0 Comments
solo_a_star_wars_story_ver17.jpg


キャッチコピー
・英語版:Never tell him the odds.
・日本語版:すべての男(ヒーロー)に、はじまりの物語がある ―

 I've Got A BITCH FEELING About This.

三文あらすじ:シリーズ屈指の人気を誇るハン・ソロは、いかにして愛すべき"悪党<ハン・ソロ>"となったのか?! 銀河一のパイロットを目指すハン(オールデン・エアエンライク)と、生涯の相棒チューバッカ(ヨーナス・スオタモ)、そしてミレニアム・ファルコン号との運命の出会いとは? やがて彼は、謎の美女キーラ(エミリア・クラーク)らと共にカリスマ性を持つトバイアス・ベケット(ウディ・ハレルソン)のチームに加わり、 “自由”を手に入れるために莫大な金を生む“危険な仕事”に挑む・・・


~*~*~*~


 本国アメリカでの公開から丸々一ヶ月も遅れてやっとこさ日本でも封切られた、『スター・ウォーズ』アンソロジー・シリーズ最新作『ハン・ソロ』。『スター・ウォーズ』きっての、ということはつまり、映画史上きっての大人気アウトローが単独で主演をはるわけだから、そりぁ、ディズニーは気合いを入れる。ならば、当然、作品の内容は充実し、劇場は満員になるだろう。しかし、既にみなさんがご存知の通り、本作は、アメリカでめっちゃコケた。もちろん、"映画"としては破格の興収だが、"スター・ウォーズ"としてはてんで情けない。そんな感じ。今のところ、世間で言われているその主な理由は、製作途中での監督交代劇ポスター盗作疑惑で公開前からケチが付いていたこと、それから、主演のオールデン・エアエンライクが、全くハン・ソロ(=ハリソン・フォード)に見えないという点だろうか。でもね、映画の感想は、千差万別だ。その作品が"Good Feeling"か"Bad Feeling"か。それは、実際に観た者それぞれが感じること。おそらく『名探偵コナン』とのバッティングを避けて一月ズラしたのであろう日本公開日6/29から一日遅れで観てきた筆者は、本作に対し、全体としては大変"Good"な印象を抱いている。

solo1.jpg


 鑑賞後第一報として、とりあえず感銘を受けた箇所をざっくばらんに挙げていくなら、まずは、やっぱりトバイアス・ベケット(ウディ・ハレルソン)との決着。筆者が贔屓にしているゲーム実況者のアーノルズはせがわさんは、本作の感想で「最後の決着が肩透かし。」みたいなことを言っていた。確かに、彼は「自分は『バトル・フロント』は好きだけど、映画としての『スター・ウォーズ』はニワカ。」みたいな発言もしていたが、でもさ、はせがわさん。あんた、そんなに『バトフロ2』上手いなら、せめて"ハンが先に撃った(Han Shot First)騒動"くらいは、知っておこうよ。要は、1977年に公開された『スター・ウォーズ』において、我らが孤高の男ハン・ソロは、タトウィーンはモス・アイズリーのカンティーナ酒場で、自らの命を狙うバウンティ・ハンターのグリードを撃ち殺す。ここで重要なのは、ハンが話の途中でいきなり撃ったという点。悪ぶってるけど結局は子供の親たちに目配せした"善い人"。そんなんじゃないんだよ、ハン・ソロは。敵を倒すためなら"卑怯な手"も辞さない、真の"ワル"であり、真の"アウトロー"なんだ。

