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キャッチコピー
・英語版:unknown
・日本語版:切なくも愛おしい愛の物語。

 それは、"俺たちの形"をしていた。

三文あらすじ:1962年のアメリカ、政府の極秘研究所に勤める女性イライザ(サリー・ホーキンス)は、秘かに運び込まれた不思議な生き物(ダグ・ジョーンズ)を見てしまう。アマゾンの奥地で神のように崇められていたという“彼”の、奇妙だがどこか魅惑的な姿に心を奪われたイライザは、周囲の目を盗んで会いに行くようになる。子供の頃のトラウマで声が出せないイライザだったが、音楽とダンスに手話、そして熱い眼差しで二人の心が通い始めた時、彼女は“彼”が間もなく国家の威信をかけた実験の犠牲になると知る・・・


~*~*~*~


 やってくれた!俺たちの、俺たちのギレルモ・デル・トロが、遂にやってくれた!日本時間の本日3月5日(月)10:00(現地時間では、3月4日(日)17:00)から授賞式がスタートした第90回アカデミー賞において、デル・トロの監督作である本作『シェイプ・オブ・ウォーター』が、見事作品賞に輝き、デル・トロ自身が見事監督賞の栄冠を手にしたのである。日本公開日である3月1日からは少し時間が経ってしまったが、遅ればせながら鑑賞してきたので、取り急ぎ感想を書く。

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 全体の印象としては、やっぱりデル・トロらしく、本当に優しい物語だと感じた。本作が扱うのは、声の出ない女性と魚人というマイノリティーの恋。これに加えて、ヒロインの親友である黒人女性や初老のゲイにもスポットが当てられており、およそ"はみ出し者"という存在がまんべんなく網羅されている。これは、黒人、ゲイ、女性という3つのカテゴリーに焦点が当てられていた『スリー・ビルボード』と概ね同様の趣向である。もっとも、本作のイライザは、女性であることに加えてさらに声が出ないという障害と孤児という出生を負っているから、ある意味では『スリー・ビルボード』よりパワーアップしている、とも言えそうだが。まぁ、いずれにせよ、「女性だけでなく、黒人にもゲイにもまんべんなく目配せしている『スリー・ビルボード』の方が有利なんじゃないか。」なんて言っていた筆者は、酷く無知でマヌケだったわけだ。

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 で、俺たちのデル・トロは、そんな"はみ出し者"を心の底から慈(いつく)しんで描く。デル・トロは、そういう奴なんだ。『パンズ・ラビリンス』だってそう。『ヘルボーイ』だってそうだった。それは、極度のオタクであるデル・トロ自身(同時に、トランプ政権下の昨今何かと話題の"メキシコからの移民"でもある。監督賞受賞スピーチの第一声も「私は移民です。」というセンテンスだった。)が、きっと"異形の者"に対して本当の愛や憧れを持っているからだと思う。1954年制作の『大アマゾンの半魚人』から着想を得たという本作の"不思議な生き物"とか、『ヘルボーイ』のレッド&ブルーとか。そういったクリーチャーたちを、デル・トロは、真剣に"カッコいい"と思って描いている。そして、この"異形憧れ"は、そのままもっと現実的なマイノリティーにもスライド可能だ。女性とか、黒人とか、ゲイとか、障害者とか。俺たちと違うからって嫌う必要があるかい?違うから"カッコいい"んだろう? デル・トロのマイノリティー描写からは、いつもそんな"正しいメッセージ"が発せられている気がする。

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 では、"優しい物語"としての本作が提示したオチは、一体どのようなものだったか。抽象的には、もちろんイライザと魚人の恋は見事に成就し、永遠のものになったのだ…。ということであろう。しかし、より具体的なフェイズ、すなわち、イライザの生死に関しては、観た者それぞれに解釈の余地が残されている。この点、魚人の治癒能力に着目するなら、イライザ生存説が説得的だ。アマゾンの原住民から"神"として崇められていた魚人は、初老のゲイであるジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)の頭を触って髪を生やし、腕の傷に触れて跡形もなく治癒させた実績がある。だとすれば、ストリックランド(マイケル・シャノン)の凶弾に倒れたイライザを連れて海中に没した後、その治癒能力で蘇生させ、二人で人の目の届かぬ地まで逃げた、と考えることも合理的である。

