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・英語版:unknown
・日本語版:魂が震える。

 怒りは怒りを来たす。

三文あらすじ:アメリカ、ミズーリ州の田舎町エビングのさびれた道路に立ち並ぶ、忘れ去られた3枚の広告看板。ある日突然現れた新しい広告に、地元警察のウィロビー署長(ウディ・ハレルソン)とディクソン巡査(サム・ロックウェル)は驚愕する。そこには、7カ月前に娘を殺された中年女性ミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)が、地元警察の捜査怠慢を告発する内容が記されていた・・・


~*~*~*~


 ノミネートも発表され、いよいよ1ヶ月後に迫った第90回アカデミー賞。ボンクラな"ジャンル映画"ファンたちが期待しているのは、もちろん、俺たちのギレルモ・デル・トロが監督した魚人恋愛譚『シェイプ・オブ・ウォーター』(か、傑作ホラー『ゲット・アウト』)の作品賞受賞だが、おそらく世間的に最有力と目されているのは、日本では昨日2月1日のファースト・デーから公開がスタートした本作『スリー・ビルボード』であろう。もういい加減おっさ…もとい"良い大人"である筆者は、いつまでもバカ映画ばかりに耽溺せず、真っ当な映画ファンになるべく色々な"名作"を観るべきだ。よし、遅ればせながら、今年の目標を"ジャンル映画以外の名作もちゃんと観る"にしよう! …そんなことをモゴモゴと考え、普段はあまり観ないドラマ映画の初日に劇場を訪れたので感想を書く。

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 さて、実質として組合の内輪コンクールであるものの、一応"映画界最高の権威"とされているアカデミー賞では、毎年時宜に応じた名作に作品賞の栄冠が与えられる。もちろん、アカデミー会員だって所詮は愚かな人間だから、そこには"誤審"が付き物だ。『レイジング・ブル』も『エレファント・マン』も無視して『普通の人々』を選んでしまった第53回は、いまだに"アカデミー賞最大の汚点"として語り継がれているし、最近では、誰もが『ブロークバック・マウンテン』だと思っていたのになぜか『クラッシュ』が作品賞に輝いた第78回とか、『ブロークバック~』同様、"アカデミー賞の前哨戦"と言われているゴールデン・グローブ賞でしっかり作品賞を取っていた『ラ・ラ・ランド』が、まさかの『ムーンライト』に作品賞を譲ってしまった昨年の第89回とかが、記憶に新しい。

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 このように、アカデミー賞ではよく映画ファンの望まない番狂わせが起きるわけだが、少なくとも昨年の『ムーンライト』受賞までの流れは、ある程度理由が立つのではないだろうか。これは、本作が今年の作品賞最有力である、という予想を根拠付ける上でも有用だ。前提となるキーワードは、もちろん"黒人""同性愛"。まず、映画において黒人差別をテーマにするなんてことは、今では当たり前である。しかし、1930年代~60年代まで長らくハリウッドを縛っていた悪名高き"ヘイズ・コード"(詳しくはWikipediaで。)が、"白人奴隷""(特に白人と黒人の)異人種間混交"の描写を禁則事項として挙げていたことからも明らかな通り、アメリカにおける人種問題は、島国単一民族の我々からは推して測る術もないほど、ナイーブでセンシティブな問題である。

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 しかしながら、既に皆さんがご存知の通り、この問題に対して、"エンターテイメント"は諦めず戦い続けてきた。『スター・トレック』のウフーラさんから数えれば何十年も経ってしまったが、2014年の第86回アカデミー賞において、遂に"黒人奴隷"というアメリカの悪しき恥部をゴリゴリのメイン・テーマとして扱った『それでも夜は明ける』が、作品賞を受賞したのである。もちろん、だからといって人種問題が何か劇的な進展を見せるわけではないだろう。一旦は英断を下したハリウッドだって、ついこないだ(第87…いや、88回だったかな?)のアカデミー賞が有色人種を候補にせず「漂白だ!」と非難されたり、この前感想を書いた『ゴースト・イン・ザ・シェル』が同様の言葉でブーイングされたりしている。まぁ、でも、やっぱりきっと、ある種の前進ではあるわな。

