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キャッチコピー
・英語版:Life Finds A Way
・日本語版:生命は、新たな道を見つける

 さよなら、俺たちの"王国"。

三文あらすじ:"ジュラシック・ワールド"での惨劇から3年、放棄されたイスラ・ヌブラル島は、残された恐竜たちの楽園となっていた。しかし、休火山であった島で噴火の予兆が観測される。恐竜たちを再びの"絶滅"から救うため、旧ワールドの元経営責任者クレア・ディーリング(ブライス・ダラス・ハワード)とヴェロキ・ラプトルの調教師オーウェン・グラディ(クリス・プラット)は、あの悪夢の舞台へ再び足を踏み入れるのだが・・・


~*~*~*~


 いやぁ、ビックリした。本当に。公開されるずいぶん前から"衝撃的な展開"が含まれるとは聞いていた本作『ジュラシック・ワールド / 炎の王国』。個人的には、あ~、あれじゃない? 『最後のジェダイ』で老人ルーク出てきたみたいな感じで、老人アラン・グラント博士出すんじゃない? なんて、浅はかに考えていた。甘いよ、本当に。後述の通り、奇しくもある意味では極めて『最後のジェダイ』的な作品である本作は、およそあらゆるファンの予想を裏切って、そしてまた『FALLEN KINGDOM』という原題に恥じることなく、完膚無きまでに既存の『ジュラシック・パーク』を破壊してみせた問題作だと思う。まったく、さすがブラピからの『ワールド・ウォーZ2』の誘いを不義理に断ってまで監督に就任したというだけあって、J・A・バヨナはとんでもないアイデアをぶち込んでくれたもんだ。それに、前作の監督・脚本、本作の脚本、ほんで次作の監督(脚本もかな?)を担当するコリン・トレヴォロウよ。『スター・ウォーズ エピソード9』の監督クビになって悔しいのは分かるけど、こんなことして次大丈夫なんかいな? なーんて、心配もあるのだが、とりあえずはこう言いたい。いや、あんたらスゴイわ。ありがとう。

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 まずは、本作の大問題ポイントである"既存の『ジュラシック・パーク』を破壊した"という点についてだが、そもそも"俺たちのバイブル"たる『ジュラシック・パーク』の本質とは何だったのか。一つは、当ブログでも『ジュラシック・ワールド』の感想で書いた通り、ずばり"恐竜"である。しかも、この場合の"恐竜"は、我々かつての恐竜大好き少年が憧れていた"本物の恐竜"であることが望ましい。ただまぁ、これは、CG黎明期だったシリーズ一作目公開当時だから"意味"や"効果"があったとも言える。『ジュラシック・パーク』が公開された1993年以前のCGが描いていたのは、まだ『アビス』のウォーター・エイリアンとか、『ターミネーター2』の液体金属みたいな"空想上の物体"で、なおかつ、従来のストップ・モーションやアニマトロニクスでは表現し得ないものに留まっていた。ここに白亜紀の終焉を告げた隕石並みの巨大な一石を投じたのが、『ジュラシック・パーク』である。

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 CGを使って『ジュラパ』がやったのは、生き物の"リアル化"であった。しかも、それまでの特撮とは段違いのリアル化である。確かに、意志を持った水や液体金属とは違い、それは、パペットを用いたストップ・モーションや、アニマトロニクスでもやろうと思えばできる。でも、それじゃあダメなんだ。なぜなら、"恐竜"というのは、"実在した空想上の生き物"というなんとも絶妙な存在だからである。つまり、まぁ端的に言って"憧れ"なんだよな。全く架空のモンスターなら、パペットなりアニマトロニクスなりの"作り物"でよい。"偽物"を"偽物"として楽しむのが、映画の正しい在り方なんだから。ただ、恐竜は違うんだ。それを見た者なんていないから、頭で想像するしかない。でも、絶対にいたんだ。時代がズレただけなんだ。だから、誰も見たことがないやり方で、誰もが本物と見紛うほどのクオリティで、見せ付けなければ意味がない。それを『ジュラパ』は、見事に成し遂げた。パーク到着早々、グラント博士がブラキオ・サウルスを見付けて感極まる場面は、「ホ…ホンマに恐竜おるやん!」という彼の驚きや感動が観客のそれとバッチリ一致した、珠玉の名シーンだったのである。