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 そして、この場合、ラスト・シーンで描かれた、イライザの首もとに『ウォーターワールド』のケヴィン・コスナーよろしくエラが生えた描写、これは事実である、と考えるのがよかろう。もちろん、それはイライザ生存説から導かれる唯一の答えではない。イライザは蘇生されたが、エラの発生はファンタジーで、二人はその後もこれまで通り、陸上生物と水陸両用生物としてアマゾンあたりでひっそりと暮らしたのだ、とも考え得る。でも、それってスマートじゃないよな。この物語の中での"現実"でイライザ復活というファンタジーを許容してやるなら、そのままエラ呼吸というファンタジーも認めてあげた方が、話の落としどころとしては余程しっくりくる。つまり、川で拾われた孤児のイライザは、実はハナから魚人サイドの生き物であり、そんな彼女が魚人と出会うことで遂には本当の居場所に戻る…という『みにくいアヒルの子』的な話。本作があくまで王道的・正統的なファンタジーを指向するなら、それもあり得るだろう(あるいは、巷で言われている通り、『美女と野獣』になぞらえても良い。個人的には、真の姿を取り戻すキャラクターの性別やいわゆる"美醜"の逆転構造からして、『シュレック』を引き合いに出す方が正確な気がするが。)。

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 しかしながら、筆者はイライザ死亡説に依拠したい。理由はいくつかあるが、まずは、デル・トロの"物語論"である。まぁ、彼が実際にどう考えているのか、実は筆者は知らないんだけれど、『ヘルボーイ』とか『パシフィック・リム』みたいなファンタジー・アクションではなく、もっと"現実"に寄り添ったファンタジー・ドラマを描くときの彼の考え方というのは、やはり『パンズ・ラビリンス』なんじゃないかなぁ、と思うのである。詳細は省くが、同作の主人公オフェリアちゃんは、結局のところ"現実"の犠牲となった。彼女の身の回りで起きていたファンタジー現象は、残酷な言い方をすれば全て彼女の妄想でしかない。しかし、その妄想のおかげで彼女は"現実"と戦うことができ、例え"現実"では死んでしまっても、ファンタジーの世界でハッピーエンドを手に入れたのである。そう、つまり、『パンズ・ラビリンス』ってのは、筆者の大好きな『エンジェル・ウォーズ』と同じく、「あぁ、"物語"は所詮"物語"だ!でも、だからこそ"現実"と戦うための"武器"になるんだ!」という、"物語の力を信じた作品"だったのである。

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 筆者は、この考え方を本作にもスライドさせたい。ストリックランドが象徴する"現実社会"は、イライザや魚人のようなマイノリティー、あるいはイレギュラーを許さない。百歩譲ってその存在自体は黙認されても、彼らが抱くささやかな願いや希望、それら全てが、忌むべき対象だ。ストリックランドが放った銃弾は、『パンズ・ラビリンス』のラストでヴィダル大尉が放ったそれと同じく、無情にも幼気な少女の命を奪った。確かに、本作には『パンズ~』とは違って魚人という"具現化した物語"が存在するが、それでも、彼の力はイライザの命を救えなかったのだと筆者は思う。なぜなら、"物語"は"所詮その程度の存在"だからである。"物語"は、絶対に"現実"には勝てない。幼い頃、我々が夢中になっていた形無き"空想"は、この世界への物理的干渉力を持たない。だから、成長するにつれて、みんな"物語"を信じなくなるんだ。実際、本作で魚人が見せた力は、ジャイルズの頭に触れてファサッと髪を生やした、それだけのこと。もちろん、それは世のあらゆるハゲ親父が心の底から切望している現実的で切実な問題である。でもさ、それって突き詰めれば気持ちの問題だよな? 別にハゲてたってモテる人はモテるんだし(筆者の友人の薄毛の君。君のことだよ。)。やっぱり、"物語"にできるのは、所詮誰かを励ますことくらいで、死んでしまった者の命を取り戻すなんて、そんな大それた現実への干渉は不可能なんだ(先述の通り、魚人はジャイルズの"発毛"に加えて、彼の腕の切り傷を治すという"現実干渉"を行っている。よって、そこから進んで"蘇生"までをも彼の能力と捉えることも可能だ。しかし、この点は、観客がイライザ生存説にも死亡説にもどちらにも依拠できるようにデル・トロがわざと残した"解釈しろ"なのだと、筆者は思いたい。)

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 また、筆者は、ストリックランドの上司であり、それすなわち、この残酷な現実の見えざる中枢を象徴するキャラクター、ホイト将軍(ニック・サーシー)の台詞にも注目したい。終盤、ストリックランドの失態に対し静かに業を煮やすホイトは、このように発言する。「宇宙にお前の形をした穴が空くぞ。お前はここではない見知らぬ世界で暮らすことになる。」 後半の部分はめちゃくちゃうろ覚えなんだけど、要は、てめーはド田舎に左遷だ!ってこと。それをなにやらウィット溢るる迂遠な言い回しで表現したわけである。実は、この台詞こそが、本作のラストをさりげなく示唆しているのではないだろうか。命を落としたイライザは、この浮き世から離脱し、ラストの水中シーンが象徴するファンタジーの世界で真のハッピーエンドを迎えた、というラストを。

