[No.508] いま、会いにゆきます <70点> 【ネタバレ感想】

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キャッチコピー
・英語版:unknown
・日本語版:雨とともに訪れた6週間の奇蹟

 生まれ変わっても、あなたの側で。

三文あらすじ:一年前に妻である澪(竹内結子)を亡くした秋穂巧(中村獅童)と息子の佑司(武井証)。ある日、彼らの前に妻と瓜二つの女性が現れる。巧は、記憶を無くしている彼女を家に迎え入れ、一緒に暮らし始めるのだが・・・

※以下、ネタバレあり。


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 早いもので2004年がもう14年も前だ。当時の邦画界を思い返せば、やはりまずは『セカチュー』こと『世界の中心で、愛をさけぶ』を特筆すべきだろう。今なおトップ俳優として走り続ける長澤まさみと森山未來のピュアで切ない(…杜撰で陳腐な…ボソッ)悲恋に、日本中が涙した。本作『いま、会いにゆきます』は、そんな『セカチュー』公開から半年に満たない絶妙なタイミングで投入された、同種の"落涙ドラッグ"("涙エクスプロイテーション"とも言う。)である。

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 まぁ、要するに、悪口めいて言ってしまえば、「あ~、なんか泣きたいわ~。」というおばさんたちが、なんでもいいからとにかく"ピュア"で"切ない"気持ちになるため観るという、そんな作品の一つ。『セカチュー』に端を発したこの混迷は、本作を経て、いわゆる"携帯小説ブーム"で極を迎える(『ただ、君を愛してる』とか、『その時は彼によろしく』とか、タイトルが"語りかけ形式"なのが特徴。まぁ、『恋空』は"ドラッグ"の権化の割にタイトルはシンプルだったが。)。当然、真っ当な映画ファンから称賛されるような代物ではないのだが、どこで覚えたのか、筆者の同居人が勝手に筆者のNetflixアカウントをハッキングして観始めたものだから、ついつい一緒に観てしまったというわけだ。

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 さて、"映画通"に見られたいがための言い訳はこのくらいにして、実は、筆者は、この『いま会い』が昔から割と好きだった。リアル・プライベートでケチが付いてしまったものの、誠実さと何より体を満足に動かせない"ノロマな障害者"というキャラクターに圧倒的な説得力を持たせる中村獅童の佇まい、そして、これはもう"可愛いの権化"としか言い様のない竹内結子の一挙手一投足。それらのアンサンブルは、『セカチュー』のあの二人にひけをとらない。一方、設定とかテーマとかギミックは、圧倒的に本作の方が好き。リビング・デッドかと思いきや実は過去のヒロインが未来にタイムスリップしていたというツイストや、例え死んでしまう運命だとしても、やっぱりあなたたちと過ごしたい。だから、"いま、会いにゆきます"。これはもう、応急処置すらせず空港で泣き叫ばれたり、勝手に世界の中心だと決め込んだ異国に遺骨を撒かれてしまうもの悲しさに比べれば、よほど素晴らしい。

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 そんな本作をいま観直して我々SF映画ファンが気付くのは、やはりドゥニ・ヴィルヌーヴの傑作SF『メッセージ』との類似性であろう。同作は、主人公である女言語学者が見る"最愛の娘を病で失った過去の幻覚"が、実は過去ではなく未来の出来事だったという仕掛けが秀逸な一本。そんなギミックを通して、例え束の間だとしても、やっぱりあなたに会いにゆくわ!と、彼女は自らの運命を選択するのである。まぁ、同作の原作である短編小説『あなたの人生の物語』が世に出たのが1998年、対する本作の原作は2003年に出版されているから、どっちがどっちをパクったのかは容易に想像できるところである。しかし、それでも筆者は不遜にも、アカデミー作品賞にまでノミネートされた『メッセージ』より、本作の方にこそ、テーマの素晴らしさを感じるのである。

