[No.531] マスタング・アイランド(Mustang Island) <70点> 【ネタバレ感想】

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予告編:unknown

キャッチコピー
・英語版:unknown
・日本語版:unknown

 それが、"大人の主人公"ってもんさ。

三文あらすじ:大晦日に恋人モリー(モリー・カラスチ)にフラれたビル(メイコン・ブレア)は、どうしても彼女のことを諦め切れない。彼女を追って季節外れの海辺の町マスタング・アイランド(Mustang Island)を訪れるビル。予期せぬ複雑な事態に陥ってしまうことなど、知る由もなく・・・


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 ちょっと前に『ぼくらと、ぼくらの闇』という良作を勧めてきた偏屈な友人が再びオススメしてきた白黒の恋愛映画。主人公ビルを演じるメイコン・ブレアさんは、確か『グリーン・ルーム』でボスの腰巾着を好演していた人だが、監督であるクレイグ・エルロッドさんを始め、その他スタッフ、キャストは全員ほぼ無名の小品である。ところが、これが中々良い。Rotten Tomatoesでも観客から80%の高評価を得ている。特に筆者は、これは日本のおっさんおばはんこそ観るべき良作なのではないか、と思った。

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 日本の映画とか漫画とかアニメとかって、とかく思春期の少年少女が主人公の作品が多い。西洋でも古来より『グーニーズ』みたいなジュブナイル冒険譚があったり、『スタンド・バイ・ミー』みたいなジュブナイル成長譚があったりする。最近だと、『ストレンジャー・シングス』やリメイク版『IT』なんかも大ヒットしたしな。でも、それはあくまでまだ無垢な小学生くらいの男子女子の物語であって、もう少し上の日本で言うところの中高生が主人公である作品は、まぁ大抵が"中高生向け学園コメディ"である。

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 一方の日本は、確かにドラマなんかだと多くは社会人のイザコザだったりするものの、ことバシバシ宣伝が打たれる大作映画ともなると、すぐ中高生主人公ものになっちゃう。大人、しかも、心技体そろったおっさんやおばはんが主人公だとどうなる? "不倫もの"ですよ。最近の流行りだと、"不倫もの"の要素が中高生ものに取り込まれた"教師と生徒の禁断の愛もの"ですよ。なんでそうなる? なぜおっさんやおばはんの恋愛は、いつだって禁断のそれでなければならない? それってさ、やっぱりみんないい歳こいて恋愛するのは間違ってるって思ってるんじゃないの?

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 そんなことないよ。本作のビルを見てみればいい。しがない。ヨレヨレ。チビで小太り。でも、奴はあたかも自分が恋愛映画における平均的主人公かのように振る舞う。ボンクラおっさんキャラにあるまじき二股なんかも、平気でやっちゃって、あたかも二十歳そこそこの若造であるかのように悩んだりする。だから、始めの内はちょっぴりイライラするんだ。けれど、それが観ていく内にだんだんカッコよく思えてくる。終盤のショットなんか、一瞬ロバート・ダウニーJr.に見えたりして。

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 そうなんだよ。別にイケてないおっさんだって"主人公"になれるんだ。我が国のおっさんたちも、もっと"主人公"になっていい。我思うに、日本で中高生主人公ものが重宝されるのは、歳くったら"主人公"になれないという"常識"の裏返しなんだと思う。一夏の大冒険や甘酸っぱい恋は、全てモラトリアムにのみ許された特権で、既に大人になった者が"主人公"になるには、その不正を前提とした反倫理的フォーマートに乗っかるしかない。それは寂しすぎるよ。

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 いい歳こいたおっさんが真剣に恋愛するのはダサいけど、でもそこにも輝きがある。いや、そうじゃない。いい歳こいたおっさんが真剣に恋愛するのは、ダサくないんだ。まだ結婚してないなら、ハンフリー・ボガードみたいに、グレゴリー・ペックみたいに、恋の大冒険を繰り広げればいい。もう結婚してるなら、いっそスーパーヒーローになっちゃえよ。トニー・スタークだってゴリゴリのおっさん……というか、既に初老だろうに。みんな子供に媚びすぎだ。大人こそがカッコいい、大人こそが楽しい、大人こそが"主人公"なんだって、堂々と見せつけてやらないと、子どもが大人に憧れないのも当然だと思う。

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 話がそれた。本作は、まぁそんな感じで等身大のおっさんたちが"年甲斐もなく"恋する様をキュートに、しかし、真剣に描いた真っ当な恋愛映画である。主人公の魅力は先述の通り。脇を固めるキャラクターも素晴らしい。例えば、友人の一人であるトラヴィス(ジェイソン・ニューマン)は、『ノッティングヒルの恋人』のスパイクさながらに笑いをかっさらっていくし、主人公の弟であるジョン(ジョン・メリマン)が体現する"でくの坊の哀愁"はスゴい説得力。主人公がその間で揺れる二人のヒロイン、モリーとリー(リー・エディ)も、とっても良い。決して正統的な美人ではない。むしろ、可愛くない…と思う人も少なからずいるだろう。でも、チャーミング。なにより、主人公にとってちゃんと分相応なんだ。

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 分相応って大事なことだよ。それは、決して諦めでも、ましてや負け惜しみでもない。分相応ってのは、自分の身の丈に合っているということであり、その選択・判断は、自分がどんな人間かをちゃんと理解できている本当の大人にしかなし得ないものだからである。その点、本作のモリーとリーは、ビルにとってバッチグー。元カノであるモリーは、あくまでビルがちょっと背伸びすれば付き合えるかもくらいのルックス。対するリーは、やはりいわゆる銀幕スターの平均からすればとても美人とは言えないが、モリーに比してより自然体な女性である。

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 両者とも、おそらくは心にコンプレックスを抱えた女性である。まぁ、コンプレックス無き女性(あるいは、人間)などこの世にいないが、モリーについては、なんか若干無理してるっぽいキャピキャピさとか、ヒステリーを起こしてはすぐ「ごめんねアイラブユー」と態度を翻すそのメンヘラ具合に、秘めたる劣等感が現れているように思える。一方のリーは、確実にその高身長がコンプレックスである。これは言い切っちゃう。なぜなら、筆者はめちゃくちゃ背の高い女性をすごく身近に知っているからである。悩んでるぜ、彼女は。

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 もちろん、リーには、マスタング・アイランドという"陸の孤島"でしがなく歳を重ねた自分への惨めさや燻(くすぶ)りの気持ちもあるだろう。それでも、彼女は、あくまでモリーと比較するなら、よほど自分の人生を受け入れ、自然体で生きているように見える。この点が、ビルにとって分相応、有り体に言えばお似合いなのである。新年明けましての瞬間にフラれたおっさんが、元カノとよりを戻すべく訪れたマスタング・アイランド。しかし、彼はそこで本当の自分を確認し、本当に分相応なお相手を見つける。つまり、マスタング・アイランドとは、"本当の自分"のメタファーであり、親の別荘に遊びに来ただけの"部外者"たるモリーは、始めは彼女同様ストレンジャーだったものの、今や"本当の自分"を見付けたビルにとって、分不相応な相手というわけだ。

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 この点を端的に象徴すべくオープニングと対になったラスト・カットも、とっても良い。オープニングは、ビルをフッた瞬間のモリーの顔。対するラスト・カットは、ビルの愛の告白を受け止めるリーの顔。プンスカとお決まりのヒステリーを起こしているモリーの表情とは違い、リーのそれは、喜びと安堵と、しかし同時に悲しみや迷いもたたえているように見える。ままならないんだよ。割り切れないんだ。それでも、いつの間にか"大人"と呼ばれ始めた俺たちは、そんな曖昧さも含めて己を規定する。それが、"大人の主人公"ってもんさ。

点数:70/100点
 あと、モノクロっていうスタイルも、ちゃんと意味のある良い選択だと思った。つまり、見た目通り一枚フィルターがかかっている、というか、登場人物たちを客観的な視点で見るための仕掛けなんじゃないかな。いわば『アメリ』で用いられた"第四の壁越え演出"みたいなもんでさ。自分を客観視するってのも、本当の大人になるためには必須のスキルだ。悩みも後悔も含めてしっかりと己を規定し、自分の身の丈に合った"マスタング・アイランド"を見つける。そんな大人に、なれているだろうか。

(鑑賞日[初]:2018.9.2)

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