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怪獣惑星



キャッチコピー
・英語版:unknown
・日本語版:滅びるのは、人か、ゴジラか。

 嗚呼、クソガキたちの惑星。

三文あらすじ:20世紀末、突如地球上に出現した巨大生物"怪獣"の脅威に晒された人類は、中でも他の怪獣を駆逐する力を持った最強の個体"ゴジラ"の暴威に戦慄する。半世紀に亘る敗走を重ねた人類は、種の存続を図るため新天地を求めて宇宙へと繰り出すが、22年後に到着した惑星タウEは人類の生存には適さない環境だった。船内での生活も限界に近づいたことを受け、ゴジラ殲滅の僅かな望みと共に危険な長距離亜空間航行によって故郷の地球に帰還した移民船アラトラム号は、既に2万年もの時間が経過した母星の姿に驚くも束の間、生態系の頂点として依然君臨し続ける大怪獣ゴジラの脅威に立ち向かうことを余儀なくされる・・・


~*~*~*~


 日本が世界に誇る最強のコンテンツ、大怪獣ゴジラ『vs デストロイア』でいったん有終の美を飾った怪獣王は、1998年のハリウッド・リメイク版でケチョンケチョンに叩かれたものの、その後もちょいちょい原産地たる日本で映画化されてきた。しかし、やはり筆者のように、ゴジラは『デストロイア』で死んだんだ…と思う昭和生まれの怪獣ファンは多かっただろう。

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 しかし、彼は再びエンターテイメントの表舞台へと蘇った。しかも、今度はしっかりと世界を巻き込んで。2014年、当時は『モンスターズ / 地球外生命体』という低予算のSF一本しかリリースしていなかった新鋭ギャレス・エドワーズを抜擢し、イグアナは無かったってことで!とばかりに公開された二度目のハリウッド・リメイク作。個人的には人物描写の部分にイチモツ無いではないのだが、それでも彼らなりのやり方で"ゴジラ"と真剣に向き合った企画であることは、十分伝わってくる作品だったと思う。そして、日本人にとっては、やはりその翌々年の『シン・ゴジラ』の爆発的ヒットが記憶に新しいところ。2014年版『ゴジラ』からスタートした"モンスターバース"にお株を根こそぎ奪われそうだった怪獣王は、庵野秀明総監督の下、メイド・イン・ジャパンの威厳を堂々と見せつけてみせた。

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 そんな状況の中、日本の、そして、世界中のゴジラファンは、2016年の夏に度肝を抜かれる。本作『怪獣惑星』に端を発するアニメ版ゴジラ・トリロジーの製作が発表されたからである。アニメ版?! まぁ、それはいいか。三部作?! ん~…リスキーな気もするけど、それもいいか。未来の地球が舞台のSF作品?! それはちょっと…まぁ、いいや。そうやって、いくつかのビックリ要素を華麗にスルーした筆者も、いざ公開されたビジュアル・イメージや予告編には痛く驚愕した。そこには、 かつて怪獣王とめくるめく戦いを繰り広げた無骨なおっさんではなく、シュッとしてのっぺりとしたイケメンもやしっ子の姿があったからである。

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 地球から何光年も旅し、新天地を求めるという"宇宙世紀"。ピンク色のジェット噴射で飛翔する未来っぽいメカ群。明らかに"ノーマル・スーツ"な宇宙服に身を包んだクルーたち。極めつけは、「ゴジラ…俺は、お前を…!」という"富野節"。筆者は戦慄した。ヤバい…この作り手は、ゴジラをガンダムにしようとしている…と。筆者は、どちらかと言えばゴジラよりガメラ派である。しかも、平成三部作派という新参者だ。しかし、それでも小学生の頃には『vs ビオランテ』以降のゴジラ作品、いわゆる"VSシリーズ"に熱狂し、『vs デストロイア』までのほぼ全作を劇場で鑑賞したクチである。そんな筆者は、このように思う。ゴジラをガンダムにしたらダメだよ。

