に本作みたいな前日譚をぶち込むしかないだろうが、それはさすがに荒唐無稽であろう。なんともはや、如何ともしがたいところである。

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 さて、随分長くなってしまったので、最後に筆者の妄想を一つ。それは、スカリフは後のジャクー説である。『フォースの覚醒』で登場したレイの故郷“ジャクー”は、その一面の砂漠感から、同作公開前には「実はタトゥイーンなんじゃないか?」なんてまことしやかに囁かれていた。結局、今のところその予想は外れっぽいのだが、そのとき同時に囁かれていたのが、“辺境の惑星であるはずのジャクーになぜスター・デストロイヤーやAT-ATやエックス・ウィングがゴロゴロ転がっているのか”という疑問であった。

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 そこで、スカリフ=ジャクー説の登場である。筆者の考える経緯をかいつまんで述べるとこうだ。

 時はエピソード4の直前、帝国軍と反乱軍との大規模な戦闘の最中、デス・スターからの一撃を受けた水の惑星スカリフは、地軸が傾くほどの大ダメージを受ける。なんせデス・スターが本気を出せば惑星自体を軽く破壊できてしまうのだから、戯れの一撃でも地軸くらい傾くだろう。地軸の傾いたスカリフの気候は、その後激変する。そして、30年後、かつて水の惑星だったスカリフは、今や見る影もなく、貧しく荒涼とした砂の惑星ジャクーとなったのであった…。



 つまり、ジャクーに転がっていたスター・デストロイヤーその他は、本作の戦闘で墜落したものだった、ということである。さらに、筆者がこの説を気に入っているのは、ジンとレイに繋がりを持たせることができる、という点である。もちろん、ジンがレイの母親だった…なんていう陳腐であり得ない考えではない。レイは今後、おそらくはジェダイとなっていく。エピソード〇〇シリーズはジェダイを始めとした“持てる物”たちの物語なのだから、それは当たり前だ。では、ゆくゆくジェダイとなっていくレイにとっての必須アイテムとは何か。それはもちろんライト・セーバーである。しかも、十中八九、レイは“マイ・ライト・セーバー”を自作するだろう。エピソード6でルークが自作ライト・セーバーを携えて登場したのだから、それをなぞる可能性は大いにある。では、ライト・セーバーを自作する上で必須の素材とは何か。もちろんそれはカイバー・クリスタルである。さぁ、ここで思い出してほしい。ジンは、ゲイレンからプレゼントされたカイバー・クリスタルのネックレスをしていたということを。そして、そのネックレスは、ジンがその生涯を終えたスカリフ(=ジャクー)で、ジンと共に消息を断ったということを。

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 きっとレイは、日々のサルベージの中で手に入れたカイバークリスタルのネックレスを宝物として大事に持っているんだ。「これだけは、どうしても売り飛ばす気になれなかったの…。どうしてかしら…。」なんて言ってさ。で、我々ファンは、「すわ、フォースの導きだ!」だの、やれ「希望は死なないんだ!」だのと騒ぎ立てるのである。まぁ、あの距離であの爆風を受けたネックレスが原型を維持しているなんて、それこそ荒唐無稽かもしれないが、ジンとレイに血縁以外のやんわりした繋がりを持たせ、かつ、皆が疑問に思っていた裏設定も回収できるナイスアイディアなんじゃないかと個人的には思っている。

点数:80/100点
 秋ぐらいからすごく忙しくて、感想がとても遅くなってしまったが、スターウォーズ・ファンとして満足の、少なくとも個人的には「これは十分にありだな」と思えるスピン・オフであった。エピソード7、そして、本作を通して、筆者はもうすっかりディズニーを信頼している。筆者がモタモタしている間に、キャリー・フィッシャーが死去してしまったりなんていうとんでもない事件があったりもしてすごく悲しかったのだけれど、今年の年明けからディズニーがエピソード9の主要製作陣を招集してスクリプトの再構成を検討したりしているらしいので、ことストーリーという点においては、大丈夫だろう。

 ちなみに、明日2/27(現地では2/26)は、第89回アカデミー賞の発表日だ。作品賞は『ラ・ラ・ランド』だろう、というのが、筆者の陳腐すぎる予想である。

(鑑賞日[初]:2016.12.16)
(劇場:TOHOシネマズ梅田)






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Tag:劇場鑑賞作品 これが女の生きる道 天の光はすべて星

2 Comments

T  

No title

カイバークリスタルのリレーはナイスアイデア。
そしてレイが大したことないアクションシーンでセイバーをナイスドロップしたら感無量。

2017/03/08 (Wed) 15:10 | EDIT | REPLY |   

Mr.Alan Smithee  

Re: No title

先頃"スターウォーズ・セレブレーション"の二日目に初披露された『最後のジェダイ』の予告編では、ルークが「ジェダイの時代は終わる…」と意味深に発言していたので、レイの自作ライトセーバーもどうなるか分かりませんが、少なくとも"セーバーを落としがち"というジェダイの本質は残してほしいところ。

2017/04/17 (Mon) 10:27 | EDIT | REPLY |   

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