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キャッチコピー
・英語版:The celebration of a lifetime
・日本語版:それは、時を超えて ― 家族をつなぐ、奇跡の歌。

 俺が忘れられるまで、忘れない。

三文あらすじ:メキシコのサンタ・セシリアでミュージシャンを夢見るギターの天才少年ミゲル・リヴェラ(声:アンソニー・ゴンザレス)。厳格な"家族の掟"によって、ギターを弾くどころか音楽を聴くことすら禁じられていた彼は、亡き者を偲ぶ"死者の日"に、先祖たちが暮らす“死者の国”に迷い込んでしまう。家族に会いたいと願う陽気だけど孤独なガイコツのヘクター(声:ガエル・ガルシア・ベルナル)と共に、ミゲルは、伝説のミュージシャンにして自身のひいひいおじいちゃんでもあるエルネスト・デラクルス(声:ベンジャミン・ブラット)を探すのだが・・・

※以下、ネタバレあり。


~*~*~*~


 先頃の第90回アカデミー賞において、見事"最優秀長編アニメーション賞"の栄冠を手にしたディズニー・ピクサー最新作『リメンバー・ミー』。今年のノミネート作はただでさえ小粒ばかりなのに、そこに来てこの出来じゃあ、ハナから勝負にならない。そう、あらゆる批評家が太鼓判を押すくらい、公開前から本作の評価は高かった。とはいえ、筆者はディズニー作品に疎いので、「はーん…。」なんて言いながら観逃そうとしていたのだが、たまたま一緒に観たいという人物がいたため、いわば"付き添い"の形で劇場へと足を運んだわけである。そうしたら、どうだい。やられてしまった。完膚無きまでに、心を奪われてしまった。本作『リメンバー・ミー』は、本当に本当に大傑作だと思う。

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 何が素晴らしいかって、今だかつて、"ご先祖様"というカビ臭い"信仰"をこんなにも"説得的"に肯定してみせた作品が他にあったろうか。あったんだと思うよ。尊属や卑属との繋がりってのは、人が社会らしきものを築いたときからきっと普遍の最重要事項であろう。だから、それをテーマにした作品なんか無数にあって、筆者もこれまで散々観てきたはずだ。ゆえに、本作に対する筆者の大興奮は、きっと「そら、お前がたまたまそういうタイミングやったからやろ。」という類いの自己中心的な感情なのだと思う。事実、筆者の周りでは昨年から、例えば結婚だとか、それに伴う子作り問題だとか、例えばおじいちゃんの死とか、そういった悲喜交々が断続的に発生しており、ちょうど"家族って何だよ?"と考えていたところであった。そんな気持ちにこれ以上無く納得感の強い"答え"を与えてくれたのが、本作なのである。

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 その"答え"ってのが、もちろん、主題歌のタイトルでもあり、邦題にもなっている"Remember Me(忘れないで)"。祖先は偉大だから。先祖あっての我々だから。そんな反吐が出るような押し付けがましい"年寄り崇拝"は、もはや過去の話。死んだ者は、消えてなくなるわけではない。その考え方は古今東西どこでもあるが、さらに、現世で忘れられるとあの世での存在も消滅してしまう。この理屈を付加したところが、まずポイント(当然、少なくともメキシコでは古くから流布されている理屈なのだろうが。)。その上で、写真を飾ってもらわなければ死者は現世に来訪できない、という理屈。あやふやな感情論でなく、きちんと思いをアクションとして描くための、この上ないアイデアである。つまり、大前提として本作が素晴らしいのは、"家族の絆"というテーマを描くにあたって、メキシコの国民的カーニバルである"死者の日"というフォーマットに着目した、その慧眼であろう。

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 ただ、もし本作がその理屈部分に終始した退屈な作品だったなら、筆者の涙腺はウンともスンとも言わなかったに違いない。理屈だけなら、なんとでも反論できる。2年前くらいにおばあちゃんが他界し、つい昨年末におじいちゃんが後を追ってこの世を去り、しかし、その両者とは10年以上も会っていなかったため「ふーむ、とはいえ、特に感慨はないなぁ…。」と感じていた筆者に、我が父はふとこんなことを言った。「自分が死んでも、その後に子供とか孫とかの人生が続いていくと思えば、ちょっと楽や。せやから、やっぱり"家族"はいるな。」 これもまた"死"や"家族"に対する"理屈"であり、そして、筆者はこの理屈に感銘を受けた。しかし、筆者はこのとき、別に泣いたりしなかった。その理屈には賛成だ。でも、いまだ"説得力"の面で穴がある。死者がその先どうなるか分からないのに、その死者に対する現世での思い入れが無いのに、もっと言うと、思い入れの持ちようもないひいおじいちゃんや、ひいひいおじいちゃんやそのずっと先の祖先たちに対しても、我々子孫はなんらかの感情を持ち、"家族"という曖昧なシステムを維持し続けなければならないのだろうか…?