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 だって、"ゴジラ"ってのは、本来的には現実の"日本社会"の象徴として存在するキャラクターだったはずなんだ。あるいは、こう言い換えてもいい。"ゴジラ"は、日本人が潜在的に持っている現在の"恐怖"の象徴である、と。1954年公開の初代『ゴジラ』は、終戦から10年に満たない日本社会を破壊する存在として、日本人がいまだ拭いきれていなかった空襲の恐怖を見事に具体化してみせた。『シン・ゴジラ』が多くの批評家を唸らせたのも、"初ゴジ"へのオマージュを捧げつつ、大震災の恐怖という現代版のテーマへしっかりとブラッシュ・アップできていたからに他ならない。

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 もちろん、厳密に言えば"怪獣映画"と"モンスター・パニック"は似て非なるものだ。つまり、何も恐怖ばかりを追及するのが怪獣映画の醍醐味ではなく、もっとキャラクタライズされたモンスター楽しげなSF的ギミックで我々を魅了してくれてもいい。過去の作品で言えば、1960年代なんかはゴジラがどんどんキャラクター化していったのだし(ゴジラが「シェー!」をした1965年の『怪獣大戦争』なんかは、ある意味でその流れの極であろう。)、スーパーXやメカゴジラやモゲラなどの未来っぽいガジェットが楽しかった"vsシリーズ"なんかも、当然立派なゴジラ作品である。

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 でも、ガンダムはまたそれとは話が違うと思うんだよな。ゴジラと同じく日本のアイデンティティーのひとつと言っても過言ではない最強のコンテンツ"ガンダム"。その重要なファクターは、もちろん"モビルスーツ"である。まぁ、これは、もしかしたらゴジラとの調和を実現し得るかもしれない。ガルーダなるウェブライダーみたいなやつと合体するスーパーメカゴジラや、ガンタンクみたいに上下パーツがドッキングするモゲラが登場しても、『vs メカゴジラ』や『vs スペースゴジラ』は、やはり"ゴジラ"だった。しかし、ガンダムには、もうひとつ重要なファクターがある。それは、少年の"もがき"である。

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 アムロもカミーユもキラもバナージも、ガンダムの主人公というのは基本的には思春期の少年である。彼らは、大抵ひょんなことから戦争に巻き込まれ、なんやかんやで作中最強のモビルスーツを操ることになる。これは、例えば『スパイダーマン』のように思春期の葛藤を表現するためのメタファーと見ていいだろう。安穏と過ごしていた少年たちは、大人たちから突然"社会"という理不尽な場に引き出され、大人へと成長する自身の身体といまだ子供のままの精神とのアンビバレンスに苦悩する。ロボットアニメでありながら、そんなナイーブなドラマをもがっつり描くのが、ガンダムシリーズの大きな魅力だ。

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 でも、それってゴジラへの親和性はあるかね? ゴジラという怪獣は、本来的には人智を越えた存在であり、人類全体の傲慢を戒めるべくして出現した災厄だ。必ずしも少年がもがいて成長していくというドラマとは一対一で対応しない。ゴジラは、少年が大人になるための壁ではなく、むしろ大人たちこそが突きつけられる"業"なのである。…と、ここまでで、賢明な映画ファンのみなさんは、筆者の"間違い"に気付いていることだろう。今筆者は、あたかも本作がゴジラに少年の"もがき"をミックスした結果失敗したと言わんばかりの論を展開している。しかし、本作の主人公であるハルオ・サカキ大尉(声:宮野真守)は、24歳の真っ当な大人なのである。

