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キャッチコピー
・英語版:Play for the Planet
・日本語版:ゲームクリアか、全滅か。

 おお ころんばすよ なさけない

三文あらすじ:1982年、ゲーム好きの少年サム・ブレナー(アダム・サンドラー)は、親友であるウィル・クーパー(ケヴィン・ジェームズ)と一緒に全米ゲーム大会に参加するが、“火炎噴射男(ファイア・ブラスター)”の異名を持つ少年エディ・プラント(ピーター・ディンクレイジ/アンドリュー・バンブリッジ)に決勝戦で破れてしまう。それから35年後、NASAが友好目的で送ったそのゲーム大会の映像を宣戦布告と勘違いしたエイリアン“ヴォルーラ星人”が、様々なゲームを模した兵器で地球への侵略を開始。この事態に、今やアメリカ大統領となったクーパーからゲームの専門家として招集されたブレナーは、ヴァイオレット・ヴァン・パッテン中佐(ミシェル・モナハン)が開発した対ゲームキャラ兵器を携え、地球の命運を賭けた戦いに挑むのだが・・・


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 2015年公開のSF作品『ピクセル』。アメリカでの人気がウソのように日本では誰も知らないという俳優アダム・サンドラーが主演なので、普段ならそんなに大々的な宣伝は打たれないはずなのだが、本作のテーマが"ゲーム"ということもあり公開当時はそれなりに盛り上がっていたように思う。かく言う筆者も、その当時、劇場では観る価値無し!と判断したものの、後にちゃんとレンタルした。しかしながら、鑑賞するのをすっかり失念してしまい、その後改めてレンタルすることもなく、なにやら今週末の金曜ロードショーでやると聞いたらものだからこのタイミングで観てみた、というわけである。

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 金ローがこのタイミングで本作を取り上げる意味が分からないが、もしかしたら、東京オリンピックが徐々に現実感を増しつつあり、かつ、サッカー日本代表がワールドカップ行きを決めたことで"ニッポン礼賛ムード"が盛り上がっているからなのかもしれない。ゲームってのは、もともと日本が世界に誇る強靭なオリジナル・コンテンツだからな。『ドンキーコング』も『パックマン』も『ギャラガ』も、本作で大々的に取り上げられるゲームは、ほとんどがメイド・イン・ジャパン。その点に敬意を表し、本作には、『パックマン』の生みの親である岩谷さんが出演していたりする。もっとも、パクッと腕を食べられるあのおっさんは、実は岩谷氏本人ではない。オープニングのゲーセンで一瞬だけ映るゲーム機整備士が岩谷氏である。英語が全く話せないのでカメオに回ったということらしい。

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 オープニングと言えば、本作では開幕早々、チープ・トリックの『Surrender』が高らかに鳴り響く。『ガーディズ・オブ・ギャラクシー VOL.2』のエンディングでも使用されたこの曲は、本作最後の大団円でももう一度使われる。"パパは正しい、ママも正しいよ。でも、僕には僕の考えがあるんだ。"という趣旨の『Surrender』は、ゲームを題材にした本作のテーマ・ソングとしてピッタリだろう(…というのは、おっさんの感覚なのだろうか。今どきの子供たちには"ゲームは一日一時間まで!"という鉄壁の戒律など無いのかもな。)。

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 本作の公開が2015年、『ガーディアンズ2』の公開が2017年だから、"なんでもかんでも『ガーディアンズ~』をパイオニアにしたがる病"の筆者でも、『Surrender』の使用に関しては本作の独自性を認めざるを得ない。それどころか、全体としてレトロ・ゲームがフィーチャーされ、クライマックスにはラスボスを倒すための非常に重要なギミックとして『パックマン』が採用された『ガーディアンズ2』は、実はかなり本作に影響を受けている作品なのかもしれないな。

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 さて、では本作の内容は、と言うと、これはもうどうしたって駄作、いくら贔屓目を入れてみても凡作ということになるだろう。かつてアーケード・ゲームの覇者だったにもかかわらず、今では"負け犬"として過ごしている男が、レトロ・ゲームを模した兵器で侵略してきたエイリアンに対して地球の命運を賭けた戦いを挑む。このプロットは、間違いなく強靭だ。古来より万人が共感し、胸を熱くするテーマ。色々と呼び方はあるだろうが、RHYMESTERの宇多丸師匠風に言うなら、"負け犬たちのワンス・アゲインもの"である。

