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キャッチコピー
・英語版:If The Signal Dies So Dies She
・日本語版:見知らぬ部屋。見知らぬ男たち。最後の望みは、電話の向こうの見知らぬ人。

 いつか、あたりまえになることを。

三文あらすじ:高校の生物教師であるジェシカ・マーティン(キム・ベイシンガー)は、愛する夫クレイグ(リチャード・バージ)と11歳の息子リッキー(アダム・テイラー・ゴードン)と共に幸せな生活を送っていた。ところが、そんなある日、突然押し入ってきた不審者に拉致されてしまうジェシカ。見知らぬ邸宅の屋根裏部屋に監禁された彼女は、粉々に破壊された電話をなんとか修理して助けを呼ぼうとするのだが、奇跡的に繋がったのは、見ず知らずのおちゃらけた青年ライアン(クリス・エヴァンス)の携帯電話だった・・・


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 平成最後の夏を締めくくるべく昨日9月7日(金)から封切られた、みんな大好きサメ映画の最新作『MEG ザ・モンスター』。150万年前に絶滅したはずの巨大鮫メガロドンがまだ生きていて…という身も蓋もないほど正統的なモンスター・パニック映画なのに、先んじて公開された諸外国ではこれが予想外にバカ当たりしてるみたいなんだ。というわけで、今回は、同作では主演をはっているみんな大好きジェイソン・ステイサムが悪役を演じた2004年(日本では2005年)の作品『セルラー』の感想を書く。

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 これは個人的に極めて思い入れの強い作品。2004年辺りといえば、携帯電話なる文明の利器が広く一般人に普及し始めてから既にいくらかの月日が経っており、普通の中高生なら持っていてもおかしくはない、という時期だった(もちろん、携帯電話自体は80年代から存在し、厳密にはその頃が黎明期である。とはいえ、広く一般に普及し始めたのは90年代半ば以降、こと筆者が生まれ育ったような田舎では、世紀末辺りになってやっとみんなが持ち出した。)。しかし、遅咲きの筆者が携帯電話の携帯を許可されたのは、随分遅れた高二の終わり頃。2004年の秋とかだったかな。そんな折、まさに"携帯電話映画"と言うべき本作が公開されたのである。当然筆者は、「ハイハイ!僕も携帯持ってます!」と、本作にかじりついたわけだ。

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 まぁ、そんな私的郷愁を抜きにしても、本作はやはり携帯電話黎明期だからこその意義を有した"携帯電話映画"なのだと思う。これは、本作の原案を担当したホラー・スリラー界の巨匠ラリー・コーエンの前作を見ても明らかだ。すなわち、彼が脚本を手掛けた前作とは、コリン・ファレル主演で2003年に公開された『フォーン・ブース』。全編に渡り電話ボックスに閉じ込められた一人の男が七転八倒するという同作は、携帯電話の登場まで我々が当たり前に利用していた公衆電話をフィーチャーしていた。そして、主人公であるスチューは、ラストで無事に救出され、電話ボックスを後にする。つまり、ここでラリー・コーエンは社会と公衆電話との"離別"を描き、続く次作で新たなる通信デバイスたる携帯電話との"出会い"を描いた、と言えるのである(むりやりそう解釈すればね。)。

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 そんな本作をだいたい15年ぶりに観てみて、筆者は「ああぁ!なんか "90年代っぽい "なぁ!」と感じた。もちろん、この表現は厳密に正しくはないだろう。だいたい本作が公開されたのはとっくに2000年代だし。でも、筆者がガキの頃観ていた映画たちって、本作みたいに"冷静に考えりゃ不謹慎"な作品が多かったイメージなんだよな。つまり、本作のエヴァンみたいに"他者を救うためなら何をしてもいいスピリット"の主人公がたくさんいたということ。例えば、『スピード』でキアヌ・リーブスがレゲエおっさんのオープンカーを奪うくだりとか。いつ爆発するか分からんバスを追うのだから仕方なかろうに!って理屈に我々はなぜか納得させられるのだが、よくよく考えてみれば、ありゃ酷い話だ(だからこそ次作では天丼のギャグにもなっている。)。

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 本作のエヴァンは、ジャック・トラヴェンより酷い。なんせ彼はただの一般人なんですから。それなのに、彼は小学校から車をパクッたり、携帯ショップで銃を振り回したり、弁護士の高級車をパクッてボコボコに乗り回したりする。この明らかに行き過ぎた緊急避難ぶり。しかも、これに対する正当性の付与がけっこう雑なんだ。一般人であるエヴァンがなぜこんな大冒険を繰り広げなければならないのか。発端は、囚われのジェシカと繋がったのがたまたま彼の携帯だったという奇遇。ここは、本作のテーマに沿った納得の出だしである。しかし、携帯を警察署に持っていくも窓口にいたムーニー巡査部長(ウィリアム・H・メイシー)に取り合ってもらえず、たらい回しにされて4Fに向かう途中で電波が弱くなったから渋々引き返すというのは、いかにも杜撰。

