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英語版:Discover the past. Save the future.
日本語版:ゴーストたちの復讐劇が始まるー

 全ての"物語(ゴースト)"よ、
 Rest in peace...

三文あらすじ:30年間にわたり原因不明の地震が頻発する田舎町で暮らすことになった少女フィービー(マッケナ・グレイス)は、祖父が遺した古びた屋敷で見たこともないハイテク装備の数々と"ECTO-1"と書かれた改造車を発見する。祖父がこの町に隠した秘密に迫ろうとしたそのとき、封印が解かれ、町中に溢れかえるゴーストたち。30年前、ニューヨークを襲った破壊の神ゴーザを前に、フィービーと仲間たちは決死の戦いを挑むのだが・・・

※以下、ネタバレあり。


~*~*~*~


 アメリカでは2021年の11月から、日本ではずいぶん遅れて2022年の2月4日から公開されている本作『ゴーストバスターズ / アフターライフ』を、先々週末の2月18日に観てきた。感想に入る前に私事ですが……。鑑賞翌日の土曜から気管のイガイガ感を覚えた筆者は、日曜の未明から発熱、同日最寄りの医院で抗原検査を受けた結果、なんと新型コロナウイルス"陽性"となってしまった……。日頃から拙稿をお読みいただいている方(がいるか分からないが……)ならご存知のとおり、筆者は模範的な"ボンクラ男子"であって、決してチャラチャラと飲み歩いたりしない。これはコロナ禍か否かに関わらずそうであったし、コロナ禍の現状ならなおさらである。実際、本作を鑑賞した日だって、人のいなさそうな21:20の回を選び、それまでの間に晩ごはんを食べようと梅田の街を少し歩いたものの、どこも混んでいたため結局はコンビニでおにぎりを買って、屋外コインパーキングの隅で寒空の下立食したほどだ。なのに陽性とは……。これはもうゴーストの祟りと諦める他なかろう……。

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 ま、筆者の話は置いておこう。2日間ほど高熱に苦しんだが、今では熱も下がり、その後襲ってきた喉の激痛も克服済みであるし、同居家族も全滅したが、なんとかみな回復し、療養期間も明けた。話は本作である。みなさんご存知のとおり、本作『アフターライフ』は、1984年の『ゴーストバスターズ』、1989年の『ゴーストバスターズ2』の続編にあたる。そこから本作までの2016年に"女版バスターズ"たる『アンサー・ザ・コール』という作品があるが、これは今となっては番外編的な位置付けであり、本作と直接の関係はないと言っていいだろう。本稿では当然、記念すべき一作目から簡単に振り返っていきたいわけだが、1984年の第一作を端的に言い表すには、やはり宇多丸師匠のこの言葉が最も適切だと思う。すなわち、"80年代時代精神の結晶"である。その内実は、まずは何と言っても『アニマル・ハウス』、『ブルース・ブラザーズ』、『パラダイス・アーミー』と、映画への進出後立て続けにヒットを飛ばしてきた"サタデー・ナイト・ライブ役者"による極上のコメディと『スター・ウォーズ』以降大盛り上がりしていたSFX満載のSFアクションの融合。

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 あと宇多丸師匠が挙げていたのは、80年代レトロ・ブームと合致した温故知新の設定(つまり、1940年代に流行った"幽霊コメディ"という"忘れられたジャンル"を最新版にアップデートする、『スター・ウォーズ』や『インディ・ジョーンズ』ライクなやり口)とか、かねてより盛り上がり始めていた"ポップなホラーブーム"との適合とかでしたね。それに加えて、個人的には70年代の暗黒期を乗り越えてノッリノリになりつつあったニューヨークの盛り上がった世相も大きいと考えている。70年代のニューヨークってのは、経済はダメダメだし、街はゴミとホームレスで溢れ、ちょっと路地裏に入るとたちまち身ぐるみ剥がされるような荒んだ街だったと聞く。たしかに、筆者が物心ついたとき(90年代初頭)、日本ではまだそんなイメージがわずかに残っていたと記憶している。それが、80年代からどんどん良くなっていって、経済・文化ともに"世界最強のシティ"へと復活していった。筆者のニューヨーク史観は非常に大雑把かつ浅薄ではあるが、ものすごく大局的にまとめればそんな感じだろう。