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 では、プロットの時点である程度のおもしろさが保証されているはずの本作は、なぜ筆者だけでなく世間のみんなから酷評の嵐を受けたのか。個人的に思う最大の難点は、ロジックの不在である。素人目に見ても、本作には、絶対に手を抜いてはならないロジック必須ポイントが二ヶ所ある。まず一つ目は、なぜ主人公が戦わなければならないのか、という点。こういう"公の危機に際して素人が立ち上がるもの"というのは、本当に燃える。筆者が大好きなのは、もちろん終末系ディザスター・ムービーの傑作『アルマゲドン』だ。まぁ、あれを"傑作"なんて呼ぶと映画ファンとしての品位を疑われそうだが、とにかく好きなんだよ。

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 で、『アルマゲドン』では、(もちろん、ハリウッドらしい大味さであるとはいえ)なぜハリー・スタンパーたちが地球の危機に立ち向かうのか、という点をきちんと理由付けていた。押しも押されぬ宇宙の権威であるNASAのプランがいくつかあって、その全てを一笑にふした"世界一頭の良い男"が"穴堀り作戦"を唯一の手段と断定し、宇宙についてはど素人ながら穴堀りに関しては最強のプロフェッショナルであるハリーたちに白羽の矢が刺さる。しかも、それですぐに一介の石油採掘屋たちが宇宙に飛び出すわけではなく、わずかな描写ながら一応、始めはあくまでも正規の宇宙飛行士たちのアドバイザーとして作戦に加わっていたものの、隕石衝突までの残り少ない時間では彼らに穴堀りを習得させることができないから、ハリーらが自らスペースシャトルに乗り込む、というロジックが提示されていた。もちろん、いやいや…穴堀りより宇宙飛行の方が難しいやろ!という突っ込みは可能なのだが、それでもきちんと主人公が主人公である理由を説明しようとした姿勢は、称賛に値すると思う。

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 一方の本作では、ここのロジックがすこぶる弱い。一応、本作独自の理由付けとして、主人公がアメリカ大統領の幼なじみという設定を持ち出してはいるものの、これだけでは全く説得力がない。やっぱり、まずはその道の正当な権威が事にあたる必要があるはずなんだ。したがって、本作なら例えば、

エイリアンが地球のゲームを兵器にして攻めてきた!よし!世界屈指のゲーマーを召集しろ!…大統領、すいません…あいつらじゃあ、太刀打ちできません…。なに?!世界大会のチャンピオンだろう?!いや…最新のFPSなら誰も敵わないのですが、あの若造たち、アーケード・ゲームなんてやったこともないって言うんです…。くそぉ…!どうしたら……は!そうだ!"あいつ"を呼べ…!



こうじゃないと。

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 それから、もう一つ本作で抜け落ちているロジック、どちらかと言うとこちらの方が決定的なのだが、それは、なぜ主人公は勝てたのか、である。この点については、本作と『アルマゲドン』に大きな前提的相違がある。すなわち、『アルマゲドン』でハリーたちが挑んだのは"穴堀り"という専門的な反面、構造としては単純な作業だったのに対し、本作で主人公が挑むのは、"ゲーム"という一般的な反面、極めてタクティカルな作業なのである。

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 まず、専門的か一般的かは重要だ。専門器具を用いた掘削作業は我々の想像の外にあるから、厳密にはおかしな工程を踏んでいたとしても、物語上のストレスにはなりにくい。一方、ゲームのような誰しもが一度は経験したことのある作業の場合、観客は、その攻防の仕組みを想像できる。したがって、それを映画のようなエンターテイメントとして仕上げるのであれば、一般人があぁっ!と驚き、納得し得るロジックがなければならないのである。

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 また、"穴堀り"のような単純作業の場合、なぜ穴を掘れたかという積極的な理由は、要求されにくい。ドリルを回せば穴が開く、これは当然のことなのだから、主人公が勝利する際には、掘削作業の障害の除去という消極的な理由を提示すれば足りる。しかし、"ゲーム"となれば話は違う。そこには明確なルールがあり、プレイヤーは、そのルールを駆使し、相手の裏を読むことで初めて勝利できる。したがって、本作では、『アルマゲドン』のように主人公チームの団結や漢気のみを理由に大団円を導くことができない。ゲームは感情的なブーストとの親和性が低いコンテンツなのである。

