[No.573] エル(ELLE) <87点> 【ネタバレ感想】

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キャッチコピー
・英語版:unknown
・日本語版:犯人よりも危険なのは "彼女 "だったー。

 人生、ケ・セラ・セラ。

三文あらすじ:自宅で何者かに暴行された女社長ミシェル・ルブラン(イザベル・ユペール)。しかし、彼女は、警察に通報せずに犯人を探し始める。駆け引きや妖艶な魅力で暴行犯を追う彼女は、次第に秘められた本性をあらわにしてゆく・・・


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 本作『エル』は、オランダの鬼才ポール・バーホーベン監督による2016年の作品である。バーホーベンと言えば、シビアなエロとゴアによって世の欺瞞を剥ぎ取りつつ、しかして(むしろ、だからこそ)、しっかりとエンターテイメントであったり人間ドラマであったりを叩き付けてくる、俺たちボンクラにとってのスーパースター。『ロボコップ』、『トータル・リコール』、『氷の微笑』、『ショーガール』、『スターシップ・トゥルーパーズ』、『インビジブル』などなど…。90年代に少年期から青春期を過ごした筆者世代の映画ファンであれば、この内の少なくとも一作は、自身の映画人生、いやさ、その人格形成上、やんごとなきトラウマ、または、忘れ難きバイブルとして、深く突き刺さっていることであろう(筆者はやっぱり『スターシップ~』だなぁ。)。

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 そんなバーホーベンの現状最新作が本作なのだが、これが案の定、公開されるや否や賛否両論を巻き起こした。まぁ、これは当たり前のことだ。バーホーベンは、一貫して、人間の本質、世界の真の姿を暴き続けてきた。今回は、それを"女性"という近年最もセンシティブなテーマでやってみせたのだから、そら怒り狂う人は怒り狂うだろう。舞台の幕が上がり、主人公ミシェルが登場したとき、彼女は既に覆面の暴漢にレイプされている。これはあらすじからも当然予想されるオープニングである。"普通"の物語なら、ここから彼女はその事実に苦しみ、葛藤の中で真相究明に奔走するだろう。あるいは、バーホーベンが変態監督だという事実を聞きかじっている者なら、『発情アニマル』のようないわゆる"レイプ・リベンジ・ムービー"を期待するかもしれない。

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 第二幕あたりまでは、確かにその通り。一体全体あの覆面レイプ魔は誰なのだ?というミステリー的な縦軸で興味を牽引していく。しかし、本作で真に注目すべきは、より細かなディティールだ。ミシェルという一人の中年(というか、初老)女性の一挙手一投足。アカデミー賞にもノミネートされたイザベル・ユペールが、本当にとんでもなく素晴らしい。こういう人、いそう。っていうか、おる。特にヤバいのは、「ふん?」みたいに繰り出すあの笑顔ね。童顔で、華奢で、あどけない。顔面のシワは深いし、乳首なんてしみチョコなんだけど、その熟女感と少女感の同居。おてんばで、生意気で、世のあらゆる男に「てめぇ、ナメてんのか! 抱かせろ!」と思わせるイジワル感。女手一つで会社を成功させ、大豪邸でハイソな暮らしを送っているという属性も相まって、俺たちは、いつの間にか虜になっている。いまだ正体の分からぬあの覆面の下には、自分の顔がある。

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 そんな俺たちの感情移入など置き去りにして、彼女の"冒険"は加速度を増していく。年甲斐もなく若い男と再婚しようとしている母親へのイラ立ち。これまた年甲斐もなく若い女学生と付き合っている元夫への嫉妬。一緒に会社を立ち上げた大親友の夫との不倫。自分の息子のフィアンセがクソ女であるという悩み。お向かいの幸せ夫婦の旦那さんとのヤリそうでヤラないつばぜり合い。特に、バカ息子のくだりは、凄まじい。凄まじい「いや~! や~め~て~!」。見るからにエロいだけのバカ女は、息子にも、ミシェルにも、ギャミギャミと噛み付く。尻に敷くなんてレベルじゃない。端から見れば、息子は既にペラッペラだ。でも、彼は気付かない。尽くし、感謝され、ときに疎まれ蔑まれることすら、愛に誤変換してしまう。挙げ句、生まれた子が嫁とも自分とも違う浅黒い赤ん坊だったという悲劇。ここはモロにコメディ・シーンだが、ディティールの積み上げがあまりにも説得的なため、筆者など、一時停止して同居人を小一時間説教してしまった。