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 そんな筆者を本作は真っ向から説得してみせる。例えば、"理屈"が魚の骨だとしたら、骨組みがしっかりしている上、さらに躍動的な筋肉と艶やかな外皮を備え、我々が見たこともないような神秘の大海原を実にエネルギッシュかつ優雅に泳いでみせる大魚。そんな作品。まぁ、要は、描かれるキャラクターや世界がやんごとなく魅力的ってことなんだよ。映画は文字情報じゃない。口頭でのみ継承される伝承でもない。画で魅せるんですよ。動きで説得するんですよ。それが"MOVIE"なんですよ。

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 その点、まずは予想通り最高に楽しいのが、骸骨たることを活かしたアクションの数々。手が外れたり、頭が取れたり、全身がバラバラになってまたくっついたり。確かに、ディズニー・アニメのキャラクターは、その躍動的なムーヴこそがこれまでも最大の魅力であったし、体のパーツが取れたりくっついたりというのは、過去にはピクサーの『トイ・ストーリー』なんかで見たことはある。とはいえ、それらの最新版として、本作の描写はどれも本当に最高。特に、あの世の電話ボックスの中でヘクターが驚くシーンでは、目玉が取れて口の中に落ちるという極めてフレッシュなアイデアを見ることができる。あの"人体損壊描写の総合商社"こと『ブレインデッド』でもそんな発想にはお目にかかれなかったのだから、その斬新さは、さすがディズニー・ピクサー!と賛辞を送るに吝かでない。

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 キャラクター造形という意味では、主人公ミゲルに注目だ。彼の積もりに積もった"ここではないどこか憧れ"とか、最終的に導かれる"己の解放"とか、そういった"思春期少年もの"として必須の描写がどれも最高に端的で的確、なんてなぁ、もはや当たり前。筆者が感銘を受けたのは、実は、"骸骨メイクの可愛さ"である。ヘクターと共に伝説のミュージシャン エルネスト・デラクルスを探すことになったミゲルは、ヘクターに白粉(おしろい)を塗ってもらって骸骨に変装する。これが、抜群に可愛いのである! そして、この"可愛さ"は、意外と大切なことだと思うんだ。ミゲルの骸骨メイクがなぜそこまで可愛いか。それは、前提として、本格で登場する"マジ骸骨"が既にチャーミングだからである。古来より、ディズニーやピクサーは、"擬人化の魔術師"だった。馬だったり、魚だったり、ロボットだったり。極めつけは、『フォースの覚醒』で登場したBB8のキュートさであろう。そんなディズ・ピクにとって、確かに骸骨なんざ大した課題ではなかったのかもしれない。でも、見事だ。生前の写真と並ぶとちゃんとその人だと分かる、でも、骸骨らしさも間違いなくある。そんな絶妙のバランスも本当に素晴らしい。

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 彼らを取り巻く世界観も最高。まず、オープニングでは、死者の日をカラフルに彩るメキシコ伝統のガーランドでリヴェラ家の歴史を説明。切り絵になっているガーランドがフニフニ動くというギミックは、前作『モアナ』のタトゥーを流用したであろう楽しい仕掛け。ここからミゲルがあの世に迷い込むまでの間、我々が目を見張るべきは、"メキシコの楽しさ"である。特に、極東住みの日本人からすればメキシコの下町自体が既にフレッシュだが、加えてメキシコでも一年に一度のお祭りである死者の日に際して町中が浮かれている。そんな状況。つまり、本作は、ディズ・ピクにしては珍しくゴリゴリの現実世界から始まるファンタジーだが、実は冒頭から既に"一層目の異世界"が展開されている、とも言えるわけである。我々の現実と死者の世界は遠く離れているように見えて、本当は繋がっている、という着地点を導く上で、現実を少しだけファンタジー側のレベルに引き上げる構成は、これまた絶妙のバランス感覚だと思う。

