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キャッチコピー
・英語版:He Will Bring Out The Devil In You
・日本語版:角よ、恋人殺しの謎を解け ―。

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三文あらすじ:恋人メリン・ウィリアムズ(ジュノー・テンプル)を何者かに殺害された上に、容疑者にされてしまったイグ・ペリッシュ(ダニエル・ラドクリフ)。苦しい日々を過ごす中、彼の額に突如として角が生えだす。次第に太く大きくなっていく角に恐れおののきながらも、その角にどんな相手であろうとも真実を語らせてしまう不思議な力があることに気付いたイグは、角を使って事件の真相に近づいていくのだが、それはあまりにも悲痛で凄惨なものだった・・・


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 前回も書いたが、先日『ハン・ソロ』を鑑賞した筆者は、悪魔のような切なさに苛(さいな)まれていた。幼なじみの男の子と女の子。彼らの愛は、純真無垢で真っ直ぐだ。これは別に、遠い昔だけの話ではなく、遥か彼方の銀河系のみで通用する理(ことわり)でもない。実際、筆者の幼稚園時代からの友人は、中学生のときにできた初めての彼女と10年以上交際を続け、そのまま結婚した。とはいえ、そんなのは極めて稀なケース。男の子は、いつも置いてきぼりだ。ハンとキーラが隔絶したのは"たった3年間"だったが、それは、男の子が男性へと成長するには短すぎ、逆に女の子がその純真を維持するには長すぎる時間。だから、いつまでも無邪気で傲慢な男の子は、往々にして既に大人の怠慢を身に付けた女性から、残酷な離別の宣告を突き付けられるのである。その痛み、悲しさを知る全ての男子よ。本作を観よう。この『ホーンズ』という傑作ラブ・ストーリーを。

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 "ラブ・ストーリー"といっても、本作の監督は、あの残虐ホラー映画界の至宝、アレクサンドル・アジャである。当ブログで既に感想を書いたものだと…『ハイテンション』とか、『ヒルズ・ハブ・アイズ』とか、『P2』とか、『ピラニア3D』とかの監督さん。もちろん、本作は、それらに比べれば"グロ"の要素が極端に少な目だが、やはりアジャらしさが随所で炸裂する一風変わったラブ・ストーリーに仕上がっている。まず、大まかで客観的な事の概要は、とあるアメリカの田舎町でその町のアイドル的美少女が惨殺され、その死の真相が徐々に明らかになっていく、というミステリー。要は、TVドラマで言うなら、名匠デヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』、ゲームで言うなら、同ドラマにオマージュを捧げた『レッド・シーズ・プロファイル』みたいな感じの設定である。

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 ここに付け加えられる本作の白眉と言ってもいいギミックが、"悪魔"。より具体的には、あろうことか殺害容疑をかけられた彼氏のイグに発現する"角""他人の本音を露にする"というその能力である。よって、当然、イグは周囲の人々のあまりにも醜い本性をドンドン知っていって、ズンズン追い込まれていくことになる。粘着する記者たちの俗な出世欲や町民の性癖。『スタンド・バイ・ミー』や『ストレンジャー・シングス』さながらに無邪気だった幼なじみたちの腹黒い本性。そして、実の両親ですら自分の潔白を1ミリも信じておらず、早く縁を切りたいと願っている、そんな残酷な現実。"人の本音が分かっちゃう"という意味では、かつてメル・ギブソンが主演した『ハート・オブ・ウーマン』なんてラブコメもあったが、本作は、もっとシビアで真剣に世の欺瞞を剥ぎ取っていく。

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 そして、訪れるのである。我々ボンクラ男子がかつて幾度も経験した、自らの愛する女が去っていく瞬間。体はそこにあるのに心は無い、同時に、その体に触れる術も口実ももはや無い、そんな"自分の女が自分のものではなくなる"というおぞましい瞬間が。これは、まず回想シーンでメリンがイグに別れ話を切り出す、という形で描かれる。公衆の面前でイグは激昂し、その夜にメリンが殺害されたから、イグは町中からほぼ黒の容疑者として扱われているわけだ。このシーンは、本当にキツイ。最後にフラれたのは何年前だっけか? でも、傷は癒えないんだよ。ましてや、せっかく忘れていた古傷を『ハン・ソロ』がジクジクと掘り返した。お願いだ、勘弁してくれ。観る作品を間違っちまった…。しかして、それはまだ序の口である。