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 そんなミシェルを取り巻く関係者が一堂に集う、ちょうど中盤あたりでのホーム・パーティー。ここは本作随一の見せ場である。ミシェルを起点として、それぞれがどれを取っても身につまされて気まずい関係者が、ミシェル宅に結集する。アベンジャーズですよ、これは。いや、バーホーベンジャーズですね。各々が火薬を満載した彼ら彼女らの目線、会話。全てがチリチリと火花を散らし、我々は汗だくでハラハラする。そして、いよいよ、もうこれ以上行ったら爆発しちゃうよ!というピークで、ミシェルのお母さんが「バターンッ!」 脳卒中でぶっ倒れる。これは例えばさ、『パルプ・フィクション』のヴィンセントとミアのシークエンスで、二人がジャック・ラビット・スリムズから帰ってくると全ての登場人物がいて、気まずさ満開でチビリチビリやっていて、で、もう限界!っていうところでミアがオーバードーズを起こすような、そんなとんでもない展開。

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 そんな感じで「うげー!」とか「うはー!」とか悶絶しながら観ていると、第二幕終わりくらいで、遂に覆面レイプ犯の正体が判明する。ミシェルの小生意気なエロスにすっかり当てられている我々は、既にそれは自分自身だと思い込んでいるわけだから、めちゃくちゃワクワクする。そんな"俺たち"の正体。それは、なんとお向かいの旦那さんだった。しかも、彼は別にミシェルを恨んでいるわけではない。プレイなんですよ。レイプはプレイ。一見模範的で理想の旦那に見えた彼は、無理強いでなければ興奮しない変態紳士だったのである。普通のミステリーなら、この事実が判明した時点で物語はおしまいだ。しかし、本作は違う。その後もミシェルと彼の関係は緊張感を保ったままこれまで通り続く。ミシェルは一応「あんた変よ。警察に行くわ。」なんて言うけれど、たぶんこれはプレイを"より良きもの"にするための薬味なんでしょうね。

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 で、結局は、お母さんが暴漢に襲われていると勘違いした息子に、変態紳士は撲殺される。ここにカタルシスなど生じない。生じようがない。確か赤川次郎の小説で、普通の夫婦の旦那が何者かに刺殺されたけど、犯人が分からない、という話があった(たぶん『三毛猫ホームズ』シリーズだったと思う。)。真相は、夫婦の営みを理解できず、妻の喘ぎ声を悲鳴だと勘違いした幼き娘が、「お母さんを助けなくちゃ!」と台所の包丁で刺したのだ…。というものだったのだが、そんな無情など、微塵も感じられない。ただ「えっ…。」ていう。端から見てたら「えっ…。」ていう顛末だ。本作でミシェルがやること、なすことは、もう本当に何から何まで上手くいかない。一挙手一投足、呼吸の一回一回が、我々が有する"普通の価値観"で言うところの"悲劇"を招来する。

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 しかし、である。本作は、我々の度肝をキレイさっぱり洗い流す清々しさで、「うん。めでたし、めでたし…。」と締めくくるのである。いくら破天荒でもそこだけは守らないといけないよ…。と我々がお節介にもヤキモキしていた親友との関係についても、「もう嘘をつくのはやめるの。」なんて身勝手な動機で不倫の事実をバラしちゃう。当然、親友は深く傷付き、旦那は酒浸りになり、二人は破局しちゃった。変態紳士死亡の後しばらく経って、親友が「なんであんなことしたの?」と聞いても、「あぁ、なんとなくよ。寝たかっただけ。」なんてイケシャアシャア。だのに、親友も親友で、ギャアギャアわめいたり、責めたりせず、ケロリとしている。で、二人は、あたかも「ルイ、これが新しい友情の始まりかもな。」と言わんばかりに並んで颯爽と去っていく。