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 実は、筆者はその設定を知っていた。しかしながら、それでもこう思ったんだ。これはやっぱりクソガキの"もがき"ではないか。つまり、干支を二回りもした大人なハルオくんは、実質としてあまりにも幼稚なのである。まず、オープニング。これは酷い。あまりにも酷い。幕が上がると、いきなり移民船内に格納されたジェットのコクピットに籠城する一人の男性。それがハルオくんなのであるが、彼はどうやら実は生存不可の惑星だった新天地タウEに老人たちを置き去りにするという上層部の決定に憤り、反逆を企てた様子。「老人たちの意に沿わない"口べらし"を止めないとこの船を爆破するぞ!」というのが、ハルオくんの主張である。やれやれ、熱く、無軌道だ。"少年"よ、その主張に理屈は伴っているのかい? と我々がいぶかしんだとき、まさかの事実が発覚する。なんと当の老人たちが、このようにハルオくんに語りかけるのである。「ハルオ、わしらがあの惑星に行きたいのは、本心じゃ。例え見ず知らずの惑星(ほし)だとしても、死ぬときは大地の上がいい。だから、そんなことは止めて、わしらを行かせてくれ。」

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 ははー!ざまぁ見ろ!筆者の大嫌いな大っ嫌いなおせっかい野郎が、ものの見事に恥をかいた。勝手におもんばかるなって。ミサトさんは日本人の心情は察しと思いやりだと言っていたけれど、筆者は全然納得できない。少なくとも、みんな個人としてしっかり生きていかなければならない現代社会においては、おせっかいマインドなんて必要ない。事実、"可哀想な"老人たちへの"思いやりの心"から反逆を起こした"優しい"ハルオくんは、実際のところ、当の老人たちの気持ちを1ミリも、1マイクロも、1ナノも、1ピコも、1フェムトも、1アトも、1ゼプトも、1ヨクトも理解できていない最低最悪の未熟者でしかなかった。

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 主人公の未熟さを描くためのやり方としてはややトリッキーだが、おせっかい野郎に鉄槌が下ったのなら、まぁよかろう。筆者はいったん溜飲を下ろす。しかし、あろうことか本作は、そんなおせっかい野郎を正当化してあげるのである。すなわち、反逆者として独房に監禁されたハルオくんが房の窓から見ていると、老人たちを乗せた揚陸艇が爆散してしまう、という展開。後にハルオくんとヒロイン的ポジションのユウコ・タニさん(声:花澤香菜)が会話するときにもこの件は推考されていたが、要は、この爆散展開が示しているのは、惑星タウEに降りようとしなければ老人たちは死ななかった…だから、やっぱりハルオは正しかったんだ…。ということなのである。

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 え?え?ちょっと待ってよ。…はぁ?! それ、全然別問題やんな?? だって、爆弾を抱えて籠城していたとき、ハルオくんは、上層部による揚陸艇の爆破までは予測できていなかったから。あの時点でのハルオくんの行動原理は、あくまでも"おじぃさんたちの意に沿わない口べらしはダメ!"というエゴイズムでしかなかった。そんなハルオくんの幼稚なおせっかいぶりだけでもこっちは辟易としているのに、そんな彼を"子供扱い"し、全く無関係な結果論で庇護してやろうとする本作の作り手には、心の底からガッカリである。

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 本作は、その後も主にハルオくん関係のゲンナリ展開が目白押し。例えば、地球に降り立ち、2万年前に打ち捨てられた人間文明の残骸を見たときの謎の号泣とか。まぁ、幼い頃に目の前で両親を殺され、その後の22年間をゴジラへの憎しみと地球への執着の中で生きてきたハルオくんが、旧文明のなごりに感極まるのは、分からないではない。しかし、ハルオくんが感動する理屈は、なんだかよく分からないのである。2万年も前に主を失った建造物が原型を留めているはずがない⇒至るところに繁茂しているこの未知のコケが建造物の形を保持しているんだ⇒そうか…地球は…俺たちのことを覚えていてくれていた…。 …グスン…ありがとう…コケ…。え? いやいや…はぁ?? 意味分からんし、マジで。彼の感情先行、自分中心型の立ち居振舞いには、本当に辟易させられる(海外サイトをサーフィンしていたら、このシーンは『猿の惑星』のラストシーンへのオマージュなんだ、という見解を見つけた。そのサイトは、本作のプロットが同作に似ているということと、英語版タイトル『Planet Of The Monsters』が『猿の惑星(Planet Of The Apes)』のもじりになっているという点を根拠に挙げていたが、どうなんでしょうね、それは。もし本当にそうなんだったら、むしろ逆に「なんじゃ、そりゃ!」って筆者は怒りたいぞ。)。