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 っていうか、『メッセージ』のラストで主人公が導く決断って、よくよく考えれば、なんだか釈然としないんだよな。同作の感想では書き忘れてしまったけれど、筆者は、初鑑賞時から気になっていた。すなわち、同作の主人公ルイーズは、柿の種に乗って遠路はるばるやってきたタコ型宇宙人ヘプタポッドの言語をマスターしたため、過去・現在・未来を同時に認識できる彼らの思考をも身に付けた。この能力でルイーズは、同僚の物理学者と自分が将来結婚し、娘を設けるも、娘は不治の病にかかり、旦那とは離婚し、挙げ句独りぼっちになってしまう、という未来を見たわけだ。ここでポイントなのは、ルイーズは、本作の竹内結子とは違い、"悲劇"の先まで認識できるという点である。

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 竹内結子は、大学時代に音信不通になってしまった中村獅童の姿を見つけてがむしゃらに駆け、車に轢かれ、頭を強く打ち、未来へスリップした。そして、このタイムトラベルには、"雨の季節"限定という制限が付いている。ちょっと話が逸れるけど、このタイムリミットって、すごく日本的だよな。例えば、『セブン』という映画では、7日間ずっと雨が降っていて、物語が悲劇的な結末を迎えたところで初めて日が射す。もちろん、同作の雨はタイムリミットではなかったのだが、でも、映画において雨をギミックとして扱うなら、普通は降るか止むかの二択なのではないだろうか。それを"雨の季節"なんていうあやふやな概念で通せてしまうのは、我が国に"梅雨"という時期が存在しているからだ。これは、雨季ともちょっと違うんじゃないかな。もっとこう…曖昧だけど同時に確固たる期間だ。

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 話を戻すが、未来にスリップした竹内結子は、自分が消えてしまう梅雨明け以降の未来を知ることができない。だからこそ、事故後の時制に戻った彼女の「いま、会いにゆきます。」という決断が胸を打つのである。今、巧の元へ行かなければ、もしかしたら自分は長生きできるかもしれない。「…という夢を見たのさ…。」で済ましてしまえば(実際、単なる夢だったと考えても、この話は成立する。)、巧と佑司は、最愛の妻や母を失う悲しみなど感じずに生きていけるのかもしれない。それでも、竹内結子は、ゆくんだ。穿った見方をすれば、それは本当にワガママな決意である。"愛"という名の一時の熱情で、彼女は、二人もの人間の未来をズタズタにしようとしている。でもさ…それでいいんだよ! こないだ『ホーンズ』という映画の感想でも書いたけど、女は、惚れた男の度量を信じて、堂々と自らの運命に彼を巻き込んでしまえばよろしい。

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 一方、『メッセージ』で未来を見たルイーズの予知範囲は、作中の描写から推して図る限りにおいて無制限である。であれば、当然彼女は、娘が死んで悲嘆に暮れた後、そのずっと先で、元気に立ち直った自分を見たかもしれないよな? アンナのことを忘れたわけじゃない。でも、『リーサル・ウエポン4』でのリオみたいな"天使"がルイーズにも舞い降りて、悲しみを胸に刻みながらも新たなる伴侶と新たなる命を授かる。そんな未来を見たかもしれないよな? もちろん、逆だって言える。いつまで経っても過去の呪縛から逃れられず、ルイーズは、その生涯を深い後悔と悲しみの中で孤独に終える。そんな未来だった可能性もある。でも、この点の立証責任は、やっぱりクリエーター・サイドにあるのではないだろうか。映画は作り物なんだから、積極的な事実の存在は、作中で描写されて初めて真実となる。ならば、娘が死んだずっと後について描かれなかったルイーズの未来は、受け手側で勝手に解釈したっていいんだ。