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 しかし、その手はもう使えない。あれから20年以上も経ったんだ。『ジュラワ』の作中でも敢えて言及されていたが、今どきの子供は"恐竜ごとき"では驚かない。それは、もはや恐竜という存在が当たり前になった作中世界の子供たちのことでもあり、同時に、CGでなんでも映像化できると知ってしまっている現実世界の観客のことでもある。だから、『ジュラワ』は、インドミナス・レックスという"飛び道具"を繰り出した。筆者は、『ジュラワ』の感想で"やっぱり「本物の恐竜」じゃないと嫌だ"と大人気ない文句を垂れたが、恐竜を"初めて見た感動"の再現がもはや不可能である以上、致し方のないことであろう。では、インドミナスを投入した『ジュラワ』が新たに伝えようとしたことは何かと言うと、それは、自然と人間の共存であった。心無い科学が作り出した人口の怪物インドミナス。彼を打倒したのは、"本物の恐竜"であるヴェロキ・ラプトルのブルーと人間であるオーウェン・グラディのタッグである(止めを刺したのは、ほぼT-REXとモササウルスだが。)。つまり、「とにかく"自然"は偉大なんで!人間とか!手出し無用なんで!」と主張していた旧3部作とはやや異なり、『ジュラワ』は、「 "自然 "と共存していくことこそが、地球の未来にとって正しいことなんだよ。」と訴えていたのである。

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 このテーマは、本作でもちゃんと一貫している。いや、一貫していて、更に強烈に押し進められている。"自然"は尊い!って、過去のシリーズは言ってきた。まぁ、『ロスト・ワールド』は人間サイドが主張する"環境保護"の思想や行動が幼稚過ぎて話にならないが、一作目なんかは、ラストのヴェロキvsティラノのシーンで、思いっきり適確に"自然の偉大さ"を伝えられていた。我々はあたかも意志を持った"悪役"としてティラノを恐れていたが、ヴェロキに追い詰められた絶体絶命の土壇場でグラント博士らを"救った"のは、T-REXだった。違う。救ったんじゃない。そこにも、やはり意志は無いんだ。敵とか、味方とか、それはちっぽけな人間が恣意的にねつ造した概念で、偉大な自然は、ただ弱肉強食という完全性で変わらずそこにある。だから、我々にできることは、彼らを傲慢な檻から直ちに解放し、尻尾を巻いて即刻島を離れ、あとはもう手出し口出しせず、そっとしておくことだけ。それが、"自然"に対する最大の敬意なのである。

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 なんて、偉そうにフムフム言っている筆者の胸ぐらを、本作はグイッ!と暴力的につかんで問う。「おい!」と。「その島も "檻 "なんじゃねぇのか?!」と。これにはハッとさせられた。本作が"恐竜、都会に現る"のプロットを採用しているらしいということは、公開前から知っていたが、単にそれは『ロスト・ワールド』における"T-REX、サンディエゴに現る"のオマージュとして同種の展開を持ってきただけだろう、なんて考えていた。甘すぎる。"尊重"という概念は、旧シリーズからあった。"共存"というテーマは、前作から前ふられていた。さらに言うなら、闇雲な使命感で恐竜を安易に解放するという愚行は、『ロスト・ワールド』鑑賞後に我々が散在イジったポイントだ。だから、ほぼ『ジュラパ』の焼き直し的プロットだった前作に続き、本作は『ロスワ』をなぞっていくのだろう、なんて考えていた筆者は、そんな愚行が無いよう細心の注意を以て進んでいく本作に対し、「ほほう、学習しましたな。」なんて、偉そうな感想を持つ。オーウェンがスティギモロクをけしかけたのは、自分たちが檻から脱出するためでもあるし、何よりこの恐竜一匹で人死にが出ることもあるまい。インドミナス・ラプトルを解放したのは、敵側のおっさんだ。本作は、『ロスワ』がやってしまった"マッチポンプな窮地"を丁寧に回避していく。