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 その後もまぁとにかくギャーギャー喚くんだ。別に絶叫を禁止するつもりなど、筆者にはさらさらない。「思いだけでも…!力だけでも…!」とかさ。もっと広くロボット・アニメで言えば「俺たちを誰だと思っていやがる!」とかさ。そういうのは、筆者も大好き。でも、それはやっぱり確固たる論理が前提にあってこそだと思うんだよな。「アイナー!好きだー!」の唐突な愛おしさは、極めて例外的なパターンである。この点、本作で目まぐるしく連発されるハルオくんの絶叫ショーは、そのほとんどが論理的な説得力を伴っていない。なんかもうとにかくなんだか"深そう"な雰囲気の言葉をギャーギャー怒鳴り散らし、なんだかよく分からない内に問題が解決している。百歩譲って"気合いで勝利の熱血展開!"と擁護してあげたいが、始終辛気くさく気取っている中二病のハルオくんには、熱血漢としての気持ちよさなど微塵も見受けられない。なぜか"臆病者"というレッテルを貼られたゴジラ殲滅作戦の隊長エリオット・リーランドさん(声:小野大輔)を非難するところなんか、噴飯ものの幼稚さ。ハルオくんは、気合いと感情だけでエリオットさんを罵るが、部隊が予定外の損失を被った現状、いったん母船に戻り、月面停泊の上で地球から必要な物資を取得するというプランのどこに問題があると言うのか。本当に人類の生存を真剣に考えているのは、一体どっちだ?

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 要は、やっぱり本作の作り手がハルオくんをガキ扱いしているんだと思うんだよな。しかも、そのガキ像が根本から間違っている。子供はバカじゃないよ。筆者も含め、詰め込み教育で育てられた"気合い世代"に比べれば、"ゆとり世代"の方が余程理知的で論理的で賢いに決まっている。したがって、まとめると本作の作り手は、ゴジラに親和性の無いガンダムの要素を盛り込み、その上でガンダムにおける少年の"もがき"を履き違え、ギャーギャー喚くだけのおせっかいクソ野郎を主人公にしてしまった、ということになる。筆者はまだしも、往年のゴジラファンのおっさんたちは、きっと痛くガッカリしたことだろう。

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 それから、個人的には(というか、みんなだと信じたいが)、人型異星人エクシフのイケメン中佐メトフィエスがハルオくんに注ぐ異常な愛情も引っ掛かった。メトフィエスは、反逆者たるハルオくんにゴジラ関連の機密情報をリークしてあげたり、ことあるごとに優しい言葉をかけてあげたり、挙げ句の果てには、エリオットさんが死亡し指揮権が自分に移った途端、「これより本作戦の指揮権を全てハルオ・サカキ大尉に委譲する!なお、責任は依然として全て私に帰属する!」と宣言してしまう。

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 これ、ちゃんと納得感があればいいんだよ。ハルオくんの圧倒的なカリスマ隊員たちからの信奉をしっかり描けていれば、素直に乗れる展開だ。そして、一応その辺りを描こうとする努力の跡は見てとれなくもない。しかし、あまりにも薄い。本作の描写だけでは、やはりメトフィエスが示すハルオくんへの"興味"は異常であり、良く言って彼もハルオくんを甘やかすダメな大人の一人、悪く(というか素直に)言えば、メトフィエスは完全に男色の異星人でしかない。筆者はよく"世の中を斜めから見ている"と言われるし、実際数日前にも友人の奥さんからそう言われたのだが、このメトフィエスに関する"ゲイ疑惑"については、絶対にそう感じた筆者の方が素直に違いない。

