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キャッチコピー
・英語版:We Love Eating Them, Now It's Their Turn!
・日本語版:凶暴な "人喰い "ドーナツが襲ってくる! 人を "喰った "内容でアッと驚かせるホラー・コメディ!!

 "ボンクラ童貞男子"よ、永遠なれ。

三文あらすじ:自称科学者が作った凶暴な遺伝子生命体が、ドーナツ店の油の中に入ってしまう。異変に気付き、立ち上がるそのドーナツ店の店員ジョニー・ウェントワース(ジャスティン・レイ)と幼なじみのミシェル・ケスター(ケイラ・コンプトン)。殺人遺伝子入りのドーナツが襲いくる危機にさらされた人類の運命や如何に・・・


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 一昔、二昔前のモンスター・パニック・ブームも去り、今や映画におけるモンスターは、あらかた出揃った感がある。よって、我々は、"ドーナツが人を喰う!"くらいでは、驚かない。本作『アタック・オブ・ザ・キラー・ドーナツ』は、そんな我々モンスター・パニック・ファンの侮りにさしたる衝撃すら与えない、まぁ言ってみれば凡庸な"B級"モンスター・パニック作品である。キャストに華は無く、ストーリーに新規性は無く、演出は稚拙で、モンスターは貧相だ。タイトルから推して図るに、おそらくオマージュを捧げているのであろう"B級"モンパニのカルト的傑作『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』と比較しても、同作ほどのキュートさなど望むべくもない。では、我々は、本作に何を期待すればいい?

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 答えは、ボンクラ童貞男子の冒険である。およそあらゆる童貞はボンクラな男の子なのだから、"ボンクラ童貞男子"とは意味が三重に重複した言葉のような気もするが、つまりは、ボンクラの三乗、童貞の三乗、男の子の三乗、それくらいベタな主人公が、本作では活躍する。彼は、しがな過ぎるドーナツ店で働くボンクラであり、見るからに"ビッチ"なバカ女に貢いでいるのにセックスはさせてもらえない童貞であり、いまだ母離れできていない男の子だ。そんな彼が、ドーナツの反乱という有事に対して立ち向かい、その中で幼なじみの美女と接近していく。そう、主人公ジョニーは、つまり、俺たちなのさ。少なくとも、かつての俺たち。どう譲歩しても、あの日憧れていた俺たち。そんなキャラを応援しない手はない。

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 そもそも、モンスター・パニックというジャンルは、多くの場合、童貞男子の"思い"を具現化する装置なのだと筆者は思う。福田里香先生の書籍『ゴロツキはいつも食卓を襲う』で詳述されている通り、映画における"ヤケ食い"というのは、当該キャラクターの性欲を肩代わりするためのギミックなわけだが、モンスターによる無差別の捕食は、このギミックの発展形なのではなかろうか。男の子は、思春期に伴う急激な身体的成長によって、その大部分を性欲が占める計り知れないエネルギーをもて余す。無茶苦茶に暴れまわりたい。ハチャメチャにヤりまくりたい。しかして、いまだボンクラであり童貞であり子供である彼は、そのエネルギーの使い方、正確には、制御の仕方を知らない。そこで、溜まりに溜まったエナジーが暴走する。それが、およそあらゆる"男の子主人公系モンパニ"において、モンスターが象徴する男の子の"思い"だ。

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 しかし、彼は戦う。自身の内に秘められたるむき出しの荒々しさと向き合い、勇気を糧に、ときに命すら賭けて、本当に大切な"女(ひと)"を守る。およそあらゆるホラー映画の定番として、"ハレンチな奴がすぐ死ぬ"理由も、この構造を念頭に置けば至極明らか。自らに巣くう荒々しさを御しきれなければ、当然その力に飲まれてしまうのである。以上より、世に数多あるボンクラ童貞男子が主人公のモンパニ(もちろん、この場合の"男子"は、精神年齢によって規定される。)は、すべからく、主人公の内的葛藤を具現化したもの、と言えるのである。ちなみに、筆者の独断的な分析によると、モンパニ(を含んだ広い意味でのホラー映画)は、その主人公の属性によって分類したとき、おそらく、男の子主人公型、お父さん主人公型、そして、お母さん主人公型の3タイプに大別できるのだが、この持論については、また機会があれば述べたいと思う。

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 そんなことをボソボソと考えながら観ると、一見グズグズの駄作然とした本作が、その実、しっかりと童貞の内的葛藤を具現化した真っ当な良作であると理解されるだろう。一見して蛇足、あるいは、奇をてらっただけの過剰設定にも思える主人公の過度のマザコンぶりも、実は必要な要素である。特に女性鑑賞者などは、クライマックスの大ピンチ時にも未来の伴侶となるべきミシェルを心配せず、「俺が死んだらママは独りぼっちだ…。いや…俺が死んだら、ママの守護天使になれる…。」なんてホザくジョニーに遺憾の念以外を覚えづらいだろう。しかしながら、ボンクラ童貞男子の葛藤の中には、やはり"母離れ"という要素が、間違いなく含まれている。自ら"架空の彼女"と表現していた通り、ジョニーにとって淫乱ビッチのヴェロニカ(ローレン・コンプトン)は、性欲が見せた幻だ。これは、ボンクラ童貞男子がともすれば耽溺しがちな広い意味での"アイドル"の象徴。そんな存在をジョニーは立派に吹っ切った。そして、ラスト。いつも通りにママはジョニーを起こしに来るが、ベッドで惰眠を貪る彼の隣には幼なじみのミシェルが。内なる葛藤に見事勝利したジョニーには、もはやプレイメイトもママも不要なのである。

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 さて、ここからエンドロールまで続くジョニーとミシェルのイチャイチャのあまりの長さに、度肝を抜かれた、または辟易としたという鑑賞者は多かろう。しかし、このパートは大切だ。つまり、"ボンクラ童貞男子主人公系モンパニ"の真の見せ場は、実はモンスターを殲滅するシーンではなく、ヒーローとヒロインが結ばれる瞬間なのである。これも、当該ジャンルの前提を考慮すれば至極当然。すなわち、モンスターの打倒は、所詮主人公の暴走が収まったという"現状復帰"にすぎない。物語的に大事なのは、そして、我々が今か今かと待っていたのは、頑張ったボンクラ童貞男子=俺たちが、まるでドーナツのように甘美な最高のご褒美を手にする瞬間である。だからこそ、当ブログのタグで言うところの"最高のキス"で締めくくるモンパニは、往々にして傑作なのである。例えば、『トレマーズ』とか。例えば、『ザ・グリード』とか。特に『トレマーズ』は、ジリジリとつばぜり合いを演じていたヒーローとヒロインが、満を持してブチュ! 即、エンドロール! この潔さが最高に気持ち良い名作だった。

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 もちろん、そんな切り際の潔さは大正解だが、別にもっと見せてくれてもいい。とにかく見せ場を盛って盛ってというのが、昨今の大作における主流だとするなら、当然、ヒーローとヒロインのイチャイチャをこれでもかとワビサビ無く描くモンパニがあってもいい。そんな期待に本作は応えてくれる。元凶たるドーナツ店"ダンディ・ドーナツ"の爆破から先の実に6分間。ここが、本作の白眉だ。我々は、仕事の疲れも、家庭のイザコザも忘れて、ただ二人の甘ったるいイチャイチャに浸り、舌鼓と両の手を打てばいい。実際、欧米の(かつ、この手の)映画にしては非常に珍しく「僕の彼女になってくれる?」とお付き合い段階で告白する初々しさとか、職を失いニートになった二人が「時間はいっぱいあるわよ。」なんて言いながらイチャこいている様は、かつてボンクラ童貞男子だった真っ当なサラリーマンからすると、本当に無上のハッピーエンドである。そう、忘れちゃいけないんだ、きっと。あの頃の未熟な自分は、黒歴史なんかじゃない。ド…ドーナツにも穴はあるんだよな…なんてモンモンとしていた、そんな過去をいつまでも誇りながら、我々は、明日もまたこのくだらない現実と戦うのである。

点数:59/100点
 以上は、筆者の独断と偏見に満ちた非常に甘い感想である。まともに鑑賞するなら、おそらく退屈必至の駄作なのだろうし、仮に筆者がトロトロと述べたコンセプトを踏まえたとしても、随所に稚拙さの見え隠れする作品だ。結局、陰キャラで他に友達がいないから仕方なく相手してやってると主人公が思っていた同級生が、あろうことか主人公のママと男女の関係になっていた、というギミックは、本当に謎の悪ふざけだしな(一応、主人公から見たママの"ママ性"を剥ぎ取るための仕掛け、とむりやり好意的に解釈できなくはないが。)。それでも、好感の持てる青年がめちゃくちゃ可愛い幼なじみと共にモンスターの脅威に立ち向かい、最後にはめでたく結ばれる。そんな本作は、かつて(あるいは、今でも)ボンクラで童貞でガキだった俺たちにとって、三時のおやつにはちょうど良い佳作と言える…のかな。どうだろう。

(鑑賞日[初]:2018.6.24)

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Posted byMr.Alan Smithee

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