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天気の子


キャッチコピー
・英語版:unknown
・日本語版:これは─ 僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語

 雨と晴れの世界。
 君と僕のセカイ。

三文あらすじ:高1の夏、森嶋帆高(声:醍醐虎汰朗)は離島から家出し東京にやってくるが、生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく怪しげなオカルト雑誌のライター業に就く。彼のこれからを示唆するかのように、連日雨が降り続ける中、雑踏ひしめく都会の片隅で、帆高は一人の少女に出会う。ある事情を抱え、弟とふたりで明るくたくましく暮らすその少女 天野陽菜(声:森七菜)には、不思議な能力があった・・・

※以外、ネタバレあり。


~*~*~*~


 3年前、『君の名は。』で日本を熱狂の渦に巻き込んだ新海誠。彼の最新作『天気の子』は、彼の原点であるいわゆる"セカイ系"と真剣に向き合った傑作だと思う。"セカイ系"とは、日本において特有な物語の類型で、評論家の東浩紀さんの定義によると、"主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと"らしい。同時に、彼は"セカイ系"の代表作として、新海誠の『ほしのこえ』、高橋しんの『最終兵器彼女』、秋山瑞人の『イリヤの空、UFOの夏』を挙げたらしく、やはり新海誠は、元来"セカイ系"のパイオニアであると言える。

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 でもまぁ、やっぱりその始まりは、『新世紀エヴァンゲリオン』なのではないだろうか。筆者も感想で書いた通り、新海誠作品には、『エヴァ』の影響がそこかしこに垣間見える(特に『雲のむこう、約束の場所』はモロに『エヴァ』。)。そういう意味で、本作は、ぜひこのタイミングで劇場鑑賞しておくべきだ。なぜなら、現状劇場でしか観ることができない『シン・エヴァンゲリオン』の特報第二弾が本編前にアタッチされているから。"セカイ系"の起源である『エヴァ』は、新劇場版『破』において、これが"セカイ系"だあああぁぁぁ!と言わんばかりの熱い展開を描いた。そして、続く『Q』では、その代償としての残酷な展開を描いた。ちょっと本作から話がそれているが、これは、本作を語る上でも結構重要なことだと思う。

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 つまり、"セカイ系"のストーリーというのは、往々にして、主人公の愛する者の救出が、その表裏として世界の終焉に直結するという構造を持つ。『雲のむこう』では、昏睡状態のヒロインを目覚めさせることが、平行世界の侵食によるこの世界の消滅とイコールだった。『破』では、レイの救出が、初号機の擬似シン化の引き金となり、それすなわち、サード・インパクトの原因になるという運命にあった。そのため、"セカイ系"作品の主人公は、必ずと言っていいほど"世界か女の二者択一"を突き付けられることになる。しかし、その二者択一は、実は予定調和の二者択一だ。ここで「俺は世界を守る!」なんつって女を見捨てる主人公はいない。絶対に女を取るんだ。それが"セカイの理(ことわり)"なんだ。

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 "セカイ系"の主人公は、思春期の若者である。よって、自身の欲望を無軌道に実現することは、いわば必然である。ここで我々大人の役目は、そんな彼の背中を押してやること。『雲のむこう』なら岡部さんや拓也くん(彼は浩紀くんと同い年だが、新海誠作品では喫煙が大人の象徴として描かれるため、拓也も役割としては大人である。)。『破』なら、ミサトさんだ。さらに、その後、いざ世界の終焉を招いてしまった主人公にどう"落とし前"をつけさせるか。この場合の"落とし前"は、つまり物語的にどう着地させるか、ということであり、専らクリエーターという大人の担当領域である。この点、『雲のむこう』『破』は、両極端な好例であろう。前者は、あまりにも甘々。ミサイル攻撃によって、いとも簡単に世界の終焉は回避される。逆に『破』は、およそ未だかつてないほど厳しい『Q』は、丸ごと『破』の落とし前の話だった。

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 その点、筆者は、本作の"落とし前"が"セカイ系"としてほぼ完璧なバランスなのではないか、と思う。むしろ、新海さんが今一度真剣に"セカイ系"と向き合い、『雲のむこう』の反省と、『破』(及び『Q』)への不満を考慮して構築したのではないか、とすら思う。まず、本作における"世界の終焉"。それは、"神隠し"され天上に連れ去られた陽菜ちゃんを帆高くんが現世に引き戻したことに起因する"雨"。ただの雨ではない。その雨は、3年間も降り続け、なんと東京の大半を水没させてしまうのである。この具体的な代償の提示は、ギョッする。「僕たちは、決定的に世界の形を変えてしまった…。」なんて台詞が序盤にあったが、マジで地形を変えてしまうレベルの大災害が、帆高くんのせいで引き起こされている。