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 もちろん、これはこじつけだ。なぜよりにもよってホイトがそんなメタ発言をするのだ?!という疑問は当然起こる。しかし、実は、ホイトは作中でもう一つメタな先々の示唆を言葉にしている。それは、同じシーンで彼が言った「この件は36時間後に片が付く。」という台詞。IMDbによると、なんとこの発言から36分後に本作は終幕するというのである。まぁ、実際のところ、まるで『エヴァQ』の冬月先生がごときこの台詞が意図する本当の狙いは、筆者には分からない。全部含めてただの偶然、という可能性の方が強いかもしれない。しかし、"物語"側の象徴たる魚人が作中度々"神"と形容されていたように、"現実"の頂点として登場するホイトもまた"神"の役割を担っているのではないか? だから、神の視点からメタなことも言うし、ある程度は彼の筋書き通りに事が運ぶんだ。でも、"物語"の神たる魚人と"物語"を信じる一人の少女の頑張りが、その筋書きを少しだけ狂わせた。そんな風に、筆者は考えたい。

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 まぁ、リアリストからすれば、それは"敗北"だろう。魚人が逃げおおせたという点ではホイト=現実の負けだが、イライザという少女の現世での物語は、死という結末を迎えたのだから。でも、『パンズ・ラビリンス』や『エンジェル・ウォーズ』が大好きな我々は、ちゃんと分かっている。それが紛れもない"勝利"だということを。例え現実は変えられなくても、"物語"は俺たちを救ってくれる。凶弾に倒れたとき、イライザは最後の力を振り絞って魚人の手に自身のそれを重ねるが、あのとき、彼女は彼に魂を預けたんだ。つまり、"物語"側の住人になったんだよ(さらにそこから進んで、イライザの魂が逆に魚人を蘇生させた、と考えてもいいかも。物語を信じる熱い気持ちが、今度は物語を救ったのである。漢の魂完全燃焼!)。そう、イライザは負けたんじゃない。逃げきったんだ。それに、イライザを始めとした彼女たちはみな、ただ逃げただけじゃない。戦いの末、この"現実"に彼女らの形をした風穴を開けている。オフェリアちゃんは父を打倒し、ベイビードールは"不意打ち"をお見舞いし、そして、イライザは、魚人を大海に逃がした。筆者は、この"抗い"、すなわち、"現実"に対して自らの存在を高らかに宣言してみせる様こそが、本作が提示する"形(Shape)"なのではないか?と思ったりする。

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 本作には"水"がひっきりなしに出てくるが、重要なのは、やはりタイトルにもなっている通り、それが"形"を得た瞬間である。最も端的なのは、魚人とまさかの初体験を済ませた後、幸せそうにバスに揺られるイライザのシーン。ここで彼女は、窓の外側を伝って流れ落ちていく雨の雫を内側から操り、二つの塊を錬成する。これ自体は、彼女が伝えようのない愛を託したミュージカル・シーン同様、完全なるファンタジー描写と理解してよかろう。要は、イライザの妄想である。とはいえ、映画である以上、それは当然何らかのモチーフであり、雫が二つである以上、それはイライザと魚人を表している、と考えるべきだと思う。

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 では、そんなモチーフから我々は何を感じとるべきか。筆者はこう思う。"雫操りシーン"は、イライザがこの"現実社会"で始めて自らの存在を実感したということのメタファーなのだ、と。このくだらない"現実"では、イライザや魚人のようなイレギュラーに広い意味での"人権"は無い。"現実"側の代表者であるストリックランドが"手をいつ洗うか"の話をしたり、おしっこを傍若無人に撒き散らしていたことが象徴的だが、彼女らは、"現実"によって都合良く扱われるだけの、個性無き、"形"無き"水"だ。マイノリティーを扱った数多の作品の中でも、このように彼らを"水"に重ねるのは、割と本作のユニークな部分だと思う。虐げられることが問題なんじゃない。実際、イライザというキャラクターを端的に紹介する冒頭は、彼女の日課としてのオナニーを描いたり、近所の人や親友との交流を示したりして、彼女がそれなりに楽しく生きているということを伝える。問題は何か。それは彼女らが無味無臭の"形"無き"水"として流れの中に埋没することを強要されている点であり、最も具体的な作為(あるいは、不作為)で表現すれば、話を聞いてもらえない、ということに他ならない。