solo2.jpg


 そんなカンティーナでの一幕は、1997年にリバイバル上映された"『スター・ウォーズ』特別編"で改変された。誰に気を遣ったのか知らないが、あろうことか当のジョージ・ルーカス自身が、ハンの銃撃の直前にグリードの発砲を付け加えてしまったのである。しかも、既存のシーンにむりやり追記したもんだから、ハンは、グリードが"たまたま"銃弾を外したおかげで、なんとか一命をとりとめたように見えてしまう。これには、当時の(そして、今でも)ファンは大激怒。「ハンはグリードに先んじられるようなノロマではない!」「グリードに譲ってやるような聖人ではない!」「たまたまの生存でドヤ顔するようなマヌケではない!」「ハンが先に撃った!」「ハンが先に撃ったんだ!」 …とまぁ、事の顛末やファンの冷めやらぬ怒りとかの詳細は、『ピープルvsジョージ・ルーカス』というドキュメンタリーを観てもらえば一目瞭然なのだが、とにかく、この"ハンが先に撃った騒動"は、ハン・ソロというキャラクターを語る上で決して無視できない、極めて重要なインシデントなのである。

solo3.jpg


 この確固たる前提あっての本作。ハン・ソロとベケットの満を持した対峙を目の当たりにする我々は、さぁ!ここから"ヒーロー"と"ヴィラン"、"ビリーバー"と"トレイター"、あるいは、"アプレンティス"と"メンター"の血沸き肉踊る決闘が繰り広げられるぞ!とワクワクするわけである。が、ハン・ソロは、そんな合理的な期待を華麗にスカして、いきなりベケットを撃ち殺してしまう。そう!それでいいんだ! そりゃあ、真っ当なアクション映画の標準からすれば、本当に肩透かしで尻窄みな展開である。しかし、"ハン・ソロ"という銀河一のアウトローを愛してやまない俺たちは、「いぃぃよしっ!」とガッツポーズする。ただ、これだけでは、確かに単なるファンへのリップサービスとも言えるだろう。はせがわさんは知らなかったけれど、"ハンが先に撃った騒動"は、今や太陽系第三惑星の常識だ。けれど、本作には、そんな浅はかな憂慮を霧散させる徹底した前フリが、きちんと存在する。

solo4.jpg


 それは、すなわち、ヒロインたるキーラがハンに向かって「本当のあなたを知っているのは、銀河で私だけよ。」と言い、ハンが「本当の俺?」と問うと、「本当のあなたは… "善い人 "よ。」と答えるシーン。ここで、ハン・ソロが大好きな俺たちは、「おぉい!ちょっと待て!」といきり立つ。あろうことか、生みの親たるルーカス自身の手によって汚された俺たちのハン。また…また繰り返されるのか…? 違うんだ…違うんだよ…。ハンは"善い人"じゃない…。卑怯でいいんだ…。姑息でいいんだ…。ハンは待たない…。先に撃つんだ…。ハンが…先に撃った。ハンが先に撃ったんだよ! そうやって、まずは、ファンたちに"ハンが先に撃った騒動"を想起させ、その上できっちり綺麗に落とし前を着ける。そしたら、俺たちは、何て言えばいい? イエーイ!!!しかないだろう? おまけに、あえて"善い人"と言わしてから否定するという構成は、結構露骨で徹底されたジョージ・ルーカスへの宣戦布告でもあり、ただのリップサービスに終始しない本作の気概を感じさせてくれる部分でもある(もちろん、ルーカスには事前に確認を取ってるんだろうけれど。)。

solo5.jpg


 次に良かったところは、やっぱりハン・ソロとチューバッカの"バディ感"であろう。確かに、エピソード7以降、見違えて"演技"をし始めたチューイが、また過去作のようにやや"無表情"になった感はある。二人が初めて出会うあの牢でのエピソードも、まぁ、ランコアの檻にルークが落とされたエピソード6のオマージュと見せかけてからのスカしが上手く決まっているとか、ハンとチューイが期せずして"二人三脚"状態になっている演出が良い感じとか、評価すべき部分もあるとはいえ、少しアッサリはしている。でも、本作の白眉たるケッセル・ランでのシークエンス。ここは、ヤバい。特に、いったんL3がハンに「そこは私の席よ。」と注意する前フリを行うことで、俺たちに「いや…そこはチューイの席で、その横はハンの席なんだよなぁ。」と思わせるところがニクい。で、なんやかんやの末、遂にパイロット席にハン・ソロ、コーパイ席にチューバッカが着座。この瞬間に初めて『スター・ウォーズ』のテーマが鳴り響くのである。このパズルがピッタリはまった感! 同じシークエンスで付け加えるなら、ケッセル・ランに突入する際、ハンに敢えて「I've Got A "Good " Feeling About This.」と言わせるのも、「ははぁ、これから色んな冒険を経て酸いも甘いも噛み分けた結果、 "Good "が "Bad "になっていくのだなぁ。」と感慨に浸れて非常によろしい。