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 あと、肝心の"ゴジラ"ね。ビジュアル、能力、それら諸々を含めた設定が、全く魅力的じゃない。これは本作の致命的なポイントであろう。まず、全体として結局は『シン・ゴジラ』版のゴジラのパクりでしかないというところがガッカリ。フォルムは、"モンスターバース"版ゴジラのパクりだが、皮膚の質感とか、全体的に"無表情"な感じとかは、どう見てもシンゴジのフォロワー。放射熱線がビームっぽいところもシンゴジだし、満を持して現れた2万年前の個体が一撃であり得ない範囲をなぎ払う際のビジュアルも、『シン・ゴジラ』以後の現在では既視感以外を感じない。

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 そして、この2万年前の個体の登場も個人的にはゲンナリした。ハルオくんたちが必死こいてやっとこさ倒した個体は実は2万年前に地球を壊滅させたゴジラではなく、2万年間成長し続けた当の本人が満を持して現れる、という展開。これ自体はまぁいいと思う。問題は、2万年間成長し続けたというそのゴジラのビジュアルが、噛ませ犬の"チビゴジ"と何ら相違ないということ。デザインはそのまま。一応デカさは段違いという設定なんだろうけど、これがあんまり分からないのである。攻撃にしても、一応しっぽからの一閃で膨大な範囲を焦土に変えてしまうのだが、2万年を感じさせるには明らかに力不足。おまけに、この一閃によって、ハルオくんの指示で退避行動を取った隊員たちが全滅するんだよなぁ。タウEに向かった老人たちは結果的に爆死したから、ハルオくんは結果的に正しかったんですよね? じゃあ、いち早く退避を命じた結果として隊員を皆殺しにしたハルオくんは、やっぱりクソ野郎ってことでいいんですよね? こういう論理の非一貫性を生むという意味でも、"デカゴジ"登場の展開は上手くない。

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 他にも不満はいっぱいある。人類が去ってから2万年という悠久にも等しい時間が経過し、人智の及ばぬ"怪獣惑星"に成り果ててしまった…という胸躍る前フリの割には、モンスターのバリエーションがあまりにも貧弱、とか。筆者としては、ONE PIECEの『STRONG WORLD』とか、それこそ"モンスターバース"の『キング・コング / 髑髏島の巨神』みたいな"モンスター・パーティー"を期待していたのに、本作で登場する怪物は、前述のチビゴジ、デカゴジ、そして、ゴジラの変異体である翼竜ゴジの3タイプのみ。既存のゴジラの枠組みを逸脱して振り切ったSFにしてしまうなら、めちゃくちゃ凶暴な異形のクリーチャーが右往左往する未知の惑星感は必須だったろうし、それらをぶっ倒してゴジラを出現させれば、その最強感も同時に表現できたと思うのだが。

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 あとは、独自のを強く信仰しているというエクシフ人の設定。ダメな邦画がやりそうなこの安易な宗教感。そして、メトフィエスを始めとする主要人物たちのブツクサ会話。移民団の上層部にしてもハルオくんにしても、まぁ始終ブツクサと理屈っぽい言いまわしでしゃべりまくる。もちろん、筆者は理屈っぽい会話が好きだ。『攻殻機動隊』とかね。でも、本作のブツクサ会話は、よくよく聞いてみるとどれも明快なロジックや新鮮な思想信条を伴っていない。"げ"なんだよ、全部。本作がやっていることは、全てRHYMESTERの宇多丸師匠が良く言う"〇〇げ"でしかない。なんだかカッコよさげ。なんだか意味ありげ。実際には、中身なんてほとんど無い。逆に、大切な描写を情報だけで処理するのも良くない。例えば、デカゴジの強さとか。周囲の電磁力(?)が、チビゴジは90GW(ギガ・ワット)だったのに、デカゴジは900GWだ!(正確な数字は忘れた。)って言われても、全然伝わらないよ。やっぱりデザインに工夫を凝らすとか、デカさ表現をもっと効果的にするとかしないと。同じことがチビゴジを倒す最終作戦にも言える。画的な説得力が薄いんだよな。『シン・ゴジラ』のヤシオリ作戦には、飲ませて凝固させるという画で見て一発で分かる説得力があったじゃあないか。