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 この点を端的に示すのが、本作屈指の名シーンであるイライザがジャイルズに魚人救出を訴えるシーン。イライザとは性別も年齢も超越して大親友のジャイルズだが、自身の復職がかかった正念場に、荒唐無稽で国家レベルの"誘拐作戦"を持ちかけられたら、そりゃあ片手間になっても致し方ない。ここは脚本も秀逸で、ジャイルズが茶化して言う「じゃあ、中華料理屋に行く度、水槽の魚を逃がすのか?」は、かなり説得的。でも、そんな彼にイライザは訴える。「 "私の話 "を聞いて!」 これは、『エンジェル・ウォーズ』における「さぁ、戦って!」と同じく、スクリーンを越えて我々観客にも向けられた台詞であろう。昔みたいに露骨な差別や抑圧は表向き無くなったけれど、社会はいまだマイノリティーを忌避している。耳障りの良い理由だけ無尽蔵に増えて、でも結局は目を背け、耳をふさいでいる。魚人の殺害と解剖を主張するストリックランドだって、よくよく考えればそんな社会の象徴じゃないか。解剖しなきゃ研究できない!って訳知り顔で言うけれど、実は無意識の内に、魚人なんていう伝説級のイレギュラーが存在しない世界へ、流れを戻そうとしているんだ。

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 なぜそんなことをするか。理由は簡単だ。めんどくさいからさ。恐いからさ。他者との違いを乗り越えて対話する覚悟が無いからさ。人はみな予め共有された認識と言語の中で生きていて、腹を割った会話など無くとも、相手のことなんか真剣に知ろうとしなくとも、無条件で分かり合える。そういう"てい"で生きれば楽だ(エヴァの『EOE』のイメージに近い。そういや、本作が標榜する"水の形"っていうのは、『EOE』他者が溶け合った海からシンジとアスカが形を取り戻す、あのイメージが一番分かりやすいんだろうな。日本のアニメや特撮、そして、ロボット好きを公言しているデル・トロのことだから、マジでエヴァから着想を得たという可能性もありそうだ。)。だから、イレギュラーは駆逐しなければならない。流れからはみ出して"形"を持ってしまった水滴は、できるだけ早く掃除係に拭き取らせなけらばならない。そんな怠惰な"現実"にイライザは訴える。その手段は我々の知る言葉ではない。その内容は我々に馴染みある世間話ではない。だから、はぐらかすのは簡単だ。でも、違うだろう? 水槽の魚? そうじゃない。話を聞け。俺の話を。俺がどんな人間かを知ろうとしろ!

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 この主張を文字通り"体現"するサリー・ホーキンスの演技がまた本当に素晴らしい。そもそも、全編を通して、イライザというキャラクターは絶対にサリーでなければ成立しなかったであろう、というくらい、彼女はハマっている。主演女優賞こそフランシス・マクドーマンドの迫真に譲ってしまったが、デル・トロは、元々完全にサリーを念頭に置いた上でイライザというキャラクターを作り出した、それくらい彼女の演技とその存在感に魅了されていたそうだ(事実、デル・トロはインタビューで「サリーはイライザ役の"筆頭候補"だったわけではない。"唯一の候補"だったんだ。」と語っている。)。ストリックランドも言っていたが、彼女は決して美人ではない。豊満な肉体も、艶かしい美声も持っていない。でも、本作のサリーは、このイライザという女性は、全身の細胞が打ち震えるほど魅力的だ。確かにそれは、これまたストリックランドが言ったように、彼女が喋らないからなのかもしれない。やはり、この忌々しい"現実社会"ってやつは、心の底では人の話なんか聞きたくないと思っているんだ(ストリックランドが嫁とのセックス中に「喋るな!」と口を塞ぐ、あのシーンが極めて端的。)。

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 そんな"現実"の中で、彼女は魚人に出会った。それは、"水"と同じく本来的には形など無い"物語(ファンタジー)"が具現化された奇跡的な、運命的な存在。イライザはそんな存在を愛した。みなが相手のことを真剣に知ろうとせず、なんとなくで流していくくだらない世界で、彼女は、"物語"を信じたのである。そうなんだよ。イライザは、俺たちなんだよ。もちろん、現実的・物理的な意味では勝てなどしないさ。強大かつ連綿と流れ続ける濁流の中で自身の"形"を得るなんて、夢物語だ。でも、それを救ってやることこそが、"物語"の存在意義に他ならない。だから、デル・トロは、本当は死んでしまったイライザを物語の中で"人魚姫"にしてあげる。みにくいアヒルに白鳥としての優しく勇敢な"ウソ"をプレゼントしてあげる。これは、イライザという一人のキャラクターへの救済であると同時に、我々観客に対する"物語"の提供でもある。ありがとう…本当に、本当にありがとう…俺たちのデル・トロ…。そんなことを勝手に考えて、筆者は、はばかりなく劇場で号泣した。流れ落ちる涙の一粒一粒を心底愛おしく感じたのは、初めての経験だった。