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 あと、これは初鑑賞時にあんまり気にならなかったから、きっと上手いバランスで描かれていたんだと思うけれど、死ぬと分かっている娘を敢えて産み落とすって、どうなの? まぁ…これは"堕胎の是非"という、もう本当に筆者などがうかうかと述べるべきでない領域の議論にも繋がり得る、極めてナイーブな話ではある。でも、既に生命の萌芽が芽吹いた後でのいわゆる"堕胎"と、まだ素粒子レベルですら形になっていない"未来の堕胎"は、厳密には別問題なんじゃないかな。竹内結子みたいに、私は死ぬからアンタたちも付き合って!というのは分かる。おそらく多くの鑑賞者にすんなり理解され得る"悲劇レベル"の格付けは、"自らの死">="愛する者の死"であろう。つまり、ワガママに周囲を巻き込むのだとしても、当の本人は死んじゃうんだから、手放しで本人を責めるわけにもいくまい、という感じ。しかし、ルイーズが下した決断は、これとは逆の方程式を前提としている。娘からしたら「はぁ?ふざけんなよ!」って事案かもしれないし、ましてや生まれるまでそれを隠していたってんだから、そりゃあ、イアンだって怒るさ。

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 というわけで、本作の大まかなプロットやギミックやテーマの部分では、筆者はとっても満足しているのである。ただし! こと映画的技巧の部分。これはもう本当に、『メッセージ』の足元にも及ばない。まぁ、終盤まではまだいいでしょう。問題は、本作の白眉と言っても過言ではない、カラクリを明かすくだり。すなわち、"雨の季節"が終わって去っていった竹内結子が、大学時代の事故後、病床で目覚めてからである。まず、それよりもちょこっと時間を戻して、轢かれて頭を打った竹内結子が、モヤンモヤンフワンフワンと既に描かれてきた未来での出来事をダイジェストで見ていくという描写。ブサイク。そして、いざ目覚めた竹内結子が、「私は…未来へジャンプした…。」と呟いてから始まる怒濤の解説モノローグ。なめてんのか!

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 分かるよ…。分かってるって…。俺たちは、バカじゃないんだから…。そりゃ、中には未来はおろか、過去を全て忘れ、今の自分さえあやふやというバカもいるんだろう。でも、画で説明できないのなら、映画になどするな。詳細な設定や心の機微を知りたいのなら、小説を読めばいい。ひまわり畑のシーンもいらない。電車に揺られる竹内結子が、「いま、会いにゆきます。」と言った瞬間に終幕! これで良かった。バカにすんなよ。何を観て、何を感じるか。俺たちの"未来"を、勝手に決めるなよ。

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 まぁ、とはいえ、実際鑑賞後に上記文句をとうとうと垂れ流した筆者に対し、一緒に観ていた同居人は「うん、説明あったから分かりやすかった♪」とニッコリ笑ってみせた。ってことは、筆者が独りでおごり高ぶっているだけで、実は必須の説明描写なのかもしれない。いや、でも、そうなのか? 単に筆者の同居人がバカなだけなんじゃないのか? あぁ、もし"過去に戻れてしまったら"、どうしよう…。それでも今と同じ相手の元へいま会いにゆく自身が無くなってきた…。とりあえず、交通事故には気を付けるとしようか。

点数:70/100点
 なーんて、偉そうな批判を展開したが、鑑賞後話し合ったとき、同居人も筆者も、共にポロポロと泣いていたんだ。特に、最近『ハン・ソロ』『ホーンズ』と立て続けに情緒を崩された筆者にとっては、本作を観て感動するなと言うのが、土台無理な話。で、いわゆる"そのあとめちゃくちゃセックスした"並にイチャイチャしてるんだから、世話はない。それに、本作が"落涙ドラッグ"なのだとすれば、"処方箋"にも似た懇切丁寧な説明は、やはり必要なのだろう。というわけで、とにかく泣ける雰囲気ならなんでもいいんだよ!という後期ドラッグたちと比較すれば、よほど真っ当な作品である本作は、ちょうど大阪では本日梅雨明けが発表された今、この時期にこそ、改めて観てもらいたい良作なのである。

(鑑賞日:2018.7.9)

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