03
2017

[No.423] ホドロフスキーのDUNE(Jodorowsky's DUNE) <80点>





キャッチコピー:『失敗してもかまわない、それも一つの選択なのだ』

 Thank You, Jodorowsky!

三文あらすじ:世界初の“カルト映画”として名高い『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』で知られる鬼才アレハンドロ・ホドロフスキー。彼が1975年から製作を開始したSF映画『DUNE』は、メカ・デザインにクリス・フォス、クリーチャー及びキャラクター・デザインにメビウス、特撮にダン・オバノン、悪役ハルコンネン男爵の城のデザインにH・R・ギーガーを起用し、キャストには巨匠オーソン・ウェルズを始め、ミック・ジャガー、デビッド・キャラダイン、果てはサルバドール・ダリまでをも招集、音楽は当時最高のスーパースター、ピンク・フロイドやマグマに依頼するなど、各界の超一流を結集した傑作となるはずだったが、配給元が決まらず、撮影開始前に頓挫してしまう。本作は、“幻のSF作品”として今なお語り継がれるホドロフスキーの『DUNE』(Jodorowsky's DUNE)について、本人及び関係者のインタビューを中心に語るドキュメンタリーである・・・


~*~*~*~


 真っ当な映画ファンの中でアレハンドロ・ホドロフスキーを知らない、という人はいないだろう。"カルト映画"という言葉も今では随分当たり前に使われるようになったが、何を隠そう世界初の"カルト映画"を撮ったまさにその人こそが、ホドロフスキーなのである。

jd3.jpg


 では、"カルト映画"とはいったいどんな映画のことか。Wikipediaに助けを借りるなら"熱狂的なファンによる小グループによって支持される映画"ということになるだろうが、悪魔主義者の皆さんは、高橋ヨシキ氏によって提唱されたこの定義で覚えておこう。"カルト映画"とは、

 “観た者の人生を狂わせる映画”

のことである。単に観客を魅了し、ひとときその心を奪うに留まらず、その者の人生をその作品一色に染め上げてしまうような映画たち。私財を投じてデロリアンをタイムマシンに改造するファンが後をたたない『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や、今なお全米各州及び全世界に"支部"がある『ゴーストバスターズ』などは、その好例だろう。

 もちろん、世界初の"カルト映画"である『エル・トポ』がそうであったように、比較的小品でありながら根強いファンがいる映画(例えば『ロッキー・ホラー・ショー』とか『ピンクフラミンゴ』とか)を連想しがちだが、実はそんなことはない。観たものが度肝を抜かれ、熱狂し、その後の人生を捧げてしまうなら、大作だって立派な"カルト映画"だ。そして、そういった意味で、映画史上最大最強の"カルト映画"は、ご存知『スターウォーズ』である。

jd5.jpg


 1977年に公開された同作は、瞬く間に世界中の人々を熱狂の渦に巻き込み、彼らの人生を狂わせた。先ほどから"狂う"なんていう言葉を軽々しく使っているが、これは決して大袈裟な表現ではない。同作ファンを描いたドキュメンタリー『ピープルvsジョージ・ルーカス』を観ればよく分かるが、彼らの人生は本当に狂ってしまっている。もちろん、同様の趣向の作品、例えば『バック・イン・タイム』や『ゴースト・ヘッド』を観てみれば、『BTTF』や『ゴーストバスターズ』だって基本的には同じだということが分かるのだが、『スターウォーズ』の凄いところは、世界中の"文化"の一部にまでなり、人々だけでなく、この惑星の未来をも狂わせてしまった、というところである。

jd4.jpg


 さて、筆者がなぜ本作の感想において『スターウォーズ』の話をこんなに強調しているかと言えば、それは、ホドロフスキー版の『DUNE』が、『スターウォーズ』になり得た唯一の作品だったからである。1975年に製作がスタートしたホドロフスキー版『DUNE』。もし予定通りに撮影が開始され、予定通りに完成していたなら、『スターウォーズ』より先に公開されていた可能性は十分にある。そして、もし公開されていたのなら、この惑星の未来、すなわち、我々の現在は、今とはまた違ったものになっていただろう。歴史に"もしも"なんてないけれど、ホドロフスキー版『DUNE』が公開されていたパラレル・ワールドに行ってみたい、そう思わせるほどの才気が、この幻の作品からはひしひしと感じられる。

jd6.jpg


 一番分かりやすく我々の直感に訴えかけてくるのは、やはりビジュアル面だろう。メビウスのキャラクター造形やギーガーのデザインは言うに及ばず、何と言ってもクリス・フォスが描き出すメカたちが魅力的。目が回るほどに鮮やかで、ある種の生き物であるかのように有機的な宇宙船たち。こんなデザインは、少なくとも70年代後半の映画シーンには存在しなかった。

jd1.jpg


 子供向けの幼稚な代物だと思われていたSF映画を一気に"芸術化"させたのが、1968年公開の『2001年宇宙の旅』。もちろん、人類が実際に宇宙へと飛び出し、月面に足跡を刻むのがその約一年後だから、既にSFを"現実"として受け入れる土壌がある程度整いはじめていたのかもしれないが、やはり『2001年』が持つ深遠なテーマ性と圧倒的に"リアル"なビジュアルイメージの功績は、度外視し得ない。そして、ここで言うSF的なビジュアルの肝は、まさに2001年という"近未来の宇宙感"であった。つまり、人類の叡智を結集すれば、2001年ぐらいにはこんなことができるんじゃないか、という説得力。だから、HAL2000は完全無欠であり、ディスカバリーの船内は極めてクリーンだ。