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 このように、女を選んだことの代償をしっかりと不可逆な形で具現化するというのは、新海さんが『雲のむこう』から明確に成長した証拠だ。さらに、この"東京沈没"は、ただ東京が沈んでしまったという以上の意味を持って描かれている。これは、本当に上手いと感心してしまった。つまり、本作には、前作『君の名は。』の登場人物がカメオ出演しますよね? 瀧くんと三葉ちゃんと、瀧くんのおばあちゃんと、あと四葉ちゃんも出てたんだっけ? 特に瀧くんの登場時なんかは、いかにもファン・サービスって感じでバーンッ!と現れるので、ちょっと笑っちゃうほどだ。しかし、これは、単なるファンのご機嫌とりではないと、筆者は思う。

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 瀧くんらが登場したことで、本作は、『言の葉の庭』『君の名は。』と同じ世界、いわば"マコトティック・ユニバース"に属していることが確定した。しかし、特に『君の名は。』を心から好きなみなさんは、少し寂しさを感じなかっただろうか。つまり、現実には起こり得ないファンタジーを経験し、めくるめく冒険を繰り広げ、結果、世界の命運をかけて奮闘した"主人公"は瀧くんと三葉ちゃんだけだと思っていたら、本作でもう一組の"主人公"が現れたのである。それどころか、ここがポイントなんだが、彼らもう一組の"主人公"は、なんと瀧くんと三葉ちゃんが冒険を繰り広げた東京の地形を変えてしまった。ただ東京が水没したんじゃない。もちろん"その後"のこととはいえ、あの『君の名は。』の世界が不可逆に変形させられてしまったのである。

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 作中現実でのカタストロフに加え、日本アニメ史を塗り替えるほどヒットし皆に愛された『君の名は。』の世界をも破壊するという、メタな構成。これは、新海さんにとって大変勇気のいるアプローチだったのではないかと想像するが、しかし、これによって、帆高くんと陽菜ちゃんの選択が帰結した代償は、この上なくショッキングなものとして成立している。ところが、反面、その代償に対する"落とし前"は、よりきっちり付けないといけなくなった。では、その"落とし前"は、十分なものだったか。取り返しのつかない災害を引き起こした二人の決断は、満足なものだったか。ここは、たぶん賛否出てくると思う。甘すぎる!と激怒する人も少なからずいるだろう。しかし、筆者は、本作が提示したバランスこそ"セカイ系"として至高だと感じた。

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 まず、帆高くんは、大人たちに甘やかされる。須賀さん(声:小栗旬)は「てめぇらのせいだと? 自惚れんなよ。」と彼なりの優しさで慰め、「早くあの子のところに行ってやれ!」と恋愛的大団円への後押しをする。瀧くんのおばあちゃんは「かつては東京は海の底だった。元に戻っただけよ。」なんて、一見それこそがテーマかと思えるような発言をする。筆者も、かつて同居人が結婚式当日の晴天に対して過剰なこだわりを見せたものだから、雨やったとしても雨の結婚式は一生に一回なんやから、それはそれでえぇやろ!と説教したことがある。自ら考える頭を止め、自ら感じる心を捨て、"晴れるとウキウキする"などという一般的なイメージだけで晴天を願う大衆への警鐘。帆高くんの"雨好き"も考慮すると、それもあり得る。

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 でも、それは違った。その甘やかしは、真の"落とし前"の前フリだった。陽菜ちゃんの家に続く坂を登りながら、帆高くんは自問する。「僕たちのせいじゃない。元に戻っただけ。本当に…そうなのか?」 そして、明確に答えを出す。「違う!」 彼が続けて独白する通り、帆高くんは、世界と陽菜ちゃんの天秤で、陽菜ちゃんを選んだんだ。その結果としての"この世界"を選んだんだ。正確な台詞を忘れてしまったが、助けるとき言ってたよな。「僕がどうなったっていい。世界がどうなったっていい。だけど、陽菜は。せめて、陽菜だけは。絶対助ける!!」って。少年。いや、青年よ。それでいい。例え世界を滅ぼしても、惚れた女を選べ。それが"セカイ系"の主人公だ。