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 いざ、ミゲルがあの世に迷い込んでから。ここからは、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』以降の主流である極彩色が本気を出し、我々はいよいよ夢中になる。死者の街の全景とか、ちょっと"ノーウェア"っぽくもある。死者の魂を導く使い魔"アレブリヘ"もいいよな。『GOTG』以降、カラフルな色使いが当たり前になった中で、蛍光色の彼らが演出する抜群のフレッシュさ。ちなみに、確か蛍光色ってデジタル撮影(&デジタル上映?)じゃないと表現できない色味だったと思う。ウォシャウスキー姉弟の『スピード・レーサー』が、おそらく映画史上初めてスクリーン上で大々的に蛍光色を披露した作品だったはずだ。

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 ただ、鑑賞中、筆者はこの"アレブリヘ"関連で少し「え?それなんでなん?」と思ってしまうところがあった。具体的には、現世ではミゲルと友達の野良犬であり、あの世での冒険を経てミゲルの"アレブリヘ"に昇格した名(迷)犬ダンテ。まず、なぜ彼は"アレブリヘ"に進化できたのかが引っかかる。次に、ミゲルと共に生者であるにも関わらずあの世に迷い混んでしまったダンテだが、果たしてミゲルとは違い死者の私物を盗んでいない彼(確かに、墓地でお供え物を食べようとはしていたが。)は、なぜあの世に立ち入ることができたのか。そして、ラストで無事に現世へと帰還したミゲルとは違い、彼はなぜその後もあの世に留まっているのか。この答えは、監督インタビューを読めば分かる。要は、ダンテは、元々ミゲルの魂を導くべき存在だったのである。古来よりダンテの犬種メキシカン・ヘアレス・ドッグは、メキシコでは死人の魂に付き添う"神獣"とされていたらしい。よって、元々あの世に立ち入る素質を持っていたダンテは、あの世での冒険を経て見事ミゲルを"本当の家族"に会わせ、その任務の成就を以て"アレブリヘ"に進化(神化)した、ということになる。

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 さて、ダンテがミゲルに会わせた"本当の家族"とは、ミゲルがずっと憧れていたデラクルスではなく、始めの内はダメオヤジっぽかったヘクターだったわけだが、このツイストから導かれるメッセージも、本当に本当に正しい。正しすぎでゲロ吐きそうだ。つまり、これは、俺たちの『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOL.2』と似通った視座の転換だよな。同作では、ずっと父親に憧れていたピーターが"マジ神"だった父親と出会い舞い上がる。が、実はその父親はクソ野郎で、それまでクソ野郎だと思っていた育ての青いオヤジこそを"本当の父親"と認める。そんな話だった。もちろん、同じ"ディズニー映画"とはいえ、本作はもっと真っ正面から"家族"を肯定する作品だから、"血の繋がり"の部分は正統的に落ち着く。ミゲルとデラクルスに血縁関係はなく、ヘクターこそが真の先祖だった。しかし、根底に流れる"理屈"は同じ。つまり、受け継がれるものを盲目的に受け入れず、ちゃんと自らが選び取っていく、という最高のテーマである。

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 ヒーローは、主人公は、"俺たち"は、運命に"選ばれる"んじゃない。喜びも悲しみも、安息も冒険も、そして運命だって、俺たちが選んでいくんだ。昨年の映画界を席巻したのは、まさにこのメッセージである。そして、本作ではこのことを敢えて強調している。それは、『カリオストロの城』のルパンと銭形よろしく深い穴蔵に叩き落とされたミゲルとヘクターが互いの関係を知った際、歓喜を込めて叫ぶこの台詞。

 「ヘクターが家族で良かった!」

 「俺も、お前が家族でうれしいぜ!」

 この台詞は、厳密に言えば"蛇足"である。映画は"MOVIE"なんだ。画で魅せるんだ。動きで説得するんだ。昨年度最高のアニメーションである本作は、当然それを実践している。ミゲルとヘクターが"家族"であることを喜ばしく思う、なんてことは、それまで繰り広げられてきた真に楽しい二人の冒険で全て説明し切っている。それでも彼らに敢えて上記台詞を言わせたのは、それが本作が本当に伝えたいメッセージだからであろう。デラクルスは、ミゲルのひいひいおじぃちゃんじゃなかったから"悪"なんじゃない。逆にヘクターはひいひいおじぃちゃんだったから"正義"なんじゃない。自分で考えるんだよ。お前が選ぶんだよ。その形式に実質を与えるのは、お前自身なんだ。このメッセージがもう…正しくて正しくて…。これは、もちろん大前提として、これから無限の選択を経験していく子供たちにとって最上の"教育"であり、同時に、筆者同様、スッカラカンな同調圧力に日々イラ立つサラリーマンに対する"救済"でもあるのではないだろうか。