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 一方の同性愛だが、こちらも極めて根深い問題。これまたヘイズ・コードの呪縛によって、同性愛者に関する直接描写は、実に長い間封印されてきた。別にいきり立ってヘイトすることでも無かろうに。特に偉人について言えば、両刀使いなんてのは、洋の東西を問わず古(いにしえ)からの定番だ。日本の戦国武将だって、大抵は美少年を侍らしていたわけだしな。そして、それはきっと、ハリウッド・スターも同じだろう。だからかどうかは分からないが、ヘイズ・コード支配下の時代でも、巨匠たちはこっそりと"ゲイ・モチーフ"を作品内に紛れ込ませてきた。よく挙げられるのは、1958年の『熱いトタン屋根の猫』か。第31回アカデミー作品賞にノミネートされた同作は、主人公夫婦のギクシャクした関係が物語の軸となっているのだが、よくよく観ていくと、どうやら夫の方が自殺したかつての親友男性と"恋仲"だったからなのではないか…とも取れる作りの作品。

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 まぁ、結果として同作は受賞を逃してしまったわけだが、これは仕方なかろう。当時はまだまだ時期尚早過ぎるし、特に同作はアメリカ南部を舞台にした作品だ。南部ってのは、"強いアメリカ"を象徴するようなゴリゴリの土地だからな。暗にほのめかす程度の描写だったとしても、当時の価値観からすれば、十分荒唐無稽に映り得る。しかし、"南部のゲイたち"は、それから約50年後の2005年、再び最高権威に挑戦状を叩き付けた。そう、南部男の、そして、"古き良きアメリカ"を象徴するカウボーイ同士の恋愛を真正面から描いた『ブロークバック・マウンテン』である。同作は、当時世界中の批評家や映画ファンから絶賛され、各賞を席巻し、アカデミー作品賞も受賞確実!と目されていた。にも関わらず、受賞したのは先述の通り『クラッシュ』。ふーむ…やはり…まだ早かったのだ…。というのが、多くの批評家が振り返って導く分析結果だが、でも…50年も経ってるのになぁ…。

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 特筆すべきマイル・ストーンを全然適切に踏めていないと思うが、とにかく、そんなこんなの末、昨年遂に『ムーンライト』に作品賞が与えられたのである。まぁ、実際のところ、少なくとも同性愛問題については、過去の"誤審"に対する汚名返上にはなっていない気もするが。オッケー、オッケー、じゃあ、黒人と同性愛、一気に認めちゃうよ!みたいな"やっつけ受賞"にも思えてしまう。やっぱり正々堂々と白人が主人公のゲイものに栄誉を与えないとダメだろ。まぁ、それは『ムーンライト』を礎にした未来の傑作に期待するとして、世界中の映画ファンが受賞を信じて疑わなかった『ラ・ラ・ランド』がまさかまさかの非受賞になった裏には、こういうマイノリティーへの目配せも潜んでいたのである。

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 前置きがとんでもなく長くなったが、そういった流れの中、ひょっとしたら今年は本作が作品賞を取るかもしれない、という予想が成立し得るのである。つまり、まず、昨年『ムーンライト』に栄誉を与えたのだから、今年はゴリゴリの人種問題もの以外の作品になるだろう、という予想。よって、『ゲット・アウト』は望み薄、というわけだ。これは、同性愛問題についても同様である。昨年フィーチャーしたわけだから、この先数年は触れずとも酷い非難には晒されるまい。では、今現在のアメリカを、そして、ハリウッドを席巻している問題とは何だ? そう、答えはもちろん"セクハラ問題"である。ハーヴェイ・ワインスタインの悪しき過去暴きに端を発したムーブメントは、今やハリウッド史上最大と言ってもおそらく過言ではないくらいの大きなうねりとなっている。先日のゴールデン・グローブでは、この"セクハラ親父狩り"への賛同の意志を示すため、女優がみんな黒のドレスを来てきたり、また何かのアワード(グラミーだったっけ?)では、女優がみんな白い花飾りを身に付けていたり、なんてのも話題になった。