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 イグは、真犯人探しを始める。そして、その過程で知ってしまう。唯一"角"が見えず、それすなわち、本当に心が清らかな真の友なのだと思っていた幼なじみの一人リー・トゥルーノー(マックス・ミンゲラ)が、メリンのネックレスを着用しているということを。イグは、聞いてしまう。リーの口から、彼とメリンが2ヶ月も前から密かに想い合う仲になっていたということを。もはや、抗いは無益だ。イグのニューロンは、いくら拒んでも、実に手際よくパズルを組み上げていく。メリンと出会った幼いあの日、教会で彼女の壊れたネックレスをイグは拾った。後日手渡して、そこから二人の仲が始まったのだが、肝心のネックレスを修理したのは、実はリーだ。その後、数えきぬほど三人で過ごした時間。思い出されるのは、愉快なリーを見つめるメリンの笑顔。メリンが死亡した運命の夜、彼女は、生涯一人の相手しか知らないという無垢の異常性を訴え、自身は既に"二人目"を思っていることを示唆した。パズルは完成した。もう二度と、崩すことはできない。

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 アジャよ、お願いだ。助けてくれ。もう、あれでもいい。古から悲恋ものの定番とされ、最近の我が国でも、『セカチュー』ブームや携帯小説ブームを経てもはや陳腐化した"不治の病を患ったから敢えて去る展開"。くだらないよ。反吐が出そうだ。でも、もうそれでいい。この切なさから逃れるためなら、俺は悪魔に魂を売ろう。メリンがリーと浮気していたというのは、リーの吹いたホラ。本当は、自身の老い先短いことを知ったメリンが、イグの未来を思い、苦渋の選択で別れを切り出した。それでいいじゃないか…。なーんて、悶絶しながら藁をも掴もうとする筆者に、スプラッター界の若きカリスマは、優しく呟く。「そう、それでいいんだよ。」

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 結局のところ、麗しきウィリアムズ嬢は、母親の命を奪った遺伝性の癌によって、余命幾ばくもない状況だった。よって、悲しみに引き裂かれそうな小さな胸を必至に押さえ、イグとお別れしたのである。しかし、実は幼少のあの日からずっと勘違いストーカー野郎だったリーが、遂にその勘違いを大爆発させ、強姦殺人に及んだ…。んー…どうかな? 愚かな筆者は、この種明かしを泣いて迎え入れたが、やはり陳腐ではないかな? 確かにそうだ。でも、少なくとも、その結論を導くための伏線展開運びは、非常に丁寧。例えば、"遺伝性の癌"という都合の良い死因は、メリンの父が、「癌で弱っていく妻を看病しながら、俺の人生にはもうこれ以上の不幸は起きないと思っていたのに…!」とやり場のない苦悶を表すシーンで、しっかり周囲の人物の悲しみを浮き彫りにするという役割を果たしている。

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 この台詞、そして、『ザ・ロック』好きにはトム・バクスター少佐としてお馴染みの名脇役デヴィッド・モースの名演によって、我々はまた、この一家の闘病過程をありありと想像できる。だからこそ、メリンがイグに宛てた手紙の中で語られる先述の"フッた理由"が、説得的なのである。本作は、何の脈絡もなくポコッと不治の病にかかる"ファッション悲恋もの"ではない。その病魔は遺伝性であり、だからこそ、メリンは自分の大切な人をも巻き込み、物理的・精神的に全てをズタズタにしてしまうその恐ろしさ、悲しさを知っている。だからこそ、最愛の人との離別を決意したのである。それから、メリンが残した手紙。これも、本当に陳腐なガジェットだ。「あなたがこれを読んでいるとき、私はもういないでしょう…。」 …ハッ! そう、鼻で笑おうとしたとき、我々は、その手紙が全てモールス符号で書かれていることを知る。