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点数:90/100点
 しかし、まとまらんなー。様々な思いが涙と共に止めどなく溢れてくるのに、それに形を持たせることの何と難しいことよ。聞くところによると、本作を"退屈"と評す人もいるらしい。それはスゴく分かる。ときに"デル・トロ版『美女と野獣』"と形容される通り、本作のストーリー・ラインは、一見してスゴくスゴくベタだ。アカデミー作品賞の対抗馬として君臨していた『スリー・ビルボード』が、本作とは対照的に映画通ほど唸る先の見えないストーリーだったもんだから、なおさら本作のストーリー進行に凡庸さを感じる人も多かろう。しかしながら、本作は、イライザ同様、語るべき内容の無い無口な有象無象では決してない。昨今のディズニーが往年の"プリンセス・ストーリー"からの脱却を図ったように、今だからこそ語るべき真に優しい"俺たちの物語"がそこにはある。たまに、「本作は、"愛の形"は人それぞれっていうラブ・ストーリーで~」という感想を耳にする。そして、それは決して間違ってはいない。でも、個人的に本作は、そういう狭いテーマだけを扱った作品ではないと思うんだ。このクソみたいな"現実"の中で俺たちボンクラはどう生きていけばいいか、という問いに対し、"物語"という"武器"であり"救い"を以て答えてくれる。筆者は、"現実"に馴染めない一人の名も無きボンクラとして、映画界最高の権威が2017年最高の一本として選んだ本作『シェイプ・オブ・ウォーター』は、そんな本当に崇高で優しい作品だ、ということを改めて付言しておきたい。

※後日追記:あと、イライザ死亡説の根拠として、2017年の映画界を席巻した"凡人ブーム"にも注目すべきだな。主人公がいわゆる"選ばれし者"ではなく、実は単なる一般人でしたという作品が、昨年は本当に目立ったように思う。例えば、血縁上は確かに"神"の子だが、その関係を否定してクソ野郎なおっさんを真の父親と認めた『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー VOL.2』とか。あるいは、伝説的な前作の主人公の子供なのかと思いきや、実はなんでもないただの人造人間だった『ブレードランナー 2049』とか。そして、大トリを飾るべく、それまでのサーガの伝統をぶち壊してまで主人公の特別性を剥ぎ取ってみせた『最後のジェダイ』とか。そんな2017年の一本として、本作が古臭い"選ばれし者展開"を採用するとは思えない。よって、イライザはやはり元々魚人ではなくただの捨て子で、"現実"には負けたけれど"物語"の世界でハッピーエンドを迎えたのだ、と筆者は思うのである。

※後日追記2:イライザ死亡説の根拠としてもうひとつ、撮影方法を挙げたい。撮影方法っていうか…要は、本作冒頭においてイライザが水中で寝ているシーンとラストの水中キスシーン。この2つは、ワイヤーで吊って撮影し、後から水のエフェクトを足しているらしい。一方、同じ水中シーンでも、中盤でイライザと魚人がバスルームの中で抱き合うシーンは、本当にセットに水を溜めて撮ったらしいんだ。つまり、それはそのまま、中盤は"現実"の出来事だが、冒頭とラストはあくまで"ファンタジー"だということだろう。もちろん、普通に考えれば、そんな作品を観ただけで分からない部分にまで根拠を求めるなんて、それはもはやパラノイアじゃないか…って感じがする。でも、デル・トロに限っては、その推測が十分成り立つのである。事実、彼は、イライザの部屋の壁紙を葛飾北斎が浮世絵で書いた鯉の鱗から持ってきていて、しかも、ただデザインを借用するだけじゃなく、わざわざその下に大きく拡大したその浮世絵を貼り付けていたらしい(もしくは、大きく拡大して鱗部分だけ壁紙にしたんだったかな。)。この過剰なこだわりよ(デル・トロ曰く、その浮世絵は、"水の形"を適格に描いているそうで。)。そんな、作品を観ただけでは容易に知り得ないことをする奴なんだから、やっぱりCG処理が施されたラストは、死んでしまったイライザに送る"ファンタジー"なのだと、筆者は思うのである。

(鑑賞日[初]:2018.3.3)
(劇場:MOVIXあまがさき)

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Posted byMr.Alan Smithee

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