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 そして、当然、このムーブメントはアカデミー賞にも余波を及ぼしている。例えば、ファンも批評家も大絶賛だった『ディザスター・アーティスト』で主演(と監督)を張ったジェームズ・フランコが、ノミニー投票締切の数日前に過去のセクハラを暴露された。"聡明"な彼は、暴露の芽を予め摘んでおくため、心当たりのある数人(5人だったかな。)の女性に手紙を送って謝罪していたのに、一人漏れていたのである。その結果、まぁ、暴露されたのが締切の数日前だから、実際問題としてどれほど影響があったかは分からないが、フランコは主演男優賞にノミネートされなかった。

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 個人的にはどうかと思うけどな。当たり前だけど、女性にだって責任がある、なんて前時代的なことを言う気はさらっさら無い。ただ、野放しにするのは危険だと思う。日本でも昨年の刑法改正で強姦罪が非親告罪になったらしいが、とはいえ、やっぱり強姦と和姦の線引きは難しくないかい? 特に、富も名声も愛憎もいっしょくたにグルングルン渦巻いているハリウッドで、だよ? もちろん、本当にセクハラや強姦をしたのなら、そんな男は何もかも一切合切剥奪して島流しの皆殺しにしてしまえばいい。でも、せめて女性側にも、今みたいな"お手軽Twitter断罪"ではなく、もっと正式に告訴してもらった上で、ある程度の立証責任を負わせるとかしないとダメじゃないか? でないと、このまま手当たり次第に#Meetooしていったら、このムーブメント自体が形骸化していくに違いない。そもそも、この#Meetooっていうハッシュタグも個人的には納得できない。本当に大変な問題なんだろ? 悲しくて、やりきれないんだろ? じゃあ、「あ、うちもうちもー!」みたいな乗っかりじゃなくて、自分の言葉で語ろうよ。そりゃ、言い出すには尋常ならざる勇気がいるだろうけれど、それはTwitterというツールである程度軽減されてるじゃあないか。ハッシュタグは"Iconfess"とかでもよくないかな?

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 …という筆者の愚かしい怒りは置いておいて、そういったムーブメントが大盛り上がりしているため、"女性の戦い"をテーマにした本作が、作品賞を取りかねないわけである。俺たちの『シェイプ・オブ・ウォーター』は、突き詰めれば"人種問題"のメタファーだろうから、先述の流れから言えばやはり不利だろう。おまけに、本作のスゴいところは、ちゃんと人種問題と同性愛問題の両方にも目配せしているという点である。いまだ差別や偏見がはびこる南部の田舎町を舞台に、黒人やゲイを露骨に虐げる警察の姿が一応描かれている。これはポイント高いんじゃないか。ちゃんとこれまでの流れを前提として落とし込んだ上で、今最も熱い問題に切り込む(主人公の名字が奇しくも"ヘイズ"である…というのは、こじつけか。)。更に更に、本作は、今のところ、確か#Meetooした人も、#Meetooされた人も関わっていないセクハラ無縁の作品だったはずだ。なんと完璧な布陣だろう。

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 そんなわけで、主だった要素だけ引っこ抜けば実に作品賞然とした本作『スリー・ビルボード』。では、ノコノコと劇場に足を運んだ筆者のより具体的な感想は、というと、またなんか難しい話やなーというのが、正直なところである。強姦殺人で娘を失い、その犯人が一向に捕まらないという凄惨な状況にいる母親が、なんとか頑張って"社会"と戦いながら、遂には真犯人を見つける。そんな勧善懲悪な話ではない。母親の営意は結局全て無駄で、この世知辛い世の中の無情と残酷が浮き彫りになる。それともちょっと違う。本作が扱うテーマを端的に要約しているのは、劇中でミルドレッドの元夫と現在交際中の小娘が、何かの本から引用した次の言葉。