solo6.jpg


 他にも、良いところはいっぱいある。おそらくは『ローグ・ワン』のK-2SOでコツを掴んだのであろうディズニーが、そのパート2として自信あり気に送り出す女性型ドロイド"L3"。これ、結構攻めてるよな。K-2SOが"典型的な皮肉屋"だったのに対して、L3は"典型的なウザ女"だ。「権利よ!」「平等よ!」とやみくもに主張し、「ランドは私に惚れてるけど、正直困っちゃうわ…。」と露骨な勘違いを披露する(まぁ、後半はあながち…ではあるが。)。作り手は、「いやぁ、これはあくまで"ドロイド"ですから。」という雰囲気で澄ましているが、"ウーマン・パワー"が過剰に盛り上がっている昨今の情勢からすれば、「女性をバカにしている!」と批判されかねないギリギリの綱渡りだ。とはいえ、個人的には、そんな"こっそり女性批判"も含めて楽しめたし、結局"銀河一のナビゲーション"を有する彼女がファルコンと融合するという展開は、"銀河で一番速い船"というその肩書きに合理性を与える中々の妙案であろう。

solo7.jpg


 ただ、L3の融合に関しては、ちょっとやり過ぎかなぁとも思う。確かに、ミレニアム・ファルコンは、同じ"機械"でもドロイドのようにペチャクチャとしゃべったりはしないから、我々は、ファルコンという"ただの宇宙船"に対して、積極的な"人格"を思い描いているわけではない。とはいえ、我々ファンとファルコンとの付き合いは長く、思い入れは強い。よって、例え融合後のL3だってしゃべらないとしても、もはや今さら"俺たちのファルコン"に新たな人格の存在を許容するのは、ちょっと難しいのである。『ローグ・ワン』でデス・スターに弱点を与えたときにも思ったのだが、こと『スター・ウォーズ』に関しては、あまり緻密な理屈に固執しなくてもいいのではないだろうか。っていうか、ミレニアム・ファルコンが銀河一速いことには、既に理屈があったじゃあないか。そうだよ。だって、"銀河で最も腕の良いパイロットとその相棒"が操縦しているのだから。それだけで十分だったような気もする。

solo8.jpg


 他にも、一件落着の後、ハンがランドを訪ねた際の"敵対するノリ"は、エピソード5とは逆にハンが仕掛けるというのも良い。このお返しとして後々ランドが仕掛けたことが想像できて楽しいからだ。冒頭のコレリアでハンが披露したスピーダーの縦走りが『ダイヤモンドは永遠に』へのオマージュかと思いきや、実はファルコン特有のクイッ!という動きの前フリだったというのも、大変よろしい。ベケットというキャラクターの"裏切り者"でありながら、やはり"アウトロー"としてのハンの"師匠"でもあり得ているという絶妙のバランスも素晴らしければ、列車強奪のくだりは、全体として西部劇を目指したという本作のコンセプトを、映画史上初の"アクション大作"として名高い西部劇『大列車強盗』へのオマージュを絡めつつ強調した秀逸なシークエンスである。有名な"ケッセル・ランを12パーセクで…"が、実は正確には12.5パーセク~13.0パーセク未満だったというのもクスッとさせられるし、そもそも、オールデン・エアエンライクだってすごく良いじゃないか。ハン・ソロ=ハリソン・フォード。その方程式は認めよう。でも、本作を観る限りにおいては、エアエン氏だって十分にハン・ソロ足り得ている。今さら「ハン・ソロに見えない!」なんて言うのは、本作への不満ありきで後から探してくる"批判のための批判"じゃないかい?