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 この前フリは、メリンが教会でイグと初めて出会ったとき、メリンがネックレスの反射を利用してモールス信号を送っていたという描写。このオチとして、手紙をモールス符号でしたためるというのは、中々粋である。でも、粋なだけじゃないんだ。なぜモールス信号をフィーチャーするのか。それはもちろん、こんなに通信技術が進化しても死した者に呼び掛ける術のない現代において、霊界と通信し得る唯一の手段が、モールス信号だからである。そんなもんは当然オカルトであり、街談巷説の域を出ない世迷い言だ。でも、そこには祈りがある。死んでなお、愛しい人に言葉を届けるためにできることは何か。どうやったらこの気持ちを伝えられるのか。そんなことを本当に真剣に考えたメリンの愛。そして、キャラクターと真剣に向き合って"物語上の合理性"を実現したクリエーターの気概。両者に圧倒された筆者は、嗚咽をあげて号泣した。たぶんもう大丈夫。俺は、救われた。もう、満足だ。早計にもそう判断した筆者に、アジャは再び語りかける。「本当に?」

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 愛する者は死んでしまったけれど、彼女は最後まで自分を思っていてくれたから、それでいいんだ。それは諦めではないか? あぁ、確かに、現実世界なら、それでいいだろう。この世知辛い浮き世で、せめてもの慰め以上を求めるのは、贅沢にすぎる。でも、これは"映画"なんだぜ。『シェイプ・オブ・ウォーター』はどうだった? 『パンズ・ラビリンス』は? 『エンジェル・ウォーズ』や『ライフ・オブ・パイ』は、一体どんな話だった? 答えは、"物語の力"を信じた話、である。現実は辛すぎる。でも、"物語"は、そんな世界で暮らす俺たちを救うことができる。だったら、イグとメリンも救ってやろうぜ。というわけで、本作は、"悪魔"化の果てに死んでしまったイグがあの世でメリンとイチャイチャするシーンで終幕する。ここもまた本当に最高。単なるご都合主義じゃない。きちんと考えられている。

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 このラスト・シーンは、実は既にオープニング・シーンとして我々が一度観ているものだ。まぁ、要は『メッセージ』と同じ仕掛けなわけだが、当然のこと、オープニング時点の我々は、なるほど、二人がかつて愛を語り合えていた頃のフラッシュ・バックなのだな、としか思えない。「死ぬまで君を愛すよ。」というイグに対して、メリンが「私が死ぬまででいいわよ。」と返すのも、ははぁ、で、本当にメリンが死んじゃったところから本編が始まるわけね、くらいにしか思わない。しかし、イグとメリンの愛の冒険をすっかり観てきた我々は、ラスト・シーンで、その台詞が持つ本当の意味に痛く感動する。つまり、メリンは、自身の死を悟り、イグを突き放した。期せずして彼女はその直後に殺されてしまうわけだが、仮にそんな事件が無くとも、メリンは、イグに"自らの死ぬ瞬間まで愛させない"、という手段で彼を救おうとしていたことになる。でも、もう心配はいらない。二人の仲を引き裂く病魔も通り魔も、あの世には無縁の存在だ。だから、メリンは、「もういつまでも離れないわ。」という意味で、上記台詞を言ったのである。あるいは、仮にあの世にも『リメンバー・ミー』みたいな"死"の概念があるのなら、「ごめんね。もうあなたから逃げない。今度は私が死ぬまで一緒にいてね。」という彼女の覚悟と捉えてもいい。いずれにせよ、同じシーンでも冒頭と最後で見え方が全く違う。こういうのは、本当に上手いと思う。