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 そして、彼は陽菜ちゃんの元に辿り着く。二人は手を取り、「私たちは大丈夫!」って叫ぶ。終幕。確かに、甘くも思える。『君の名は。』が東日本大震災後の世界を前提に描かれていたのだから、本作を観て昨年の西日本豪雨を想起しない者はいない。ならば、いくらなんでも甘すぎないだろうか。いっそふざけてるんじゃないか? 家は流され、思い出の品々は失われ、そして、命を落とした人が、たくさんいるんだ。本作の東京水没だって、3年後のポジティブな面だけ恣意的に映しているけれど、実際には数え切れない財産や命が失われているはずだ。それを「大丈夫!」って、ナメてんのか? と激昂する人は、きっといる。

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 筆者も、若干甘いかも…とは思う。でも、これが正しい"セカイ系"の落としどころだとも思う。『Q』の感想でも書いたけれど、"セカイ系"作品の主人公は、無軌道に、己の欲望のままに、自らの"セカイ"を救えばよい。"世界"じゃなくて、"セカイ"を救うんだ。そして、欲を言えば、己がしでかした事の重大性だけ認識しておけばよい。あとのことは、大人の仕事だ。その物語を、物語としてハッピーエンドに仕上げてやるのが、クリエーターの役目だ。確かに、その定石をあえて破って徹底的に主人公を追い詰めるという『Q』の試みは、斬新であり興味深くもあったが、それはやっぱり正しい"セカイ系"ではないと筆者は思う。俺たちは、罪の物語が見たいんじゃない。少年であり青年の、可能性の物語を見たいんだ。

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 だから、帆高くんと陽菜ちゃんの「大丈夫!」に、「全ての罪と責任を背負って、それでも明日に向かって生きていこう!」までを読み取るのは、過保護だろうか。タイトルの英訳『Weathering With You』は、一義的には"天気"をイメージさせるが、動詞としての"Weather"の意味は"(嵐などを)乗り切る"である。であれば、実は、このタイトルが示しているのは、二人で"お天気屋さん"をやって天気を操っていたことではなく、自らの行いの責任と向き合っていくという、これからの二人の覚悟こそを表しているのではないだろうか。甘いかもしれない。しかし、"セカイ系"のオチとして、筆者は本作を支持する。また、被災者へのエールとして、このようなやり方が必ずしも間違っているとは思えない。

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 ちなみに、帆高くんが陽菜ちゃんの姿を見つけたとき、陽菜ちゃんは以前と同じように祈っていたけれど、あれってまた"天気の巫女"の力を使っていたわけではないですよね? その力が失われたことは、天上から帰ってきて帆高くんと共に鳥居の下で倒れている陽菜ちゃんのネックレスが割れていたことからも、明らかだと思う。あのネックレスが力の源だったという描写はないし、たぶん関係ないんだけど、いわば"神のしもべ"ではなくなったことの象徴として、首輪に見立てたネックレスが割れている描写を入れたのではないだろうか。よって、3年後の陽菜ちゃんの祈りは、"ただの祈り"。空が晴れたのは、言ってみれば"たまたま"だ。でも、そこには、特別な力が無くても、祈り、希望を持つことで悲しみに立ち向かうことができるというエールが込められているように思う。

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 さて、ここからは、その他思ったことをザックバランに挙げていく。まず、導入部。家出した帆高くんが東京の街をさ迷うシーンは、すっごく『バケモノの子』っぽいと思った。あれは渋谷…ではないかもしれないが(なんせ東京に疎いもので、あそこがどこなのか分からない。代々木ですか?)、家出した主人公が警察官に補導されそうになって逃走し、その先の路地で小動物に出会う。そういや、新海作品の猫の名前と言えば、これまで一貫してチョビかミミだったのに、本作では"雨"になっているのは、『おおかみこどもの雨と雪』オマージュだったりして…。特に絶対の必然性なく雪が降る展開も登場していたしな。