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 それから、家族の大切さに気付き現世に舞い戻ったミゲルが、ひいおばあちゃんに『リメンバー・ミー』を聞かせるシーン。ここはもう号泣に次ぐ号泣である。本作では、死者の日を入り口としたあの世でのアレコレ以外に"奇跡"は起きない。ミゲルが奏でた『リメンバー・ミー』は、所詮"ただの音楽"だ。でも、その曲を聞いたひいおばあちゃんは、忘れていた父ヘクターを思い出す。奇跡でもなく、魔法でもなく、現在の科学が裏付ける通り、認知症患者は思い出の曲で昔を思い出すことがあるのである。この設定は計り知れず抜群だ。焦点をもう一世代下げて、ヘクターがミゲルのひいおじいちゃんで、ミゲルのおばあちゃんであるエレナ(声:レニー・ヴィクター)がヘクターの娘(すなわち、ミゲルの母親)とすることもできただろう。しかし、ミゲルの年齢を固定とするなら、その設定では認知症に無理が出る。つまり、ヘクターが忘れられている理由を認知症に設定した天才性。これが素晴らしい。

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 忘れたくはないんだよ。この物語は、家族を"正義"として描く。だから、根底の部分では、誰も家族を憎んでなんかいない。イメルダ(声:アラナ・ユーバック)だって、本当はヘクターを愛していて、エレナだって、本当はミゲルのためを思っている。それは、ひいひいおばあちゃんも同じなんだ。でも、忘れてしまうんだよ。本作は一見"死"というものを軽快に描いているように見えるが、人は、"老い"には勝てない。どんなに愛しても、どんなに抗っても、こぼれ落ちる砂粒のように記憶は失われていく。それをミゲルが救うのである。その手段は"奇跡"でも、"魔法"でもない。音楽であり、医学だ。メキシコの片田舎に暮らす"凡人"が繰り広げた一世一代の大冒険は、極めて現実的で"地味な"ラストを帰結した。しかし、それは、有史以来、人が世代を越えて脈々と受け継いできた"音楽""科学"、そして、"家族"という人類史上最高最強の武器が、"死"という逃れがたい運命に抗ってみせた、そんな本当に漢の魂完全燃焼な至上の大団円でもあったのである。

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 そして、涙で顔中をムシャクシャにしながらなんとか鑑賞を終えた我々は、ふとあることに思い至る。それは、本作の原題が、邦題である『リメンバー・ミー』ではなく、"主人公"だったはずの『ミゲル』でもなく、なんとひいひいおばぁちゃんの名である『ココ(Coco)』だったという事実。これは渋すぎる! 渋すぎてゲロ吐きそうだ。ディズ・ピク作品ってのは、基本的に主人公の名前(または、主人公の"異名")がタイトルになることが多い。『シンデレラ』とか、『白雪姫』とか、『リトル・マーメイド』とか、『アラジン』とか、『Wall-E』とか、『モアナ』とか、まぁ、『トイ・ストーリー』だって『カーズ』だって、広く言えばそうだよな。この法則に則れば、そう、本作は、実はひいひいおばあちゃんであるママ・ココが主人公の物語だったということに他ならない。シワシワでヨボヨボの年寄りは、主人公になどなれないか? 違うだろう。あったんだよ。ココには、大好きな父と別れ、その後、イメルダの元で靴屋を盛り立て、恋をして子を授かって、という"物語"があったんだよ。よって、正確に言うと本作は、『ココ3 ~怒涛編~』とか、『ココ4 ~回天編~』みたいな、そういうタイトルの作品なのである。

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 さらに、この原題は、本作がやはり『ローグ・ワン』以降流行の"脇役頑張る展開"を採用しているということを、如実に物語っている。つまり、ミゲルは、ココのドラマに途中参加した"部外者"であり、"脇役"だ。これは、先日感想を書いた『ミュート/MUTE』とも非常に似通った構成。確かに、家族の中においての少年という存在は、後から合流した新参者である。では、彼らは、「はいはい、大人になったらね。」などと邪険に仲間外れにされる未熟者なのだろうか。違うだろう。『ブレードランナー 2049』の"K"がそうだったように、彼ら"脇役"は、既存の物語をその先へ進めることで、十分に自らのストーリーを紡ぎ得る存在だ。それが、今どきの新しい主人公像なのである。