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 『ゴーストバスターズ』一作目からは、そんな"イケイケなおらが街ニューヨーク"という雰囲気がビンビン発散されている。とかく"大盛り上がりしているパーティー"なんだよな。ガジェットも、メインテーマも、ロゴマークも、全ての装飾があまりにもキャッチーでキラキラした、盛大なパーティー。しかも、ちゃんと間口は広く取られていて、まずは超常現象に懐疑的な男、我らがビル・マーレイ演じるピーター・ヴェンクマンの視点から物語を始めることで、"ゴーストという非現実"へ我々を自然に誘う。ヴェンクマンは始めゴーストを信じていない(……というか、真偽はどうでもいいと思っている)んだけど、しかし一方でダン・エイクロイド演じるレイモンド・スタンツ及びハロルド・ライミス演じるイゴン・スペングラーとの友情については、ハナから1ミリの疑念も抱いていない。そんな彼らの友情の結晶こそが"ゴーストバスターズ"であり、そこに我々は強く憧れるのだが、ここで今度はアーニー・ハドソン演じるウィンストン・ゼドモアという部外者視点を投入することで、我々部外者もちゃんとバスターズの一員として参加することができる。

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 そんなグルーヴが極に達するのが、もちろんクライマックスのゴーザ討伐戦……が始まる直前のビルの下でのワチャワチャだ。『ダイ・ハード』シリーズでも嫌味な記者を演じ、そしてラストではしっかりギャフン!と言わされたウィリアム・アザートン演じるウォルター・ペックをギャフン!と言わせ、ニューヨーク市長にも「ごめんなさい……。」させ、直々の公式出動要請を受けたバスターズ。ここのカタルシスがまずはエグいぜ。『ゴーストバスターズ』の本質は、"お化け=負け犬な俺たちのアイデンティティー"を世間に信じさせるってとこにもあるわけだが、当該シークエンスはまさにその結晶。「ざまぁあああっっっ!!!」と高らかに勝利宣言し、俺たちはバスターズとともに「ヘ〜〜〜ウ!! ヘ〜〜〜ウ!!」と凱旋のラッパを吹き鳴らしながら、現場へ急行する。するとそこには、待ってましたと詰めかけたニューヨークの群衆、すなわち、"物語内俺たち"の姿が。もう大盛り上がりですよ。しかもここは、いったん盛り上がって「よし、行くか。」ってなったところ、グラグラ……!と地が揺れ「アワワ……。」ってなり、仕切り直してもっかい「ゴーストバスターズッ!! ゴーストバスターズッ!!」っていう"追い盛り上がり"の特大サービス。

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 以上のような"ワン・チーム感"、いやさ"ワン・アップル感"が、折しもグイグイ急成長していたビッグ・アップルの時流を的確に捉えていたのだと、筆者は思う。そもそも『ゴーストバスターズ』におけるお化け退治って、どこか"ゴミ掃除"のニュアンスがあるよな? ビームなんて殺傷力の高そうな武器を装備しておきながら、それで何ができるかというと単なる"捕獲"である。でもって、ゴーストを捕獲した容器は、臭いものには蓋とばかりに"投棄"される。要は、ゴーストバスターズってのは、いまだニューヨークにはびこるゴミや、もっと言うと暴力や貧困や腐敗といった"ゴーストたち"をキレイにしてくれる"掃除屋"なんだよ。それが、まだまだ荒んだ部分は残っているけれど、俺たちならきっと完璧に克服できるさ!という当時のニューヨーカーたちの気概や祈りと、ピタッ!と合致したのではないか。まぁ、分かんねぇっすけど、筆者はそう思っている。(もちろん、もっと大げさに構えて、例えばゴーストを核兵器のメタファーと考える説だってあり得るかもしれない。)