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 そして、オーウェンとクレアは、遂に究極の選択を迫られる。いや、『ロスワ』の"訂正版"として本作を観てきた我々にとって、その選択は"予定調和の究極"であろう。扉を開放して現実社会に解き放たなければ、せっかく島を脱した恐竜たちは"絶滅"してしまう。でも、開放すれば、街になだれ込んだ彼らが、『ロスワ』のT-REXなど比較にならぬほどの死傷者を出すだろう。だから、開放はしない。絶対に。それは『ロスワ』のイスラ・ソルナでイアンたちがやったことであり、そのせいで彼らは外界との通信手段を失い、よって島の中心の通信施設を目指さなければならなくなり、そのため多くの人命が失われた。あんな馬鹿なことはない。クレアは、扉開放のスイッチを押さないさ。そう、彼女は、押さないのである。しかし、悲しむオーウェンとクレアの目の前で、扉は開く。押したのは、幼い少女。え!マジで?!どーすんのよ、それやっちゃったら?!とうろたえる我々に、政府の諮問会的な場所でスピーチするイアン・マルコム(ジェフ・ゴールドブラム)の台詞が突き刺さる。酷くうろ覚えだが、要は、「隔離しておけばいいとか、そういう問題じゃない。恐竜を蘇らせた時点で、既に始まっていたんだ。」みたいなことを言うイアン。「私たちは、覚悟しなければならない。彼らとこの地球で "共存 "する覚悟を…。」

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「ようこそ、 "ジュラシック・ワールド "へ。」
(Welcome to Jurassic World.)


 どおおおおぉぉぉん!!! いや、「ようこそ」以前の台詞は本当に酷いうろ覚えなんだけど、とにかく、筆者は、この「ようこそ~」で本当に頭を殴られたような衝撃を受けた。全て見越していたのか。人間と恐竜の"陳腐な友情"を描いていた前作から、 "共存 "の舞台が世界に広がることを意図していたのだろうか。そうなんだよ。いつから傲慢になっていたのだろう。「『ジュラシック』シリーズっていうのは、やっぱりあの孤島に行くことが醍醐味なのであって…」とか、「毎作如何にして孤島に主人公を行かせるかが課題なんだよなぁ…」とか、「『ロスワ』のサンディエゴ上陸は、モンパニとしては最高におもしろいけど、『ジュラシック』シリーズとしては確かにちょっと違うんですねぇ…」とか、いつから勘違いしていたんだろう? 本当に恐竜を尊重しているなら、彼らを"対等"に見ていたはずだ。ヌブラルとか、ソルナとか、その辺に"幽閉"しておけばいいやなんて、侮りだ。あいつらは、来る。仮に当初のプラン通り"理想の孤島"に移送していたとしても、いつかは"道"を見つけ、俺たちの"王国"に乗り込んでくる。「もういよいよ恐竜を街に連れてくるしかないんちゃう?www」なんてふざけていたけれど、それは茶化して言うことではなかったんだ。本当に恐竜が好きで、本当にその蘇生と実在を想像し、きちんと真剣に向き合って"共存"を考えていれば、当然いつか描かれるべき展開だったんだ。

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 もちろん、それは本当に挑戦的で、同時に破壊的な展開である。理屈では分かっていても、やっぱり『ジュラシック・パーク』ってのは、孤島の大自然も含めてのものだ。"俺たちの『ジュラシック・パーク』""絶滅"してしまった。だから、きっと激烈な拒絶反応を示すオールド・ファンもいるだろう。こういったところが、本当に『最後のジェダイ』的だと筆者は思う。同作は、映画史に燦然、かつ脈々と輝き続けてきたサーガの伝統を思いっきりぶち壊し、新たなる未来へ一歩を踏み出してみせた新三部作の二作目。宇多丸師匠の言葉を借りれば"杜撰な逆張り"ばかりを繰り返したため、確かに多くのファンが激昂した。しかし、個人的には、特にルーク・スカイウォーカー最後の戦いに重点を置いて、旧シリーズを最大限尊重した上でお別れした傑作だと思っている。その点は、本作も同様だ。つまり、我々の予想を遥かに凌ぐ早さで、シリーズ一作目の舞台イスラ・ヌブラル島は壊滅してしまうわけだが、ここに筆者は、旧シリーズ、特に一作目への惜しみない愛と礼儀を感じたのである。

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 まず、ポイントなのは、"光と影"。そもそも映画は、"光と影の芸術"と言われるほど明暗を重視する表現方法である。その観点から本作を観ると、至る所に光と影の見事な演出が散見されるだろう。例えば、アヴァン・タイトル。嵐の中、前作で湖底に沈んだインドミナス・レックスの骨を回収した傭兵は、浮袋の付いた容器に格納し、浮上させる。カメラがその容器を追っていくと、真っ暗な海中を一瞬の稲光が照らし、その瞬間、インドミナスに引導を渡した主、モササウルスのあまりにも巨大な影が浮かび上がるのである。他にも、T-REXが初めて登場するシーンも稲光で演出されていたり、クレアとフランクリン・ウェブ(ジャスティス・スミス)が閉じ込められた地下室のトンネルからバリオニクスが登場するシーンでは、今度は溶岩の光がその影を一瞬だけ浮かび上がらせたり。とにかく、本作においては、光と影を駆使して恐竜を演出することに相当な注意が払われ、また重要視されていることが分かる。

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 で、肝心のシーンは、オーウェン、クレア、フランクリンがギリギリで脱出船にスベり込み、火砕流に飲まれていくイスラ・ヌブラルの港を見つめる場面。ここで逃げ場を失いただ死を待つ一匹が、ブラキオ・サウルスなのである。そう、先述した通り、この恐竜は、『ジュラシック・パーク』というサーガの始まりであり、T-REXやヴェロキ・ラプトルを差し置いて、作品を象徴する最も重要な存在と言っても過言ではない。本作でも、島に着いたオーウェン一行が初めて目にする恐竜は、ブラキオ・サウルスであった。そんな恐竜が、シリーズを象徴する、いや、もはやこれまでの『ジュラシック・パーク』そのものとも言えるイスラ・ヌブラルと共に、今その生涯を終えようとしている。これだけでも、旧シリーズ・ファンは落涙必至であろう。しかし、注目は、その最期の演出。孤独なブラキオ・サウルスを粉塵が飲み込み、彼のシルエットが露わになるのである。しかも、しかもである。最期を悟った彼は、あたかもかつての"恐竜王国"が誇った栄華を我々の胸に刻み付けるがごとく、前足を高らかに上げて後ろ立ちのポーズを取る。これは当然お分かりの通り、一作目でアランとエリーが歓喜のあまり絶句する中、高所の枝葉を食べるためにブラキオ・サウルスが取った姿勢だ。更にダメ押しとして、この直後のシーンで悪の親玉イーライ・ミルズ(レイフ・スポール)が、兵器密売人グンナー・エヴァーソル(トビー・ジョーンズ)に対し、ご丁寧にも「過去ではなく未来を見てください。」と発言するのである。イスラ・ヌブラルは死ぬ。それすなわち、これまでの『ジュラシック・パーク』も終わり。でも、本当に今までありがとうございました。そんな愛と礼儀を感じ、筆者はこれでもかと言うくらい涙を流した。

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 筆者が大感銘を受けたのは、大きくはそんなところだ。ここからは、その他のポイントについて、思いつくままざっくばらんに記述していく。まずは、クローン少女メイジー・ロックウッドちゃん(イザベラ・サーモン)。この子って、本当に重要なキーパーソンだよな。先述の通り、イスラ・ヌブラルが崩壊したことで、既存の『ジュラシック・パーク』は終わってしまった。その上で、クレアが踏みとどまった解放をやっちまうことで、シリーズを決定的に先へと進めたのは、紛れもなく彼女だ。だから、一番最初に出た本作のプロモーション画像が、トリケラトプスの頭骨を見つめるメイジーちゃんの後ろ姿だったんだな。そんなメイジーちゃんについて言いたいのは、以下の二点。まず一つは、ちょっと現段階では"道具"感が強すぎるのではないか、という点。そもそも、クローンというのが、中々危うい。このシリーズは、我々の現実世界に恐竜が出現したらどうなるか、を楽しむものであるから、恐竜以外の架空のアイテムが登場することはご法度である。そういった意味で、クローンは、かなりギリギリ。っていうか、ギリギリでアウトなんじゃあないだろうか。じゃあ、なんでそんな設定にしたのかと言うと、これが今のところ、扉開放ボタンを押すためのエクスキューズ以上の意味が無いような気がするんだよなぁ。

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 恐竜がかわいそうだから、なんて理由で彼らを解放したら、それは『ロスワ』のエセ環境保護の繰り返しだ。だから、クレアは踏みとどまった。恐竜だけが生きがいの寂しい子供だからやっちゃったんです…。それもダメ。子供のわがまま一つで俺たちの『ジュラシック・パーク』が汚されてたまるか。確かに"恐竜愛"は絶対不可欠の要素だが、恐竜が好きだから人間はどうなってもいいんです、なんてキ〇ガイは見るに堪えない。でも、これが子供は子供でも、広く"人間"という種を憎んでいる人物ならどうだ? そう、メイジーちゃんのクローン設定は、まさにこの"人間はどうなってもいい"に説得力を持たせるためのギミックであろう。言い換えれば、人間よりも人の手で創り出された恐竜にこそシンパシーを覚えてしまう人物、ということである。まぁ、そういった意味では、確かに「よう考えたなぁ!」と賛辞を送りたくもなるのだが、やはりクローンという超現実的な設定が勝っているため、次作でよほど上手くまとめない限り、現段階では取って付けたご都合主義の"とんでもギミック"とも思えてしまう。

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 あと、メイジーちゃん関連では、インドミナス・ラプトルに襲われて小さなエレベーターに乗り込んだシーンに注目だ。ほぼ立法体の狭い空間に女の子が入り、上から下に稼働する扉を閉めることでラプトルの追撃を避けようとするも、スタックした扉が中々閉まらない。これは、シリーズ一作目において、ビジター・センターの厨房でラプトルに追われたレックスが隠れようとするシーンと全く同じ。愚かで混乱していた筆者は、このシーンを見たとき、あれ?もしかして、メイジーってレックスの娘……のクローン…?なんて、本当に意味の分からない想像を巡らせてしまった。ただ、メイジーの親の正体が意味深に扱われていたことは事実。ロックウッドおじいちゃんが中々母親の写真を見せてくれないもんだから、きっとこれまでの作品で登場した人物の娘なんだ、と思うように演出されている。考えたよ。結局は徒労以外の何ものでもないのに、筆者は、グルグルと必死で"脳内ジュラシック・ライブラリー"を漁った。で、結果、彼女は別に誰の子供でもなかったわけだ。あれ? この感じ……前にもあったような…? そうだ、『最後のジェダイ』のレイだ! まぁ、さすがにこれはこじつけなのかもしれないが、"選ばれし者じゃない展開"を敢えて設定しているのだとしたら、この点でも本作は『最後のジェダイ』的だと筆者は思う。

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 あと、すごく「だから何?」みたいな話なんだけど、アヴァンで回収されたインドミナス・レックスの骨、あれ、アバラ骨ですよね? 今や廃墟と化したジュラシック・ワールドの入江を潜水艇が進んでいくから、当然我々は、「あ!もしかして、インドミナスの骨落ちてたりして!」と想像する。すると、しっかり落ちていて、しかも、しっかりほぼ全身分を見せてくれるわけだ。だっらさ、別に頭蓋骨を丸ごと回収したっていいよな。その方があとあと絵になるし…。でも、実際にはアバラのみ。これはなぜだろう。またしても妄想めいているのだけれど、ひょっとして聖書オマージュなんじゃないだろうか。つまり、神=人間が最初に創りたもうた"アダム"がインドミナス・レックスで、そのアバラ骨から次の子"イヴ"=インドミナス・ラプトルを創造した…みたいな。まぁ、筆者はインドミナスの雌雄を把握していないから厳密には何とも言えないんだけれど、オスメスは抜きにしても、第一子、第二子を象徴するモチーフとしてアバラ骨が採用された可能性は無くもないのではないかと思う。

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 そう、それと、むしろこっちを先に書くべきだった。より技巧的な部分なんだけど、カットバックの上手さ。これは抜群だったと思う。映画好きはみんな知っているだろうが、カットバックというのは、異なる場所で同時に起こっている事柄を交互に見せていくという編集手法のことである。本作で素晴らしかったのは以下の二ヶ所。まずは、ヌブラルからの脱出船内でブルーの治療にあたるオーウェンらと屋敷の地下研究所で赤ちゃんブルーを調教するオーウェンの映像を見るメイジーちゃんのシーンのカットバック。何が素晴らしいかと言うと、後者が前者の理由付けになっている点。つまり、オーウェンと赤ちゃんブルーとの絆を見せることで、オーウェンたちがなぜそんなにも必死でブルーを助けるのかが理解できるようになっているのである。これは意外と重要なんだ。いくら前作で共闘したとはいえ、あれから3年も経っているのだし、3年ぶりの再会も横やりが入ったため中断されたのだし、そもそもはブルーだってバカスカと人を食う肉食恐竜の一匹なんだし、ましてや『ロスワ』で"闇雲な恐竜保護"をやっちゃったもんだから、少なくともコイツは信頼できる"友だち"なんだよ、という説明は必要だ。別にこれをオーウェンの回想として挿入しても、同様の効果は得られる。でも、それだとありきたりでブサイクだ。しかも、メイジーちゃんがその映像を見ることで、屋敷の地下では陰謀渦巻く研究がなされていたのだ…ということを説明できるとか、後々オーウェンらと出会ったときスムーズに仲良くなれるとか、そんな効果も同時に発生する。非常にスマートだと思う。

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 二ヶ所目は、屋敷の地下に監禁されたオーウェンとクレアがスティギモロクの頭突きを利用して脱出しようとするシーンと、大金持ちたちが捕獲した恐竜のオークションをしているシーンのカットバック。ここは、スティギーの頭突きがオークションに対する観客の怒りを代弁する役割を担っている。オークションの進行役であるグンナーが落札の度に叩く木槌の音が、スティギーが頭突く度響き渡る「ドーンッ!」という音とシンクロしているというのも美しい。が、それもさることながら、やはりどんどん買われていく恐竜たちへの憐憫と、俺たちの大好きな恐竜を"奴隷"のように売買する金持ちたちへの憤怒の情が、頭突きというアクションと絶妙にマッチしているんだよな。くそっ!(ドーンッ!) ふざけんな!(ドーンッ!) 恐竜を!(ドーンッ!) なんだと思ってんだ!(ドーンッ!) ってな感じ。ちなみに、スティギーの注意を引くため、オーウェンは「ピュイッ!」口笛を吹くのだが、これはもちろん、アレでしょう。そう、オーウェンを演じるクリス・プラット主演、俺たちがもしかしたら恐竜よりも大好きかもしれない銀河のボンクラ・ヒーロー譚『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー Vol.2』で、"俺たちの親父"ことヨンドゥ・ウドンタが愛用する武器"ヤカの矢"を操るときの口笛である。まぁ、別に口笛の吹き方なんか数通りしかないんだからたまたまという可能性もあるが、きっとボンクラたちは「すわ!オマージュだ!」と騒ぎ立てているに違いない。

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 あとは…まぁ、これまで一貫して踏襲されてきた"親と子の物語"という軸は、本作でもやはり描かれている、とか。このテーマは、クローン少女というトリッキーな設定を採用したことで、これまでよりむしろ強調されているとも言える。それから、T-REXがやっぱりヤギ食ったとか。しかも、たぶん一作目のヤギと体の黒い斑点までほぼ一緒だったように思う。そうだ、オーウェンの家が作りかけってのは、象徴的だったな。"宿無しの自由な生活の是非"が原因でクレアと別れてしまったオーウェンは、湖が見渡せる高台に自らの手で木造の一軒家を建設中。やっぱり"我が家"は必要なんだ。これは、オーウェンがクレアとよりを戻したいと思っていることのメタファーとも捉え得る。しかし、より重要なのは、本作を通して、恐竜たちは遂に帰るべき"我が家"を失った、という点。だから、オーウェンの家はまだ完成していないんだと思う。本作開始時点の彼は、我が家の必要性を感じていた。でも、元々の彼は、それを自らを縛る"檻"と捉えていたはずだ。これは、おそらく次作のラストで恐竜たちが辿る行く末とリンクしてくるのではないかな。つまり、やっぱり恐竜たちをどこかの島に隔離するなら、オーウェンは家を完成させるだろうし、そうではなく野に放ったままになるのなら、彼は作りかけの家を取り壊すだろう。個人的には、恐竜の処遇は"場所的条件付き自由"で、オーウェンはデカいトラックの荷台に家を建てて、クレアとWin-Winな感じで寄りを戻すのではないか、と予想している。

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 ちょっとそれは冗談も半分入っているが、にしても、本作のラストには、「え?いやマジで次どーすんの?」という疑問を禁じ得ない。現実問題として、たぶん恐竜を再びどこかの孤島に隔離することはないのではないだろうか。とはいえ、"恐竜自然保護区"みたいな場所を離島ではなく本土に作って、それでめでたしとなるだろうか。まぁ、ある意味それが落としどころかもしれないが、筆者は、本作で繰り返し登場した"恐竜は馬や牛みたいなもんだ"という例えに着目したい。筆者の記憶によると、そのような例えが台詞として出てきたのは少なくとも二回。一回は、イーライがグンナーを説得するときに言った「古来より人は馬や象を戦いに使用してきた。恐竜も同じだ。」という台詞。そして、もう一回は、ブルーへの輸血用血液を調達するためT-REXの檻で四苦八苦するクレアにオーウェンが言った「牡牛だと思って乗ってみろ。」というアドバイス。その後、クレアは実際にT-REXにまたがる。さらに、どのくだりか忘れてしまったのだが、割と終盤で、屋敷の馬の置物がけっこう意味深にフィーチャーされるシーンもあった。これらは、もしかしたら、次作のなんやかんやの末、恐竜はまるで馬や牛のように人間と真に"共存"する生き物となり(もちろん、野生のライオンやキリンやサイのように人の管理外で生きる"猛獣"となる恐竜もいるだろう。)、どこぞの子供がトリケラトプスの子供あたりにまたがって遊んでいるシーンで終幕、なんてことになる、かもしれない。

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 あぁ、最後に本作の邦題について。原題『FALLEN KINGDOM』に対して『炎の王国』って、これはもう『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス』以来の邦題史に残るクソ邦題であろう。だって、作意丸つぶれもいいとこじゃないか。"王国"は崩壊したんだよ。それは、中盤までは"我が家"を失った恐竜たちのことであり、しかし、ラストで実は古代の"王"たちとの"共存"、あるいは、もしかしたら"対決"をも覚悟しなければならなくなった現代の"王"たる人間の"王国"が崩壊の危機に瀕している、という意味でもある。それが"炎の王国"って何? そんなん予告編だけ観ても付けれるわ。っていうか、むしろ本編観てたらそんなクソ邦題付けへんやろ。『リーサル・ウェポン2 / 炎の約束』やん。もしくは、『炎のゴブレット』か。俺たちが愛した"王国"との別れを惜しむべき作品に泥を塗ってくれた担当者は、いち早く邦題決定業務からさよならしてもらいたいと思う。

点数:90/100点
 興奮冷めやらぬまま駆け足で書いたので、山のような見落とし、書き漏らしがあると思う。それはまた、沸々と溶岩のように沸いてきたら追記していくとしよう。っていうか、ここまでダーッと書いて初めてRotten Tomatoesをチェックしたのだが、評価めちゃくちゃ低いんだな。批評家も一般観客も50%くらいしかないじゃないか。うーむ。やっぱり、こんなことしたらもう『ジュラシック・パーク』ちゃうやんけ!って、みんな思ってるのかしら。まぁ、筆者に関しては、それは既に前作でインドミナスが登場したときに思っていたわけで、そこを咀嚼した上で観れば、本当に挑戦的でおもしろい作品だったと思うんだけどな。たまたまだとは思うけど、エンドロールが終わったらすかさず配給会社のPERFECT WORLD PICTURESのロゴが出て、次にUNIVERSALのロゴの地球が出るのも、おぉ!なんか"ワールド"!って感じで鳥肌だったし…。"字幕 戸田奈津子"で肝を冷やしたけど、今回は特に気にならんかったし…。やっぱ『最後のジェダイ』方式はダメなんですかね…。いずれにせよ、俺たちが青春をかけて愛した『ジュラシック・パーク』は、本作を以て終了した。個人的にはまだまだ楽しみではあるものの、とりあえずは、こう言わせてほしい。本当にありがとう。そして、さようなら。

(鑑賞日[初]:2018.7.15)
(劇場:MOVIXあまがさき)

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Mr.Alan Smithee
Posted byMr.Alan Smithee

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