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 確かに、すぐ電波が入らなくなるというのは、携帯電話黎明期を過ごした我々にとって「あったなぁ。」と思える懐かしポイントなのだが、例え4Fの強盗殺人課に行けなくても、また違う警官に頼むとか、1Fでの容疑者の暴動が収まってからもう一回ムーニーに話すとか、やり方はあるんじゃないか。ここが、本作において最大のご都合主義ポイントであろう。その後、バッコンバッコンとエヴァンが暴れまわるのだが、その点に対する個々のエクスキューズがまた当時にありがちな無神経さ。一番酷いのは、車を奪われる"ウザい弁護士"である。演じるリック・ホフマンさんの名演によって、我々は「オッケー、こいつならいいよ。」なんて思っちゃう。むしろ「やったー!天罰だ!」くらい思いかねない。でも、別問題だよな? 仮に彼が弱者から搾取する悪徳弁護士だったとしても、エヴァンに愛車を奪われる筋合いはない。

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 …なんだけど、これはやっぱりこれでいいんです。一昔前の"映画内リアリティ"って、こうだったんです。"マザコン"、"横柄"、"顔がイケすかない"、そして"弁護士"。これだけの要素が揃っていれば、もうソイツは"悪者"。それが、90年代のノリってもんだ。しかも、全体としては、やっぱり見事に理論&感情武装されていたりもする。例えば、囚われのジェシカが犯人の一人を殺っちまうくだり。押し倒されて割れたガラス片をとっさに掴み、シュパッ!と切りつけるジェシカ。左腕の切り傷に刹那驚くも、「ヘヘっ!かすり傷だぜ!」と余裕の悪漢。しかし、彼は倒れ込む。ここでジェシカの一言。

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 「生物で習うわ。一分で30リットルの血液が流れる上腕部の動脈を切ったのよ。」


 おお~…だから生物教師ってキャラ設定だったのか…。なんだこの唐突な説得力は…。まぁ、だからといって、彼女が粉々の電話を修理できる理由は依然不明なんだけどさ。他にも、今やキャプテン・アメリカとしてスター街道ばく進中のクリス・エヴァンス。彼が演じることで、エヴァンというキャラクターは"主人公"としての説得力を保てている。先述の通り、この男のすることはめちゃくちゃなんだ。でも、若き日のクリス・エヴァンスには、既に確固たる"主人公感"が漂っている。よって、理屈じゃ分かっていても、やっぱり「警察なんかどうでもいい!彼にこそ頑張って欲しい!」と思えるようになっている。加えて、彼をチャラ男気味なんだけど元カノを忘れられないボンクラに設定したキャラ造形も見事。これは感情移入せざるを得ない。

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 それから、ラストで敵のボスたる我らがステイサムをやっつけるくだり。ここも最高。まぁ、今や"馬鹿アクション俳優"の筆頭となったステイサムが出てきた瞬間から、なにやら辺りに"B級感"というか、"安さ"というか、"軽さ"というか、そんな雰囲気が漂ってしまうのはもはや避けられない。それでも、ボートハウス内でエヴァンやムーニーを圧倒する彼の身のこなしと凄みは、やはり一級のアクション俳優のそれ。ムーニーの背後にステイサムが迫る! これに気付くも、片足を撃たれて動けないエヴァン! どうする…。どうやってムーニーに危機を知らせる…。そうだ! で、エヴァンは、ステイサムの携帯に電話を掛けるのである。突如ピーピコ鳴り始めた内ポケットにステイサムが驚いた刹那、ムーニーの銃弾が彼を貫くのであった。

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 "携帯電話映画"として、この"勝つ理屈"は本当に最高だよな。まず、やっぱり肉声ではダメなんだよ。ステイサムの頭の片隅には、同じ空間に手負いのエヴァンがいるという事実が刻み込まれている。そこでエヴァンが「後ろだ!」なんて叫んでも、ステイサムはムーニーから目線をそらさず、ムーニーの振り向きよりも早く引き金を引くだろう。しかし、携帯電話が鳴ったらどうだ? ここでポイントなのは、当時はまだ今ほどは携帯電話というものが当たり前ではないという点である。殺しのプロでさえ着信音に驚いてしまうというギミックは、まさに携帯電話黎明期を象徴した抜群のクライマックスなのだと筆者は思う。

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 更に邪推を広げていけば、本作からは、携帯電話って確かに弊害もあるけど、ちゃんと使えば最高のデバイスだよ!というメッセージも読み取れる。携帯電話の本質は、いつでもどこでも、特定の個人とピンポイントで繋がることができるという点だが、時としてそれは不特定の個人だったりもする(今でも"斎藤さん"とかあるでしょ。)。そして、たまたま会話したソイツが良いやつだとは限らない。ステイサムみたいな悪人かもしれないしな。でも、同時にエヴァンみたいなあなたにとっての"ヒーロー"と繋がる可能性だってある。本作とほぼ同時期に日本では『着信アリ』という"携帯恐ぇぞホラー"が公開されているが、本作はそれとは違い、黎明期だからこそ携帯電話の希望的側面をポジティブに描いた秀作なのである。

点数:84/100点
 ちょっと誇大妄想的拡大解釈も交えてしまったが、その出生の瞬間に立ち会った我々としては、後世に自慢すべき傑作携帯電話映画であることは、間違いないと思う。今じゃ携帯なんて当たり前だけど、始めて買ってもらったあの日は本当にうれしかったよなぁとか(舞い上がった筆者は夜通しいじり倒し、一晩でパケット代が1万円を越えたことで親に大目玉を食らわされた。)、あぁ、今じゃ当たり前だけど、ステイサムってあの頃はまだ"勢いある若手感"あったよなぁとか、そんな郷愁と共に観直してもらいたい。

(鑑賞日:2018.9.4)

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Mr.Alan Smithee
Posted byMr.Alan Smithee

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