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 あとひとつ思い出した。エンドロール後に登場する2万年後の少女な。エンドロール中、筆者はふと思ったんだ。あれれ、第一章で主人公を含む数人以外は全滅した。まだ母船には今後使えそうなキャラクターがいるかもしれないけれど、果たして手持ちのコマだけで話を進めるだろうか。ひょっとしたら、安易な部外者導入に走るのでは…? そんな筆者の当てずっぽうは、見事に的中した。エンドロールが開け、デカゴジに吹き飛ばされたはずのハルオくんが目を覚ますと、そこはどうやら洞窟の中。彼は"何者か"に助けられ、運び込まれた様子。そこにいるのである。なんだか、マクロスFのクラン・クラン大尉みたいな少女が…。まぁ、筆者はクランさんをスロットでしか知らないので、この例えは適切でないかもしれないが、とにかく、筆者が言いたいのは2万年ナメんな!ということ。本作のクリエーターは、ちゃんと『マン・アフター・マン』を読んだんでしょうか。スコットランドの地質学者ドゥーガル・ディクソンが執筆した同著では、1万年後でさえ人類はモフモフのゴリラなのに…。もちろん、同著はネタ半分で楽しむものなんだろうけど、でも、2万年後の人類像がピチピチの幼女ってのはどうなのよ。完全に2万年後という設定を、もっと言えば、SFというものをナメているとしか思えない。

怪獣惑星23


 まぁ、実際のところ、以上のような筆者の独断に満ちた怒りが果たして本作の感想として的を射ているのかは分からない。ひょっとしたら、真のゴジラ・フリークたちから絶賛されていて、ブツクサと素っ頓狂な理屈を振りかざす筆者こそが、何も分かっていない"クソガキ"なのかもしれないな。とりあえず、今は、いよいよメカゴジラの登場によってますますガンダムになっていくであろう来年5月公開予定の次回作『決戦機動増殖都市』を、あまり期待せずに待ちたいと思う。

怪獣惑星23


点数:42/100点
 "ゴジラ"をSFアニメにしてしまうという意欲的な企画ではあるものの、個人的には、いわゆる"邦画のダメなところ"が全て詰まった駄作だと思う。やっぱり、今はゴジラじゃないでしょう。数日前、先述した友人の幼い子供たちと筆者は遊んだのだが、そのとき、彼らは小さなライト・セーバーのおもちゃを振り回し、筆者はこの夏ぐらいに購入したルーク・スカイウォーカー・モデルのライト・セーバー(タカラトミーがハスブロ社のOEMで販売しているいわゆる"ブラック・シリーズ")を構えて楽しい時間を過ごした。言うまでもなく、年の瀬も徐々に押し迫ってきた2017年、この惑星の"クソガキ"たちが待ち望んでいるのは、『スターウォーズ』なのである。

 あと、本作には、鑑賞特典として小さなソフビ(一応"消しゴム"って書いてあったと思うけど。)が付いてくる。リビングに飾っていたはずなのに、友人来訪に伴い我が家の怪獣王が隠してしまったので、また見つけたら写真を撮って貼り付けたいと思います。何個配布なのかは知らないけれど、欲しい人は急いで劇場へ!

 あった!

怪獣惑星おまけ


(鑑賞日[初]:2017.11.17)
(劇場:TOHOシネマズ梅田)

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Mr.Alan Smithee
Posted byMr.Alan Smithee

Comments 2

There are no comments yet.
T  

観てないけど、読んだ感じはカヲル君キャラにしたかったんやろな

2017/11/22 (Wed) 22:21 | EDIT | REPLY |   
Mr.Alan Smithee  
Re: タイトルなし

まぁ、地球を"やり直す"話やしな。

あと、『まどマギ』の脚本家かなんかが絡んでるらしいから、ほむほむオマージュの可能性もある。

2017/11/23 (Thu) 03:55 | EDIT | REPLY |   

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