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 そんなわけで、一作目の『ゴーストバスターズ』は、まさに宇多丸師匠の仰るとおり、"80年代時代精神の結晶"として、半ば奇跡的な名作となったのである。さて、続く『ゴーストバスターズ2』。スタッフもキャストも全員カムバック。前作からちょっと間が空いて1989年の公開だが、それでもまだ80年代だ。これは、前作同等、いやさ、それ以上の名作が期待できる。……と、世界中がワクワクしていたのだが。結果、作品の評価はイマヒトツであった。この決定的な要因は、やはり今では作り手も認めているとおり、一言で言って"遅すぎた"という点であろう。なんでさ! まだ80年代じゃないか!って思うけど、どうも違うんだな。ここでも宇多丸師匠の言葉を借りよう。曰く、「僕に言わせりゃ、89年はもう90年代だった。」。たしかに、いまだニューヨークはノリノリで、一方、街のそこここにはバスターズが掃除すべき荒んだ光景も垣間見られてはいたのだと思う。実際、同年公開の『13日の金曜日 PART8 ジェイソンN.Y.へ』では、ニューヨークの荒んだ路地裏がフィーチャーされていた。

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 しかし、長らくの冷戦が終息に向かい、ついにベルリンの壁が崩壊した1989年。世界は、ミレニアムへ向けた世紀末の10年へと既に意識を移していたのだと思う。実際に壁が崩壊するのは『ゴーストバスターズ2』公開から半年ほど先ではある(日本だと崩壊後の公開ではある)が、やはり1989年はもう90年代の始まりだったんだ。公開初週でなんとか興行成績1位を勝ち取った同作を2週目にして引き釣り降ろしたのがティム・バートンの『バットマン』であった、という事実からも、これは明らかに思える。人々は、あっけらかんとした陽性のパーティーではなく、世紀末への不安と期待を具現化したようなダークで怪しげなヴィジランテものに酔いしれた。まぁ、今観るとすごく良い作品ではありますが。人々の"盛り上がり"それ自体がラスボスの打倒に直結するというギミックを用い、「お前ら大丈夫?! 盛り下がってるやん! アゲてけ! アゲてけ!」と動く自由の女神なんていう最高のDJブースからアジってくるバスターズ。一作目の全員参加型パーティーを推し進めたこのクライマックスは、シリーズとして本当に筋が通っているし、楽しい。

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 ただでも……。一応、スライム入れたらトースターがピョンピョン跳ねるという前フリはあるものの、自由の女神という巨大な石像を、しかも任意に動かすことができるってのは、ちょっと容易に納得しづらい。キャストについても相変わらずの好演だし、特にハロルド・ライミスが一作目よりノリノリになってるのは見どころなんだけど、「ド〜♪ レ〜♪ ミ〜♪ ……イゴ〜〜〜ン♪」は……。筆者なんかが天下のハロルド・ライミスに苦言を呈するなどあり得ないから大きな声では言えないが、やっぱり何度観ても……クソサムイ。シガニー・ウィーバー演じるディナ・バレットさんの赤ちゃんの件についても、なんかこう……最終的にスカッとしない。我らがヴェンクマンじゃなくて、どこぞの馬の骨との子なんだよなぁ……。そりゃ、それはそれで大人な着地だとは思うし、赤ちゃんの役目はあくまでもディナとヴェンクマンを中心とした人間関係を描き出すためのギミックであり、物語の目的となるマクガフィンなんだけど、でも別に、実は……ヴェンクマンの子でした!とかでも良かったんじゃない? ダメかな……。