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 だから、本作を観て激怒する人がいるのも頷ける。本作は、我々が予想する物語的因果律をことごとく外していくから。そのくせ、問題は何も解決しちゃいないのに、最後にはあたかも真っ当な成長物語であり友情物語であるかのように、幕を下ろしてしまうから。でも、筆者は、本当に清々しい読後感に驚いた。ミシェルは、我々の"普通の価値観"からすれば、本当に奇想天外な女性だ。その思考、その行動。全てが悔い改めるべき過ちに満ちている。でも、本作を映画として鑑賞する我々は、そんな彼女を一歩引いた目で見ることが可能だ。特に印象的なのはミシェルの母が死ぬシーン。心肺が停止し、病室に医師が駆けつけてテンヤワンヤの中、ミシェルは呆然と後ずさって部屋から出て、静かにドアが閉まる。普通なら、このときカメラはミシェルと一緒に部屋を出るだろう。しかし、実際のシーンでは、カメラは医師たちと共に病室に留まっている。我々も含めた輪からミシェルだけ外れていく、というように、彼女から一定の距離を保った描写が、本作には多い。

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 で、ミシェルから少し離れて彼女の波乱万丈を観たとき、我々が感じるのは「おもしろいなぁ…。」である。それは、コメディであり、ミステリーであり、アドベンチャーだ。彼女は、これから先も、きっと同じようなトラブルを引き起こし、その都度、七転八倒するだろう。しかし、我々は知っている。それでも彼女は大丈夫だってことを。そして、それはもしかしたら我々にも当てはまるということを。引いて見てはいるんだけど、本作は、やっぱりミシェルを突き放してはいない。イザベル・ユペールの圧倒的な魅力により、俺たちは、それこそ向かいの家にこんな人が住んでいてもおかしくないような実在感親近感を抱く。そして、そんな彼女がまたアッケラカンと歩きだしていく様を見て、あろうことか励まされている自分に気付く。人生、色んなことがあるけれど、まぁどうにかなるでしょう。筆者は、これほどまでに"ケ・セラ・セラ"という言葉を説得的に形にした例を、他にはちょっと知らない。

点数:87/100点
 付け加えるなら、一見この世に実在するとは思えないほどぶっ飛んだキャラにも関わらず、実は人生の良いも悪いも、欺瞞なく体現する卑近な人物だから、タイトルがミシェルのニックネームである『エル』なのかな、と思ったり。確か作中では親友でさえ彼女を"エル"とは呼ばないが、俯瞰で見ることによって彼女の魅力をより実感している我々は、終幕後、思わずニックネームで呼んでしまいたくなるくらい、ミシェルを好きになっている(だから、日本版のキャッチコピーとか、Netflixから引用したあらすじとかは、すっごい嘘なんだ。)。

 まぁ、それは裏を返せば、我々男性にとって、危険以外の何ものでもないのだが。ヤベェぞ。騙されるぞ。親友の旦那みたいに、ボロボロにされるぞ。変態紳士みたいにボコボコにされるぞ。かつてバーホーベンは、『氷の微笑』においてキャサリン・トラメルという映画史に残るファム・ファタールを生み出したが、本作のミシェルは、その現代版。さしずめ、"新約キャサリン・トラメル"と言っても過言ではない。既に慰められてんじゃん。「大丈夫。色々あるけど、人生なるようになるわよ。」って、励まされちゃってんじゃん。下半身だけじゃなく、身も心も、すっかり握られている。ちょっと冷静になろう。とりあえず、覆面取って深呼吸するわ。

(鑑賞日[初]:2019.6.7)

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