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 それから、本作では、本編開始前に『アナ雪』の後日談を描いたショートフィルムが上映される。ディズ・ピクの長編アニメーションには、毎回前座というか、前フリというか、前説というか、そんな感じでなにかしらのショートフィルムがくっついており、かつ、そのショートフィルムのテーマが本編のそれとやんわり繋がっているというのは、みなさんご存じの通りである。本作のショートフィルム『アナと雪の女王 / 家族の思い出』も、そのご多分に漏れず、本編とのリンクが秀逸な一本。すなわち、生まれて始めてのクリスマス・パーティーに浮き足立つアナとエルサは、クリスマスを告げる鐘が鳴るや、国民がみなそそくさと帰宅してしまって意気消沈。そんな二人を見かねたオラフはトナカイのスヴェンと共に国中の家庭を訪ね"クリスマスにおける家族の伝統"を見つけようと奮闘するも、しっちゃかめっちゃかの末、失敗してしまう。しかし、アナとエルサは気付く。氷に閉ざされた暗い幼少期の二人を繋いでいたのは、まさにオラフ自身だったということを。"家族の伝統"を見つけた二人は、折しもオラフ捜索のため戸外に繰り出していた国民たちと即席のパーティーを開催するのであった…。

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 みたいな。そんな話。今年だったか来年だったか公開予定の『アナ雪2』の予告としての役割はもちろん果たしているだろうが、正直なところ、ショートフィルム単体では、うん…まぁえぇんちゃう?くらいの仕上がりだと思う(ディズ・ピクに疎い筆者だけでなく、随伴したディズ・ピク大好きおばさんもそう言っていたから、たぶんそうなんだろう。)。しかし、この物語は、しっかり本編とリンクしている。つまり、大掴みに言って、『家族の思い出』も『リメンバー・ミー』も、"家族のルーツ"を探して旅に出た"少年"が、"家族"に大切な何かを思い出させ、結果"家族"を再びひとつにする話、だよな。ショートフィルムの主人公は、アナやエルサではなくオラフであり、彼はミゲルと対になっているというわけだ。筆者の随伴者は「吹き替えのオラフの声キモいのに、オラフばっか歌うから嫌。」なんて文句を垂れていたが、本編と対比すれば、それも必然。そう、"音楽"が家族を繋ぐのである。素晴らしいね。

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 というわけで、本作『リメンバー・ミー(Coco)』は、最新の技術や構成を取り入れつつ、極めて普遍的で正しいメッセージをこれ以上なく説得的に描いてみせた大傑作である。よく映画評論家が一年の序盤で「これは今年ベスト!」なんて豪語するくせ、一年の内にそれが何回か繰り返される、なんてことがあり、筆者は"今年ベスト"というフレーズをあまり信用していないのだが、本作に関しては、ちょっとマジで"今年ベスト"になるかもしれない。まぁ、一年は長いし、前述の通り、筆者がたまたま"家族"についてモヤモヤと考えていたタイミングだからこその大興奮という可能性もあるが、それでも、今年一年、いやさ、あの世でみんなに忘れられるまで忘れたくない一本であることは、間違いない。

点数:94/100点
 一点だけ苦言を呈するなら、クライマックスのステージからミゲルが落とされた後の展開だろうか。絶望の中落下していくミゲルを"アレブリヘ"と化したダンテが助けようとするも失敗し、ダメか…?!と思った瞬間、イメルダの"アレブリヘ"であるペピータが登場する、という展開。この、まずダンテ、続いてペピータ登場という流れは、実は穴蔵のシークエンスで既にやっている。したがって、我々はダンテの失敗にも「いや、でもまだペピータおるやろ。」と思っちゃうのである。とはいえ、その穴蔵シークエンスの始めでミゲルが「もう、何もかもおしまいだぁ…。」と絶望する際、さりげなくパーカーをはだけさせることで"骸骨化"が既に肩まで進行していることを伝える演出のスマートさとか、全体としてはやっぱり本当に上手い。まぁ、上手すぎてゲロ吐きそう…までいくと言い過ぎかもしれないが、感服のあまり眼球が外れて口の中でコロコロと踊り出す、そんな匠の一品である。

(鑑賞日[初]:2018.3.16)
(劇場:MOVIXあまがさき)

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Mr.Alan Smithee
Posted byMr.Alan Smithee

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