jd8.jpg


 映画における"宇宙感"は、まずこういったイメージを土台としてその先へ進んだ。その内の一つが『スターウォーズ』であり、もう一つの可能性がホドロフスキーの『DUNE』だったと言うわけだ。両者に共通するコンセプトは、"宇宙の大衆化"だと筆者は思う。『スターウォーズ』公開時、SF映画ファンがまずもって驚いたのは、宇宙船の"使用感"だった。数十年後の近未来から更に進んで、宇宙が我々の"生活"になったならどうだろう?あるいは、既にそのレベルにまで進んでいる銀河があるとしたらどんな感じだろう?あくまで筆者が思っているだけだが、『スターウォーズ』のガジェットからは、そのようなコンセプトが感じられる。

jd9.jpg


 この点については、ホドロフスキーの『DUNE』もおそらく同様だ。しかし、クリス・フォスは、『2001年』が提唱した"宇宙船はクリーンでモノトーン"という常識から"クリーン"を取り去り、更には"モノトーン"まで払拭した。この後半の部分が『スターウォーズ』との大きな相違点である。

jd10.jpg


 したがって、もしホドロフスキーの『DUNE』が公開され、『スターウォーズ』に取って代わっていたのなら、その後の映画的宇宙感は、全く異なる進化、あるいは、変遷を辿ることになっていただろう。『ブレードランナー』はあそこまでの衝撃をもって評価されなかったかもしれないし(あるいは、より大きな衝撃をもって迎えられたかもしれない)、『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』の大成功は無かったかもしれない。少なくとも、アメコミ映画始まって以来のこの世紀の傑作が、今の形のまま2014年というタイミングで登場することは無かったと断言できる。

jd11.jpg


 『ガーディアンズ~』を"『スターウォーズ』の再来"と呼ぶ映画ファン多い。まぁ、そういうキャッチコピーが付いた作品はこれまでにもいっぱいあったろうが、『ガーディアンズ~』はそれら多くの亜種とは違った。同作は"21世紀の『スターウォーズ』"になるべくして作られた作品だ。そして、その試みは成功した。そこには、似たようなエンタメ環境(ベトナム戦争後に辛気臭いニューシネマが乱立した70年代と9.11後に辛気臭い"ダーク"なアメコミものが乱立した2000年代)があったり、温故知新を体現する各種ギミックの共通点(例えば、最新のスペースオペラにクラシックで大仰なオーケストレーションをミックスした『スターウォーズ』と、最新のスペースオペラに70~80年代の懐メロをミックスした『ガーディアンズ~』)、または、フレッシュな役者たちが織り成す演技のアンサンブルなどの類似性が多くあったのだが、ここで特筆したいのは、やはりメカニック・デザインである。

jd12.jpg


 『ガーディアンズ~』のメカ、特に宇宙船のデザインは新しかった。昨今の主流であるいかにも"鋼(はがね)"な地味で退屈なものではなく、ガチャガチャと騒がしく変形したりもしない。加えて立派だったのは、『スターウォーズ』の再来を意図した同作において、全く『スターウォーズ』らしからぬデザインが採用されたという点である。登場するスペースシップはいずれも(敵戦艦の一部を除けば)きらびやかな極彩色で彩られ、その造形はさながら熱帯魚といった趣。そう、『ガーディアンズ~』のメカ・デザインは、明らかにクリス・フォスの手によるホドロフスキー版『DUNE』のそれを参考にしており、また実際、アドバイザーとしてクリス・フォスを召集していたのである。"『スターウォーズ』の再来"といっても決して"模倣"ではない。俺たちが新時代の『スターウォーズ』を作ってやる!という気概。これを実現するためにホドロフスキー版『DUNE』を参考にするのは、全くもって正しい。それは誰の目にも明らかだ。

jd13.jpg


 ちょっと話が逸れてしまった気もするが、要は、本作でも語られるように、ホドロフスキーの『DUNE』は結局完成することなく幻の作品となってしまったものの、その後の映画界に今なお多大なる影響を及ぼし続けている、ということだ。"未完であるが故に美しい"なんてよく訳知り顔で言われるが、そういうことじゃなくて、ホドロフスキー版『DUNE』は、本当に色んな作品の中で息づいている。ホドロフスキーがメビウスやギーガーに目をつけなかったなら『ブレードランナー』も『エイリアン』も、今とはまた違った形になっていただろうし、最悪はこの世に存在しなかったかもしれない。『ブレードランナー』も『エイリアン』もない惑星に暮らす意味なんてないだろう?だから、我々SF映画ファンは、ホドロフスキーというダンディでオチャメな映画狂いに対し、改めて心からの感謝を捧げるべきなのである。

jd7.jpg


点数:80/100点
 映画好きなら一見の価値あり、SF映画好きなら鑑賞マストのドキュメンタリー。ただ「本作がきっかけとなり、ホドロフスキーは23年ぶりに新作を撮った…(本作もまた幻の『DUNE』同様、他の作品に影響を与えたのだ…)」みたいなくだりは、若干恩着せがましい。

(鑑賞日[初]:2017.7.30)






ホドロフスキーのDUNE [Blu-ray]

新品価格
¥3,881から
(2017/8/3 21:49時点)


アレハンドロ・ホドロフスキー DVD-BOX

新品価格
¥17,400から
(2017/8/3 21:50時点)



関連記事
スポンサーサイト

Tag:男には自分の世界がある

0 Comments

Leave a comment