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 ただ、リーとのラスト・バトル時にイグが披露する完全"悪魔化"は、ちょっとやり過ぎと感じる人もいるだろう。しかし、筆者は、大いに燃えた。メリンのネックレスを着用することで悪魔の力が無効化されていたイグ。彼は、ショットガンで幼なじみの"ミート"を文字通り肉塊に変えたリーを打倒すべく、その封印の呪符を引きちぎる。その瞬間、これまでには無かった純白の翼が生え、しかし、それが燃え尽きて、これまたこれまでには無かった禍々しい真の悪魔形態に変身する。この段取りが、めちゃくちゃカッコよく、同時に合理的。作中でも神父さんが親切に説明してくれていたが、"悪魔(サタン)"ってのは、元来"堕天使(ルシファー)"なのである。つまり、真のサタンとなるための正規ルートを踏んだというか、始解してから卍解に至ったというか、とにかく「もうこれで終わってもいい…。だから…ありったけを…。」って感じなんだ。複数の漫画が混ざってしまったが、このラスト・バトルでのイグは、つまり、"ヒーロー"なんだよ。そう、中盤までは、一見『スター・ウォーズ』プリクエルのような"ダーク・サイド堕ち"のお話にも思えた本作は、例えば、『スポーン』だとか、『ダークマン』みたいな"ダーク・ヒーロー誕生譚"だったわけだ。まぁ、イグは、結局力尽きてあの世でメリンと添い遂げるから、公のために能力を行使する厳密な意味でのヒーローではないけれど、そういう意味では「綾波を…返せ!」みたいなわがままなカッコよさがあるとも言える。

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 ちなみに、でも…最終的に死んでもうたら、それはやっぱり物語としての逃げやん…。なんて批判は論外だ。例え人の心は暴けても、悪魔に死者の蘇生はできない。現実的にメリンが生き返らない以上、イグは、やはり現実に敗北したのである。先述の通り、それを救ってやるのが、物語の役割。『シェイプ・オブ・ウォーター』のラストと一緒さ。それに、ちゃんと丁寧に構築してはいるけれど、やっぱり、不治の病を患ったからその事実を隠して別れるって、筆者は間違ってると思うんだ。それは、優しさじゃない。辛さとの向き合い方が、根本からねじ曲がっている。私の悲しみは私が抱え込むの…あの人に幸せになってほしいから…グスン。なんて悲劇のヒロインを気取っている暇があるなら、その辛さを相手にぶつけろよ。私は死ぬ。あなたは一生苦しむ。でも、私の側にいて! 男が惚れた女から言ってほしいのは、この言葉に違いない。それをメリンはできなかったから、イグは、卍解してあの世まで追いかけて行ったんだ。俺の気持ちをなめるな!俺に「愛してる」と言わせろ! そんな感じでしょ。…違うかな。

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点数:85/100点
 ちょっと今回は、ことの他暴走気味の文章を書き連ねてしまった。くそ、『ハン・ソロ』で情緒を不安定にされたせいだ。そういや、上で書き忘れたのだが、キャストも本当に素晴らしい。特に、ダニエル・ラドクリフジュノー・テンプル。ラドクリフと言えば、もちろんあのハリー・ポッターだが、シリーズが終了してからは、依然超大作でもてはやされ続けているエマ・ワトソンとは対照的に、オナラをこきまくる腐乱死体役とかでヘンテコな作品にばかり出演している(『スイス・アーミー・マン』は傑作だそうだが。)。そんな彼の映画人生が、町のみんなから「けっ!いつまでも調子乗んなよ!」と扱われているイグのキャラクターとか、天使から悪魔への変貌というテーマとかとマッチしているように思えるのである。一方のテンプル嬢。メリンを演じる彼女の素晴らしさは、"田舎のアイドルとしての説得力"だ。彼女は、決して絶世の美女ではない。でも、十分チャーミング。しかも、ケラケラ笑った顔がとても可愛い。要は、あぁ!田舎町ならこれは確かにみんな好きになるわ!という納得感があるのである。あとがきが長くなるが、最後に一点だけどうしても擁護しかねるのは、"兄"というものの描き方。お兄ちゃんはね、特に男二人兄弟の長兄っていうのは、決して本作のテリーみたいなことはしない。兄の兄弟愛をなめるな。それだけが、本作が唯一にして決定的に・・―・ ・・― ―・―・ ―・―な部分である。

(鑑賞日[初]:2018.7.4)

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Mr.Alan Smithee
Posted byMr.Alan Smithee

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