solo9.jpg


 では、本作を観た者、特にボンクラ男子たちを批判に駆り立てる主たる原因は何か。筆者が代弁しよう。それは、ズバリ"切なすぎるから"である。つまり、コレリアからの脱出寸前で離ればなれになってしまったハンとキーラ。振り返らざることを願う敬虔な女の子と、発狂せんばかりに荒れる愚かな男の子。物語は、ここで3年後に飛ぶ。この時点で、筆者のぴゅあぴゅあはーとは、既にキリキリと音をあげていた。そして、そしてである。いざ奇跡の再会を果たしたハンは、知る。あんなにもその別れを悔い、あんなにも日々思い、大袈裟でなくこれまで唯一の生きる希望だった"自分の女"が、もはや"自分の女じゃなくなっていた"、という残酷すぎる事実を。いや、ダメなんですよ。絶対にダメなんです。ボンクラな男子が心底楽しむべき冒険譚では、"惚れた女"が究極の目的でなければならず、その女は、何があっても"主人公に守られ続ける存在"でなければならない。シータがムスカにしなだれる『ラピュタ』やオードリーがリディ少尉と添い遂げる『ガンダムUC』なんか、この世にあってはならない。絶対に、絶対にだ。仮に物語の谷にあたる展開として必要なのだとしても、筆者は、絶対に許さない。切なすぎる。耐えられない。お願いだから、やめてくれ。

solo10.jpg


 確か、『交響詩篇エウレカセブン』(特に『ポケットは虹でいっぱい』)にも似たような展開があった気がする。それはちょっとあやふやだが、ニール・ブロムカンプの『エリジウム』。こちらには、間違いなく同種の展開があった。かつて筆者は同作の感想を得意気に書いたけれど、本当は、切なくて切なくて今にも発狂しそうだったんだ。まぁ、このような筆者の"アレルギー"は、おそらく過去のトラウマのせいなんだろう。正確には分からない(し、どうでもいいことだ)が、小学生の頃に思い当たる思い出はある。だけどね、仮にそんな個人的なこだわりを抜きにしても、執拗にハン・ソロをまだ未熟な"男の子"として描く本作において、ヒロインだけを先に"女の子"から"女"に成長させてしまう構成は、正しいものではないと筆者は思いたい。なぜなら、それは、物語としての"目的の喪失"に他ならないから。バナージの「俺を必要だって言ってくれ!」という台詞からも分かる通り、"男の子"の成長譚は、仮に"世界を救う"という大枠の目的が残っていたとしても、惚れた女から必要とされなくなった時点で終了なのである。

solo11.jpg


 もちろん、これは、筆者の独断が炸裂した主観的な見解だ。でも、やっぱり、キーラの変貌に肩透かしを食らった、くらいの感じは、みなさんにもあるのではないだろうか。確かに、ハンはキーラを諦めないし、ここから脱出するとか、あいつを倒すとか、何もかもから自由になるとか、そういった具体的、抽象的な目的は、依然存在している。だとしても、中心に据えられた"キーラの救出"という目的が、あろうことかその目的の方から去ってしまったのだから、この物語は、その後終幕に至るまで、やはり酷く宙ぶらりんなのである。まぁ、これで最後にはキーラがかつての彼女を取り戻し、ハンの元に戻ってくれば、筆者のような原理主義者はともかく、真っ当な鑑賞者の評価には耐えうる正しいストーリー・テリングになっていただろう。でも、実際にはそうはならないし、そもそも、たぶんハンとキーラのハッピーエンドが本作で描かれることはないと我々は分かっちゃってる。なぜなら、ハン・ソロには、レイア・オーガナという未来の伴侶がいるんだから。