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 本作では、前作から一転して、脚本が大変素晴らしいと思った。特に、陽菜ちゃんの弟の凪くん(声:吉柳咲良)のマセガキプレイボーイ設定は、一見して四葉ちゃんの焼き直しにも思えるが、実は全編通してしっかりギャグとして成立しつつ、かつ、本当は陽菜ちゃんが帆高くんより年下だったことの伏線にもなりつつ、なおかつ、クライマックスでは、彼が児童保護施設から脱出する理屈としても機能する。凪くんが助けに駆けつけるシーンは激アツだったし、ここは序盤で落とした拳銃がしっかり活かされたり、数多ある「ここは任せて行け!」の中でもトップ・レベルにカッコいい須賀さんの「行けぇ!」が飛び出したりと、本当に熱かった(これって、詫助の「ぶちかませっ!」オマージュ?)。

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 あと、新海作品恒例の主人公のモノローグに筆者は毎回少しイライラしてしまう。画ではなく台詞で全てを説明してしまうのは、映画としての怠慢に思えるからだ。本作も、案の定、帆高くんのモノローグで幕を開ける。やれやれ…またか…なんてそのときは思ったんだけど、これは、後々帆高くんがオカルト・ライターとして本作の一件を執筆したってことだよな。余計分かり辛くなるかもしれないが、ヨルゴス・ランティモスの『ロブスター』みたいな趣向である。それならいいよ。ただ、オカルト・ライターという設定はもっと露骨に活かしてほしかった。『君の名は。』でも唯一手放しで良かったのは、テッシーの「見たってか…? じゃあ…やるしかないな!」だったわけで…。

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 細かいところだと、帆高くんがK&Aでの居候生活に慣れてきたということを、野菜を切るのが上手くなってるという表現で見せるのは、とても正しいと思った。新海さんが結構やりがちなJ-POPのPVシーンも、本作では良かったですね。『秒5』ではなぜかクライマックスが全てPVだったり(まぁ、まさよしの歌詞に語りたいことを託した、ということなんだろうけど。)、『君の名は。』では瀧くんと三葉ちゃんが親密になる過程が全部ZENZENZEN!で済まされたりしていて、筆者はあまり納得できなかったのだが、本作におけるPVシーンは、帆高くんのK&Aでの日常と、帆高くんと陽菜ちゃんの"お天気屋さん"が軌道に乗っていくところでの登場。こういう手っ取り早く時間経過を示すべきシーンでは、PV演出が効果的だと思う。

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 『君の名は。』での奥寺先輩的セックス・シンボルを担う夏美さん(声:本田翼)も良かった。最高なのは、もちろん、原付逃走シーン。かなり非現実的なシチュエーションだが、度々「ウケる~」を連発してきた彼女の"今どきの若者感"が、なんか今どきの若い子って、こういう事態でもこういうテンションで楽しみそう…という説得力を醸し出している。そして、ここから続く帆高くんの線路爆走シーン。ここは良い! やっぱり、新海さんは、日常の何気ない"距離"が絶望的な隔たりに感じられるっていうシーンが持ち味なんだよな。最高傑作は、やはり『桜花抄』ですが。…そう考えると、新海さんって、何か電車に恨みでもあるのだろうか…。まぁ、とにかく、線路爆走シーンは、中々フレッシュな舞台であると同時に、めちゃくちゃ熱い。

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 熱いで言えば、帆高くんが陽菜ちゃんを救出する天空落下シーン。天空の…おっと。あまりにも『ラピュタ』ではないか、という突っ込みは、この際無しだ。『星を追う子ども』みたいに飛行石を出さなかっただけ、成長したと誉めてあげよう。まぁ…それでも「『エウレカ』やん!」というご意見には、さすがの筆者も反論できない。体が透明になっていく陽菜ちゃんのルックスとか、モロにエウレカだよな。あと、落下シーンで帆高くんは手錠を使えばよかったのに。というか、使うべしに思っていた。神が陽菜ちゃんを引き戻そうとするも、疑似シン化帆高が「陽菜! 来いっ!」っつって、彼女に手錠をかけて引き寄せる…。良いと思うけどな。帆高くんと陽菜ちゃんは(ネックレス=首輪のような)拘束具で縛る関係ではない、と強調するためだけのガジェットだったのか。あるいは、帆高くんの負った罪を象徴していたのか。

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 大きくはそんなところでしょうか。思い付いたり、間違ってたりしたら、その都度加筆修正する。

※追記①:キャッチャー・イン・ザ・スカイ
 実弟からの問題提起で考えてみたのだけれど、ネット・カフェ難民になっていたときの帆高くんは、なぜサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を持っていたのだろう? 同著の引用として我々ボンクラが即座に想起するのは、やはり『攻殻機動隊 S. A. C. 』の1st GIG。特A級のハッカーである草薙素子ですら翻弄する最強のウィザード、"笑い男"のシンボル・マークには、同著から引用された「I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes. (僕は耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間になろうと考えた。)」という一文が記されている。本作の引用も、基本的には『S. A. C. 』と同じ意図なのではないかな。

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 つまり、嘘や欺瞞に満ちた都会や社会="大人"戦いを挑む"少年"を象徴しているのではないだろうか。また、同著のタイトルがなぜ『ライ麦畑でつかまえて』なのかというと、主人公のホールデンが、"なりたい自分"について、"ライ麦畑で遊んでいる子どもたちが崖から落ちそうになったときに捕まえてあげられる存在"と語ったからだが、これが、大都会東京、あるいは、現世で居場所を無くし、天上へ"落ちてしまった"陽菜ちゃん(晴れを祈るときの重力反転描写等、本作には"上下の逆転"という概念があるように思う。)を捕まえる帆高くんの示唆になっているのではないだろうか。または、シンプルに天空落下シーンで落ち行く陽菜ちゃんを捕まえる帆高くん、と考えてもいい。

※追記②:支配者も神も、どこか"身内顔"。
 陽菜ちゃんのネックレスはいわば"首輪"を象徴したガジェットではないか、ということを書いたが、そういえば、元々あれって陽菜ちゃんのお母さんのブレスレットだったものだよな。ということは、陽菜ちゃんのネックレスは、実は陽菜ちゃんの母への執着を示していたのかもしれない。陽菜ちゃんが晴れ女の能力を得たとき、あの鳥居の下には、瀧くんのおばあちゃん家の仏壇と同じく、精霊馬が置かれていた。さらに、おばあちゃん家の焚火の煙のように、天と地上を繋ぐ"エンジェル・ラダー"が発生していた。つまり、陽菜ちゃんが強く祈りながら鳥居をくぐったあの瞬間、病院ではお母さんが絶命し、その魂はあの場所から天へ昇っていったのではないだろうか。ここで、陽菜ちゃんは、天と繋がって"天気の巫女"となった。そう考えると、陽菜ちゃんの"神"はいわゆる"神"ではなく、実は自らの母親だったのかもしれない。そして、仮にこれが正しいとすると、ネックレスが割れていた描写は、陽菜ちゃんが遂に母の死を乗り越えたということを意味しているはずだ。ならば、ここから、豪雨などの災害によって愛する者を亡くした人々へのエールをも、読み取れるのではないだろうか。どうだろう…?

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 母への執着を起点とすると、なぜ陽菜ちゃんは18歳と嘘をついたのか、という点も、理解しやすい。確かに、18歳でなければバイトできないから、という実際的な理由は作中でも明示されていたが、既に心を許しあった帆高くんにもずっと年上で通していたのは、やはり"早く大人にならなければ"、"早くお母さんにならなければ"という強迫観念が、陽菜ちゃんの中にあったからだと思う。でも、子供は、子供でいいんだ。3年後、制服姿の陽菜ちゃんは、ちゃんと高校に通っているように見える。しかし、逆に、ずっと子供というモラトリアムに耽溺していていいわけでもない。帆高くんは、神様に「ずっとこのままで…。」と願うが、それが間違った願いであるということは、ラストでの世界や二人の覚悟を見れば、一目瞭然であろう。なまけもせず、背伸びもしすぎず、自分らしく、この世界で、生きていくんだ。

※追記③:ねぇ? 今から晴れる……の?
 筆者の実弟が指摘していたことでもあるが、本作において最もアイコニックであり、個人的には今年の映画流行語大賞にノミネートしたい陽菜ちゃんの名言「ねぇ? 今から晴れるよ?」は、もっとクライマックスでドンッ!と使用してくれてもよかったな。このフレーズは、本当に良い。「ねぇ! 今から晴れるよ!」じゃなくて、「ねぇ? 今から晴れるよ?」なんだよ。ちょっと尻上がりなんだ。なんだかイタズラっ子感があるんだ。それは、つまり、お姉さん感なんだ。そんな最高のフレーズを、本作はもっと活用すべきだった。

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 筆者が希望するのは、天空落下シーンでの使用。帆高くんによる「陽菜! 来い!」の後、巫女を逃がさんと"神"の魔の手が陽菜ちゃんを掴む。このときの"神"は、基本的に晴天である天上ににわかに生じた雷雲から伸びる、龍の姿だ。"男 帆高"は、当然鬼の形相で陽菜ちゃんを離すまいと奮闘。しかし、"神"は強い。そのとき、これまでの帆高くんとの日々を回想し、自らの迷える心を晴らした陽菜ちゃんが、最後に、もう一度だけ力を使う。「ありがとう…。帆高…。」 えっ…!って、一瞬だけ。一瞬だけ、もしかして陽菜ちゃんは諦めたのか…?!って思えるバランスで。しかし、次の瞬間、キッ!と"神"を見据えながら、彼女は言う。「ねぇ…?」 音楽ふっ…。「今から晴れるよ?」 ブワァ! 音楽どーーーんっ!! よっしゃあああぁぁぁ!!! え~~~ん……。・゜・(ノД`)・゜・。

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 っていう感じなら、最高だったのになぁ…。陽菜ちゃんの能力で雷雲を退ける(もちろん、この瞬間にネックレスがピキッ!と割れて、彼女の能力が失われたことを示す。)、プラス、そこですかさず帆高くんが「うおおおぉぉぉ!」って叫びながら、手錠を陽菜ちゃんの手にかけて引き寄せる! それなら、なお、え~~~ん。・゜・(ノД`)・゜・。だったのに。 決して、天上のような美しい世界ではない。嘘も欺瞞も罪も、そこら中に満ち満ちた、汚れた世界だ。それでも、俺は陽菜とそんな世界を選ぶ!という帆高くんの気合いが、バッチリ表現できるわけだし。どうでしょう?

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 まぁ、そこまでゴリゴリでなくとも、例えばクライマックスのどっかのタイミングで、帆高くんが陽菜ちゃんの「ねぇ? 今から晴れるよ?」回想し、彼の迷いが吹っ切れる=彼の心の雲が晴れる、みたいな展開がほしかった。もちろん、これは『天元突破グランラガン』を魂のバイブルとして崇めている我ら兄弟だけが希望するガキっぽい構成(要は、「俺を誰だと思っていやがる!」の天丼みたいなことをやってほしいってこと。)なのかもしれないけれど、もしやってくれていたら、本当にぶちアガりだったろうな。

点数:90/100点
 とにかく、おもしろかった! まさに天晴れだ! もちろん、細かい不満はあるけれど、個人的には、新海さんが、『君の名は。』で実現した作家性と大衆向けのバランスに加え、やっとお話的にもきちんと"真っ当(でシンプル)なセカイ系"をやってくれたように思う。今思えば『君の名は。』って、三葉ちゃんの救出と世界の終焉が表裏になっていなかったから、筆者の思う真っ当な"セカイ系"とはちょっと違ってたんだよなー。

 ただ、本作では若干作家性、つまり、"新海イズム"が後退したように思えなくもない…かも。 "新海イズム"の肝は、当然恋人たちの"距離"だが、本作ほど、クライマックスに至るまで恋人たちが"一緒にいる"作品は、過去に類を見ない。まぁ、とはいえ、一応"距離の予感"は、ずーっとある。陽菜ちゃんはいつ天に召されるか分からないし、帆高くんはいつ島に強制送還されるか分からない。

 あ、あと、冒頭に貼り付けた本作の予告編、もとい、予報。…何? 最高? 最高やん。こんなん絶対泣くやん。筆者なんか、登場する全ての作品をこの一週間で観たものだから、なおさらヤヴァい。このマッシュ・アップでも、やっぱり"世界"という単語が意図的に切り出されているよな。だからやっぱり、本作は、新海誠が本気の"セカイ系"をやった作品なんだと思う。ちなみに、『星を追う子ども』だけ"世界"というフレーズが入っていないのは、同作が宮崎駿へのフェアウェルとして作られた少し趣の違う作品だからだと、筆者は妄想する。

 まぁ、そんな感じで、いくつかの不満も弁護を試みたくなるくらいには、筆者は本作が、帆高くんが、陽菜ちゃんが、大好きになってしまった。鑑賞後、雨の世界も、晴れの世界も好きになり、持参した傘を劇場に置き忘れてしまったほどだ(気付いて取りに戻りましたが。)。今宵は雨なのか晴れなのかよく分からないお天気だけど、そんな世界も愛しく思える、とても良い作品だと思う。

(鑑賞日[初]:2019.7.19)
(劇場:OSシネマズ ミント神戸)

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Posted byMr.Alan Smithee

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