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 ところが、本作の主人公ブレナーは、あまりにも薄弱なロジックで勝利してしまう。彼がラスボスである『ドンキーコング』に勝つことができたのは、結局のところ、子供の頃にゲーム大会の決勝戦で負けた相手が実はズルをしていたから、本当は自分がチャンピオンだった、という個人的なトラウマの克服にのみ理由がある。でも、それじゃあダメなんだよ。障害の除去も、メンタル面でのブーストも、ゲームで勝つロジックとしては不十分だ。

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 では、本作ラストの『ドンキーコング』戦はどう処理すればよかったのかと言うと、まぁ色々やり方はあろうが、筆者は以下の二段構えが良いのではないかと思う。まず、本作で攻めてきたエイリアンたちは、ゲーム大会の動画を宣戦布告だと勘違いし、ゲームを兵器だと思い込んだという設定がある。これを利用しよう。つまり、相手を倒すことだけを考えていたのでは決して思い付かないような手で主人公が勝つのである。言い換えれば、ゲームが本当に大好きで、毎日毎日ゲームばかりしていて、ゲームが無いと生きていけないような、そんなボンクラだけが思い付くようなプレイ。あるいは、勝ちにこだわりすぎて敵が墓穴を掘るとかでもいいのだが、要するにまずは、ゲームの本場である地球のプレイヤーは強い、という理屈を提示する。

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 その上で、今度はより具体的にエイリアンに打ち勝つロジックをぶちかまそう。ここは、まぁ例えば、やりこんだ者だけが発見できる"裏ワザ"(チビ助のエディが使った"チート"ではない。)でもいいし、本作がほんのちょこっとだけ提示しかけていた"最新ゲーム手法の応用"でもいい。または、序盤で"ゲーム上の制約"(例えば、いわゆる"見えない壁"みたいなやつ)を前振っておいて、ラストでは主人公が生身でゲームをプレイするからこそ制約を突破できる、というような展開でもいい。

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 もちろん、本作には良いところもたくさんある。取り分け素晴らしいのは、やはり"ゲーム"を説得的に実写化したという点だろう。つまり、タイトルにもなっているピクセルの表現が大変にフレッシュ。やっぱり子供の頃日々夢中になっていた8ビットが見事に実写化されている様は、我々"『ポケモン赤・緑』世代"や"『ドラクエ6』世代"には響くのである。

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 また、ここで重ねて素晴らしいのは、“ワンダー・ボーイ”ことラドロー・レイモンソフ(ジョシュ・ギャッド)の伴侶たるレディ・リサが実写化するシーン。ここは8ビットの実写化ではなく、実写化された8ビットからなぜか彼女だけ本物の女優になってしまうというシーンなので、えーなんでこいつだけこんなんなるんよーと不満を漏らす方もいるだろう。でも、違うんだよ。ここは、俺たち8ビット世代にとっては、本当に熱いシーンなんだ。つまり、レディ・リサがいきなりリアル女優になる現象は、レイモンソフの目にはそう見えているという演出に他ならない。当然、えーそんなふうにはみえへんでーと思うのも分かる。でもな、あの頃の俺たちには、毎日毎日ゲームにかじりついていた俺たちには、8ビットのキャラクターたちがリアルに見えていたんだよ。

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 そういうところはしっかり分かっているのに、作品自体の出来はなぜこんなことになってしまうのか、とても残念だ。『ハリー・ポッター』の実写化で一躍映画界の勇者となったクリス・コロンバスにしては、非常に情けない作品だと筆者は思う。

点数:52/100点
 特に70年代、80年代生まれのおっさんたちにとっては、聞くだけで泣きそうになる完全無欠のコンセプトがありながら、それを全く活かせていない残念な作品。ただ、ヒロインを演じるミシェル・モナハンはやっぱり抜群に可愛いなぁ。ちょっとだけ豚っぽい顔がまた良いんですよね。きっと彼女は、前世で神に抱かれた豚の生まれ変わり、もしくは、人生のチートコードを発見した豚のゲーマーに違いない。

(鑑賞日[初]:2017.9.11)

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Posted byMr.Alan Smithee

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