solo12.jpg


 あるいは、キーラは最終的にハンの敵として倒される。これでも良かったと思う。実際、キリキリと悲鳴をあげるハートを押さえつけながら、鑑賞中の筆者はそう予想していた。先述の"善い人"シーンで、キーラが物語的・メタ的な意味で"良いもん"じゃないことは確定した。ならば、いっそ"生き延びるために自由より支配に組み込まれることを選んだ"というハンと鏡像関係にある属性を押し進め、敵対の末に打倒されるというところまで行ってしまっても良かったんじゃないか。ちょっと趣は違うけれど、ジェームズ・ボンドが、ヴェスパー・リンドの死を経て始めて"007"になった、みたいなさ。でも、みなさんご存知の通り、本作ラストは、全然そうはならなかった。まったく、どうすんだよ。"アンソロジー・シリーズ"は続編の無い単発作品っていうコンセプトは、確かまだ覆れてないよな? まぁ、きっと今後コミックとかTVドラマとかで補完するつもりなんだろうけど、まだキーラがハンへの未練を残した感じの本作の終幕では、なんともエピソード4への繋がりが悪すぎる。

solo13.jpg


 ただ、一方で本作の展開は、エピソード4への繋がりという意味で抜群の利点も併せ持っているように思う。つまり、最愛の幼なじみにも、師匠と認めた男にも裏切られたことで、ハン・ソロがなぜアウトローになったかが説得的に理解できる、というのが、まず一つ。そして、それよりも何よりも、最大のメリットは、あぁ…ハン…。早くルークに出会って…!早くレイアに出会って…!!って思えるという点である。みんな大好き『ローグ・ワン』は、エピソード4開幕の数分前までを描くという方法で、鑑賞後の我々に「おぉ!すぐにエピソード4観直したい!」という衝動を芽生えさせた。対する本作は、「あぁ!もう!この切なさをなだめるために、早くエピソード4観直さなくちゃ!」という、また異なる経路で同種の感情を喚起することに成功している。

solo14.jpg


 とはいえ、筆者は、決して許さない。世の全ての"男の子"を置き去りにして、勝手に"女"になってしまったキーラというクソビッチを、絶対に認めない。アニメシリーズの設定を反映し、下半身を機械化したダース・モールが、キーラのボス的な人物としてサプライズ出演した? …んなこたぁ、どうでもいいんだよ! モールさんを始めとして、当該サーガには残虐な悪役が数多登場したが、「お前は、フォースと共にあるな!」と思ったのは、これが初めてだ。もう…切ない…。ハンよ、あんなビッチのことは早く忘れて、お前と俺と、それとキャッシークの毛だるまとで、カンティーナで一杯やろう。

点数:82/100点
 今回もまた独善的でスットンキョウな持論をぶってしまったが、冒頭でも述べたように、全体としては大変"Good"なスピンオフだと思う。なんだかんだ、鑑賞後には、同伴した実弟とお揃いで"ゴールデンダイスチャーム"を買っちゃったし。

solo15.jpg


 それと、誤解無きよう言っておくが、アーノルズはせがわさんのゲーム実況は、本当におもしろい。『バトフロ2』は言わずもがな、『デッド・バイ・デイライト』とか、『ゴッド・オブ・ウォー』とか、いつも拝見しています。まぁ、彼は、『最後のジェダイ』も酷評気味に語っていたから、映画の感想においては趣味が合わないのだが、ことゲームに関しては、本当に"Good Feeling"な実況者である。

(鑑賞日[初]:2018.6.30)
(劇場:TOHOシネマズ梅田)

アート・オブ・ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー

新品価格
¥5,400から
(2018/7/2 20:31時点)


【ムービー・マスターピース】『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』1/6スケールフィギュア ハン・ソロ

新品価格
¥28,730から
(2018/7/2 20:31時点)


Hicus ハン・ソロ ゴールデン ダイス ペンダント Han Solo 骰子 クッズ アクセサリー 映画風コスプレ小物 ゴールデン 合金 変装 仮装 クリスマス ハロウィン イベンド パーティー 学園祭り

新品価格
¥2,399から
(2018/7/2 20:32時点)


大人の女といわれる生き方 ―ひとり上手の流儀

新品価格
¥1,512から
(2018/7/2 20:33時点)


関連記事
スポンサーサイト
Mr.Alan Smithee
Posted byMr.Alan Smithee

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply