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キャッチコピー
・英語版:unknown
・日本語版:私が好きになった人は、"おおかみおとこ"でした。

 未来へ続く、この"道"を。

三文あらすじ:東京郊外の大学に通う花(声:宮崎あおい)は、狼の血を引く"狼男"(声:大沢たかお)と恋に落ちる。共に暮らす二人の間に生まれてきた子供たち、雪(声:黒木華)と雨(声:西井幸人)は、人間と狼の二つの顔を持つ"おおかみこども"だった。そんな彼らの幸せな日々は長く続かず、事故で夫を失った花は、人目の少ない田舎で子育てに悪戦苦闘するのだが・・・


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 前回は、本日から最新作『未来のミライ』が公開されている細田守監督『バケモノの子』について、やや不満めいた感想を書いた。俺たちが期待しているのは"ジブリ的"で"真っ当"な冒険譚なのであって、『バケモノ』は期待外れ。そんなおこがましい感想を持ったわけである。設定的には天元を往く冒険譚だった『バケモノ』でさえそうなんだから、シングル・マザーと子供たちのしっとりしたメロドラマなんかに期待できんや? どうせ「わー、絵がキレー!」なんでしょ? どうせ「やー、泣けるわー!」なんでしょ? そんな風に侮りながら、筆者は本作を鑑賞した。するとどうだい。観てもいないのに勝手におごり高ぶって作品を下に見るのなら、こんな目などえぐり取ってしまえ。でも、やっぱり嫌だ。せめて自分の命が尽きるまで、あと100回は本作を観返したいから。というくらい筆者はぶちのめされた。本作『おおかみこどもの雨と雪』は、本当に本当に大傑作だと思う。

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 作画の美麗さや動きの楽しさは、言わずもがな。細田作品に通低する"家族とは何か?"というテーマや、"現実とシームレスな異世界"も健在。最終的に雨が去ってしまう"野生の世界"は、花の家のすぐ裏手、すなわち、彼女らの生活圏内にある。そもそも花は大学の講堂というゴリゴリの"日常"の中で"オオカミ"に出会ったのだし、彼女が育てる"おおかみこども"という"異世界"は、あまりにも我々の"現実"とシームレス過ぎるから隠さなければならない、という存在だ。その一方でおもしろいのは、逆に子供たちの変身は、なぜかシームレスではないという点。ムニムニと耳が生えたり、ニョキニョキと鼻が伸びたりするのではなく、彼らはコマとコマの間の一瞬でポコンッ!と変身する。1981年の『ハウリング』や『狼男アメリカン』以降、実写映画では異形へのシームレスな変身が模索されてきた。昨今では、CGを用いて流れるような変身描写が可能である。この点、アニメならもっと簡単で効果的にシームレスな変身を描けるはずなんだ。でも、本作は、敢えてそれをやらなかった。

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 ここにどんな意味を見いだすことができるか。もちろん、単に子供がヌルヌルと獣に変身するビジュアルはちょっとグロテスクに過ぎるため、それやっちゃうと軸がブレる、なんて現実的な理由もあるのだろう。しかし、我思うに、雨と雪の変身がシームレスでないのは、未だ彼らの中では"狼"と"人間"が別個に存在しているからである。つまり、雨も雪も、まだ狼としても人間としても、どちらの生き方も選択できる段階にあるということだ。一方、実は本作には一ヶ所だけシームレスな変身シーンが存在するのだが、それは、花の旦那(当時は彼氏。…ん? そういやアイツら、法的に"結婚"してんのかな?)の狼男が、初めて花にその真の姿を見せるシーン。もちろん、ここは逆にグロテスクを強調するべきシーンでもある。巷ではブツクサと議論されている"半獣形態でセックスする意味"も自明。花は、見るもおぞましい"バケモノ"をそれでも愛した。この事実を欺瞞なく伝えるためには、グロテスクかつ"リアル"な狼男でまぐわわないと意味がない。

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 それプラス、筆者は、狼男がシームレスで変身するのは、彼がもはや"狼"でもなく、"人間"でもなく、"狼男"としてしか生きられない、ということの象徴でもあると思うのである。確かに、「しか生きられない」っていうか、その生き方こそが"正解"じゃないのか?って感じもする。通常なら、自身の"異形"な部分を受け入れ、半端でもありのままの自分でもがき続ける方が美しい。しかし、本作はそうじゃないと思うんだ。ポイントは、「看護師でも、教師でも、パン屋でも。好きな職に就かせたいなぁ。」という狼男の台詞。終盤では、「雪も雨も自分の "道 "を歩き始めてる。望んでいたことのはずなのに。どうしてこんなに不安なんだろう。」という花の葛藤もある。つまり、本作における"狼属性"は、例えば"障害"とか、例えば"出自"みたいなディスアドバンテージのメタファーとはちょっと違って、自らが選ぶ"道"(生き方)を象徴しているのではないだろうか。シームレス変身が描写された狼男氏は、迷いながら決断できず、結果"狼"と"人間"が不可分に入り交じった中途半端(だからこそ、孤独)な存在になってしまった。でも、子供たちには、自らが信じる"道"を歩んでほしい。そんな願い。

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 ここからは少し妄想だが、タイトルである『おおかみこどもの雨と雪』って、なんだか違和感を感じないだろうか。そう、"雨と雪"という順番である。二人の子供の出生順なら、当然"雪と雨"となって然るべきだ。やっぱり長男から先に記載するのが我が国の伝統で……って、そんなしょーもないことを細田氏がするとでも? 筆者の妄想はこうだ。先述の通り、雨と雪の中ではいまだ"狼"と"(人間の)子供"という属性が、別個独立に併存している。そこで、タイトルの"おおかみこども"も、"おおかみ""こども"に切り分けてやるのである(ポスター・デザインも"おおかみ"と"こども"の間で改行してるし。)。そうすると、その後の"雨と雪"という順番は、至極当然。すなわち、二人が最終的に導いた決断の通り、"おおかみ"="雨""こども"="雪"なのである。え、でもじゃあ、『こどもおおかみの雪と雨』でもよくない?って思わなくもないけど、"こどもおおかみ"じゃあ単なる子供の狼というニュアンスになっちゃうから、本タイトルの順番が、やはりベストなのである。

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 さて、前作『バケモノの子』では、もういっそ杜撰とも言いたくなるクライマックス・バトルに筆者は酷く落胆した。一方の本作におけるクライマックス。これはもう、ただただ絶句し、号泣し、その後に声を枯らして遠吠えをあげるべき圧巻のシークエンス。派手な銃撃戦は無い。驚愕のどんでん返しも、ドリ肌を立てるべき漢の口上も無い。でも、そこには、あまりにも正しく、そして、あまりにも上手い、真の"映画的表現"がある。『バケモノ』には「大事なことを敢えて台詞にする」というコンセプトがあったそうだが、映画に限って言えば、それは基本的には間違った考えだ。"映画"は"MOVIE"である。画(え)動きでこそ想いを伝える芸術である。きっと細田氏は、そんなことなど百も二百も承知だろう。『バケモノ』でクドクドと無用かつ不細工な台詞説明を繰り返したのは、本作を観たバカモノ共が「なんかよう分からん。」とかほざいたからに違いない。

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 本作のクライマックスが素晴らしいのは、画で説明するための象徴的ギミックが美しく配置されており、その上、いくつかのギミックが物語上の展開や舞台設定を成立させるための機能的な役割をも同時に果たしているからである。例えば、クライマックスの開幕を宣言する豪雨。これはもちろん、狼としての"道"を選びつつある雨からほとばしる押さえきれない熱情を象徴している。しかして、この豪雨は、単なる象徴として物語から浮き上がった張りぼてではない。豪雨によって雪らの小学校は午後から休校となり、子供たちがお迎えまでの待機を余儀なくされる中、雪は草平くん(声:平岡拓真)と二人きりになる。ご存知の通り、これは、雪が人間としての"道"を真の意味で決断する本作最重要の舞台だ。

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 では、雪は如何にして"道"を選ぶのか。ここの演出がもう本当にシビれる。花は山に消えた雨の捜索で迎えに来られない。草ちゃんの母親は、再婚相手の子供を身籠っており、草ちゃんのことなどアウト・オブ・眼中なので迎えに来ない。確かに、体育館に二人のカバンが放置されているのに、先生たちがそれを無視して帰っちゃうかい?という突っ込みは可能だが、それでも、二人だけが校内に取り残されるためのお膳立てはちゃんとあるわけだ。そして、雪は、遂に告白する。"幼い"あの日、草ちゃんを傷付けた内なる"猛獣"を露にする。おもむろに教室の窓を開ける雪。叩き付けるように吹き込む雨と強風。ヒラリと舞うカーテンが彼女を一瞬隠し、次にその姿が現れるとき、我々は恐怖と勇気の間で格闘する半獣の少女を目撃する。

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 真の姿を現すとき、人は"ベールを脱ぐ"などと表現するが、ここのカーテンはまさに雪の恐怖と勇気と、もしかしたら恥じらいをも象徴するベールだ。また、これはある意味で雪が"全裸"になるシーンとも言えるが、ヒラヒラと舞うカーテンは、恥じらう裸婦が纏う衣服にも見える。更に注目してもらいたいのは、カーテンがその姿を隠す度、人間から半獣へと形態を変化させていた雪が、草ちゃんの「だから、もう泣くな。」という漢気20,000%の台詞の後にはその直後と同じく人間のまま、という点。雪は、このとき、やっと本当の意味で人間として生きる"道"を選択できたのである。ちなみに、筆者は最初、んー…とはいえ、そもそも雪がいきなり窓を開けたのはご都合主義的だよなぁと思ったのだが、それは愚か者の考えだ。これもまた象徴。すなわち、雪は、このまま一生ここに閉じ籠っていたいとすら思える安全で閉じた空間から、まるで嵐の渦中のように過酷な"現実"、あるいは"未来"に一歩を踏み出す覚悟を決めたのである。

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 一方の雨パート。こちらは、雨と花の対峙を通して、主に花目線からの"子離れ"が描かれる。豪雨の中、雨は去り、後を追って山に分け入るも滑落し意識昏倒する花。ここで花は夢を見るが、その中で遠くの雨の影が狼男氏に変化するという描写は重要だ。すなわち、去ってしまう雨に花や我々が胸を引き裂かれるのは、なぜか。それは、愛する者を失ってしまうからに他ならない。しかも、早すぎるんだ。往々にして親はいつまでも子を子として認識したままだが、子供は知らぬ間に大人になっている。だから、いざ自らの"道"を歩き始める彼を見て、我々は「え…。いつかそのときが来るとは分かっていたけど、早すぎるよ!」と感じるのである。これは、花が雨に対して言う「だって…私まだ、あなたに何もしてあげられてない…。」という台詞にも顕著だ。ここでポイントなのは、実のところ、"子離れ"、しかも本作での雨と花のように一度"道"を違えてしまえばもう二度と会えないようなパターンの"子離れ"は、愛する者の死と同義だということである。だからこそ、花の夢に出てきた雨の影は、狼男氏に変化するんだ。

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  しかし、雨は教えてくれる。「それは違うよ。」と。「まだ何もしてあげられてない。」という母の言葉を聞いた雨は、力強く山を駆け上がり、高らかに咆哮してみせる。雨はもう子供じゃない。中途半端な"狼男"でもない。立派な"狼"だ。まるで彼の遠吠えが霧散させたかのように、雨雲が晴れる。日の光に照らされ、堂々と金色に光輝く狼。違うんだ。雨は死んでしまうんじゃない。花と狼男氏が望んでいた通り、自分が本当になりたいものを見つけ、しっかりと自らの"道"を歩み始めた。彼は語らない。狼は、ぺちゃくちゃクドクドと説明したりはしない。でも、「俺は大丈夫だよ、母さん。」 彼は、確かにそう言っている。だから、花はこう叫ぶんだ。

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「しっかり生きて!」


 号泣でしょ、これは。"雨"は去ってしまったけれど、雨上がりの世界は希望に輝いている。そんな象徴的な描写も最高。雨は一見して子供だが、実は狼としての10歳は既に大人という観点。これも最高。狼というガジェットが、親が子に対して抱く普遍の"子供視"への反論として、およそ考えられないほど上手く機能している。それから、その後のエピローグ。ここも素晴らしい。本作のエピローグとして我々が予想するのは、冒頭から語り部として回想の形式でのナレーションを担当していた雪の"現在"の生活であろう。ここでの"現在"というのは、本編の時勢からはずっと未来のことである。大学生になって東京に戻ってきた雪とか、もっと欲を言えば、草ちゃんと見事に結ばれ、今度は自分が母になったおばさんの雪とか。そんなのが、まぁ常套ですわな。

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 しかし、細田氏が本作の締めくくりとして選んだのは、雨の咆哮からほんの少しだけ先の未来だった。これはなぜか。たぶんだけど、細田氏の中の"未来"は、やっぱり『時かけ』なんだよ。つまり、未来は、都合よく"リープ"して垣間見るものではない。ちゃんと走って、地道に辿り着くもんだ。だから、彼は、現在から未来への大幅な"ジャンプ・カット"を認めないのだと思う。田舎に残った花の幸せとか、山の主となった雨の今後とか、無事に夫婦となった雪と草ちゃんの"ケモナー"大歓喜のセックスとか、そういった未来は、我々が各々で綴っていくんだ。ヤバい。『バケモノ』を観たときは、うわーやっぱ『未来のミライ』やめて『BLEACH』観に行こっかなー、なんて思ったが、細田氏が再び原点とも言えるタイムトラベルものを描くのなら、これは走ってでも観に行くしかない。

点数:90/100点
 というわけで、トンチンカンな妄想も含まれた感想ではあったが、とにかく筆者は、本作を観て深夜に一人で大感銘を受け、号泣した。『バケモノ』は、本作に対する一部の不満を受けて、敢えて"大衆向け"にしただけだったんだな、きっと。ちなみに、本作に対して「花が聖母過ぎて乗れない。」なんて批判する人の考えが、筆者には全く理解できない。この点については、宇多丸師匠も評の中で反論していたが、人間のダメさ愚かさをこそ見たいんだよ!という人は、もうラース・フォントリアー作品だけ観とけよ。もちろん、そういった作品にも大いに価値がある。でも、いつの時代も変わらない"強さ"や"正しさ"や"希望"を見せるのも、確実に映画の果たすべき役割だ。押し付けちゃいないよ。そういう"道"もあるってことさ。たぶんね。

(鑑賞日[初]:2018.7.18)

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Posted byMr.Alan Smithee

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