 "怒りは怒りを来たす。"

 つまり、やり場のない怒りを3枚のビルボードにぶちまけた結果、あれよあれよと周囲のほとんどの人の怒りを買ってしまったミルドレッドを、そのままズバリで言い表したフレーズである。そう、ミルドレッドさんは、従来の映画的な意味で言えば、"ヒーロー"ではない。もっと等身大で、もっと醜い存在だ。腐敗した警察権力に屈しないカリスマなんだろうなぁ。我々が事前に予想していたミルドレッドさんのそんなキャラクターは、物語が進行するにつれ、加速度的に異なる様相を露にしていく。結局、ウィロビー署長率いる地元警察はちゃんと捜査していたのだし、ビルボードは元夫が燃やしたのに勘違いして警察署に火炎瓶を投げ込むし、その結果、ディクソン巡査に大火傷を負わせるし、本当は唯一守ってやるべき息子にも激ギレされるし…。鑑賞前、あるいは、序盤の内は"可哀想なお母さんもの"だと思っていた本作は、実は、主人公こそが狂っていたという"パラノイアもの"とも言い得るわけだ。

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 我々は、ここから何を感じ取ればいい? もがいてももがいても救われないことだってある。そんな無情と残酷だろうか。更年期のババアは恐いわねぇ…。あるいは、それもありか。または、もしかして、勝手な解釈で周囲に喧嘩を売りまくり、いつの間にやら孤立してしまうという点を、現在のアメリカに重ねてみてもいいのだろうか。ミルドレッドが打ち出したのは"壁"でこそないものの、テリトリーの境で外敵を威嚇する装置ではあるわけだし、まさにトランプを強く支持していた南部でのゴタゴタが描かれるわけだし…。本作ラストは、ミルドレッドとディクソンが、結局ミルドレッドの娘殺しの犯人ではなかった他州の青年を「でも、アイツは絶対に他でレイプしまくってる!」と決め付け、なんと彼を殺すため車で出発して終幕する。なんとも尻切れトンボかつ突き放したラストであるため、ここは本作の中でも最も物議を醸しそうな部分だが、もしかしてこれも、勝手に世界のビジランテを気取るアメリカの暗喩だったりして…。

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 てことは、(あくまで極東の我々がこじつけるなら)自分に大怪我を負わせた元凶であるミルドレッドを実にあっさりと許して満足げにお供するディクソンは、もしかして日本のメタファーか? あるいは、ミルドレッドからめちゃくちゃイチャモンを付けられたのに結局最期まで彼女を思いやっていた最高のナイス・ガイ、ウィロビーこそが、今やかつての栄光など見る影もなく死んでしまったジャパン…? なんか安保条約の件とかを想起すると前者っぽいけど………やめよう…。そういった政治的解釈は、当ブログのモットーに反している。大人だなんだと気取ってよく知りもしない社会問題の話なんかを続けたら、きっと誰かの逆鱗に触れてしまうに違いない。もう手遅れかもしれないが、やり場のない感想が怒りを来たす前に、今回はこの辺で終わっておこうと思う。

点数:78/100点
 日本版キャッチコピーの通り、まさに魂を震わせて観入ってしまうし、鑑賞後も様々な細部を深く考えたくなる感慨深い一作。ただ、正直なところ、筆者にはまだ整理が付いていない。果たして、筆者がトロトロと述べたトンチンカンが、少しでも真実を掠めているだろうか。とりあえず、筆者の隣の席で上映中にも関わらず度々、かつ堂々とスマホをチェックしていたあのおっさんへの怒りは、これ以上のそれを来たさぬよう、そっと心のビルボードにのみ記しておくとしよう。

(鑑賞日[初]:2018.2.1)
(劇場:TOHOシネマズ梅田)

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Posted byMr.Alan Smithee

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