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 そんな感じで、個人的には大好きな部分もあるし、"パーティー"という意味でギミックには大変感銘を受けるけれど、それでもなんか"イマイチ盛り上がらない二次会"。それが『ゴーストバスターズ2』であった。さて、時は27年ほど進んで2016年。"女版バスターズ"こと『ゴーストバスターズ / アンサー・ザ・コール』が公開される。たしかこの前に、新生バスターズがオリジナル・バスターズの助力を得つつバスターズになっていく、というリブートの企画が進んでいたんですよね? でも、モチャモチャしてる間にハロルド・ライミスが死んじゃって、アイヴァン・ライトマンも「じゃあもう俺降りるわー。」ってなって、代わりに主要キャストの性別を転換させるっていう同作が爆誕したんだったと記憶している。で、この『アンサー・ザ・コール』が結構問題でして……。個人的には当時劇場で鑑賞し、当ブログに酷評の感想を書いた。そこで「そもそも女にする意味がねぇ! あとクリヘムがウザすぎる!」なんてしたためたもんだから、コメント欄ですっごいお叱りを受けちゃった。

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 たしかに「バスターズの本質は社会的自由だが、女性は既にそれをある程度勝ち取っているのだから、今さらバスターズのフォーマットを借りて描く必要はない。」という趣旨の発言は、今考えるとデリカシーに欠けていた。大変申し訳無い。この場を借りて謝罪します。ただ、筆者として同作をあまりよく思っていないという立場は揺るぎ無い。今回シリーズを復習してみて思い当たったその理由は、やはり"パーティー感"の欠如である。たしかに、同作のクライマックスはある意味で一作目のそれを凌ぐ乱痴気騒ぎとなるのだが、しかし、一作目のところで筆者が述べた前提たる構造を全く踏襲していない。すなわち、ヴェンクマンに相当するキャラクター、エリン・ギルバートは、ただ出世のためにゴースト信奉者たることを隠しているだけで、懐疑的なわけではない。一方で、レイモンドに相当するキャラクター、アビー・イェーツとの友情は、ほぼ崩壊状態。"部外者"たるパティ・トランは、彼女自体がかなりアクの強いキャラクターであり、ウィルソンのような俺たちの水先案内人にはなり得ない。

※もちろん、出世のためにゴースト信奉者たることを隠さざるを得ない、というエリンさんのキャラクターは、男性社会の中で生きていくには自らの信念を秘匿しなければならない、という女性の虐げられた状況を表すための設定変更であることは、言うまでもないし、また至極正しいアジャストだとは思う。

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 ゆえに、筆者はこの"パーティー"に当事者として参加できなかったのである。いや、同作は、筆者らのような"部外者"をむしろ積極的に排除しようとしているようにすら見える。例えば、オリジナル・キャストの扱い。既に逝去していたハロルド・ライミス以外が軒並みカメオ出演するわけだが(ライミスも一応胸像でカメオ出演しているが)、特にバスターズの立ち上げメンバーであるビル・マーレイとダン・エイクロイドは、明確に女版バスターズの"敵対者"として描かれている。まぁ、エイクロイドは単に不親切なタクシー運転手ってだけかもしれないが、マーレイに思いっ切りゴーストの存在を否定させ、バスターズもさんざコケにさせ、挙句の果てには「ざまぁ!」とばかりに殺しちゃうって、それ……どうなん? もちろん、好意的に見ればオフビートなギャグなんだろうけれど、オリジナル・ファンの筆者にはどうしても、「うちら別に自分らだけで盛り上がれるからっ! 入ってこんといてっ!!」と拒絶されているように思えちゃう。

※ライミスだって、たしかに物言わぬ胸像でのカメオだが、よくよく考えればエリンに価値観を押し付ける大学側の要人として登場しているわけで、作中の描写だけに限れば"敵対者"にも見えかねない。

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 クライマックスもオリジナルのような"全員参加型パーティー"じゃない。市民はどこ行ったか分からんし、せめてもそこにいる軍隊の人たちは、みんな眠らされちゃってて、バスターズとラスボスという"当事者"だけのバトルになっちゃってる。仮に『ゴーストバスターズ』じゃなくたって、筆者はヒーローもののクライマックスってのは群衆の目の前で、万雷の声援の中で行ってほしいと思うクチなので、これには酷くガッカリした。あと、なんせクリヘムがウザい。これは当時コメント欄で一番叱られたポイントなので、今回の復習に際してもう一度注意深く見てみたのだが、やっぱり"おもしろい!"、"カワイイ!"を補って余りあるウザさ。ポンコツでもさぁ……せめて彼がラスボスに乗っ取られる前に、実は彼もまたバスターズ同様社会のハミ出し者として苦悩していて、ゆえにバスターズの受付に応募したのだ、みたいな背景を説明してはおけなかったかな? さすれば、うちらの可愛い受付ボーイを返しな……!!というバスターズの動機にもちっと説得力が出たのに……。

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 現状だと、もう本当にバカ。ただのバカ。バカが行き過ぎて、もはやそこには人格が存在しない。ただ性別を反転させるという作り手からの要請のみによって動かされる、感情無きマリオネットだ。まぁ、実際彼はラスボスの操り人形と化すから、本当にそんな意図があるのかもしれないが……。でも、それって結局、かつて女性たちは人格を剥奪され、単なる脇役としてしか描かれなかったのだから、今度はやり返してやる!っていう復讐にしか見えないんだよな。そりゃ、逆効果ですよ。逆に女版バスターズが非道な差別主義者にも見えかねない。あとは……。直接の敵が人間になっちゃったってのは、これは一理あると思う。たしかにこれも男を悪者にする仕返しにも思えるが、そうじゃなくて、ちゃんとオリジナルの肝だった"今日的ニューヨークの恐怖"を具現化した結果であろう。1980年代は先述のとおり、街の荒廃が潜在的恐怖だった。一方、9.11以降の同作では、当然、人の手によるテロが、ニューヨーカーの"内心薄々最も起こってほしくないこと"ですよね。『ゴジラ』『シン・ゴジラ』で行われたアジャストと同様、これは時代に合わせた的確な改変だと思う。

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 前置きが長くなったが、これまでの累計3作に対する筆者のザックリした評価は、概ね以上のとおりである。さて、それでは本作だ。結論から言って筆者は大変満足であったし、筆者の実弟とその配偶者にも好評だった。要はアレですね。2021年を代表するムーヴメントであった"同窓会作品"でしたね。例えば『シン・エヴァ』とか。例えば『マトリックス:レザレクション』とか。あるいは、『ノー・ウェイ・ホーム』とか。もちろん、この三者は三様であって単純に一くくりにはできないけれど、どれも"メタな視点込みでシリーズを締め括る打ち上げ"であった。本作もそう。かつて構想されていたようなオリジナル・バスターズから新生バスターズへの交代劇……かと思いきや実は全くの逆で、若者たちにお手伝いしてもらってジジイどもがその物語をきちんと締め括る話、だった。これは良かったですねぇ。特に過去作のキャストがサプライズ的に集合する、という点で共通している『ノー・ウェイ・ホーム』と比較すると、より本作の"正しさ"が浮き彫りになる。

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 つまり、旧スパイダーマンたち(正確には旧スパイダーマンのヴィランたち)とは違い、オリジナル・バスターズにはまだ語るべき物語が残されているんだ。もちろん、物語としては一応『2』で終わっている。でもね。先述のとおり、『2』のパーティーは盛り下がっていた。ならば、あれでハッピーエンドって言われても、我々はモヤモヤしちゃう。アイツら、本当に大丈夫? なんか結局あのまま盛り下がって、解散とかなってない? そんな風に心配しちゃう。加えて、まぁあまり現実側の事情を斟酌しすぎるのはよくないが、ハロルド・ライミスとビル・マーレイが実生活で疎遠になっちゃった、なんてのも有名だしな。そこで本作ですよ。彼らはあの頃のまま、ゴーストバスターズを信じられているか? 答えは当然NO。そりゃそうだ。だって、前提として、俺たち観客が既に『ゴーストバスターズ』を信じられていないだろ? 大ヒット作の宿命として、それらは後年数多のエピゴーネンによって消費され、いつしか陳腐化してしまう。ゆえに、かつてゴーストの存在証明に挑んだバスターズが今回向き合うのは、ゴーストバスターズ自体の存在証明。言い換えれば、彼らの友情の修復である。

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 このコンセプトは本当に良いです。お話をむやみに広げるのではなく、しっかり真摯にオリジナルと向き合い、リブートというよりはいわばそっと筆を置いてみるエピローグ。または、いまだ成仏できぬ物語に真のRest in Peaceを与える完結編。そういった意味で、先述した3作の中なら『レザレクション』が雰囲気的に一番近いか。たしかに、『ストレンジャー・シングス』でお馴染みのフィン・ウルフハードくんや、『キャプテン・マーベル』(13歳のキャロル役)、『アナベル 死霊博物館』(ウォーレン夫妻の娘ジュディ)でお馴染みのマッケナ・グレイスさんがやんごとなき好演を見せているため、え〜……この子たちの新生バスターズを見せてよ〜……。ジジイ引っ込んでろよ〜……。という気持ちが全く沸かないと言えば嘘になる。特にマッケナ・グレイスのフィービーはハチャメチャ良かったな! とにかく可愛い! ほんで、始終ムキーッ!って怒ってる! 頑張れ! 頑張ってんだ。もっと頑張れ! おじさんが見守ってるよ! ってな感じで、ハートをわしづかみにされちゃった。『キャプテマ』とか『死霊博物館』に出てたなんて、後で調べなきゃ分からないくらい、ちゃんとイゴンの孫娘に見える説得力もスゴい。

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 だから、最後にウィルソンが「じゃあ……エクト1はもらってくね。」とか言い出したとき、筆者は一瞬だけ面食らった。てっきりこの最高の新生バスターズが2代目を襲名するものとばかり思っていたから。でも、たとえバスターズを継げなくとも、いや、むしろ継がなかったことで彼らは真のバスターズ的仕事を果たした、とも言える。なぜなら、ゴーストバスターズというチームの本質的な役割は、ゴースト="異常"を正し現状復帰させてやるということだったから。その"異常"ってのが、オリジナルではニューヨークの荒廃であったし、女版ならテロリズムだった。そしてもちろん、本作なら頑固ジジイの内に巣食った強がりだったりボタンの掛け違い。だから、やっぱりフィービーちゃんはちゃんと"ゴースト"を退治してるんだよ。俺たちにだって思い当たる節はあるだろ? 歳を重ねる内に、いつの間にか疎遠になってしまった大切な友人。それは間違いなく、"妖怪強がり言わせ"や"妖怪ボタン掛け違わせ"のせいなんだよな。

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 そんなジジイどもを引き合わせてやり、最後にはきちんとバスターズとしてリユニオンさせてやることで、フィービーちゃんは真の意味での"ゴーストバスターズのお仕事"をやり遂げたわけだ。翻れば警察署で彼女がレイモンドに電話するシーン。その直前、「電話かけさせて。」と頼む彼女に保安官がいかにもなタメを作って「Who you gonna call?」って問うところは、一見してオリジナルのテーマ・ソングから引用した単なる小ネタのお遊びである。保安官もちょっとニヤついてるやん。でも、よくよく考えると、実はあの電話は、フィービーちゃんがオリジナル・バスターズに助けを求めるものであったと同時に、逆にオリジナル・バスターズにとっても救いの電話だったんだよな。あの電話があったからレイモンドはイゴンの死を知ることができ、最終的にリユニオンからの和解、そして再結成が実現したわけだから。これ一つ取っても、本作がただの冷やかし続編ではなく、真摯にオリジナルと向き合った良作であることが分かる。

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 あとこれはかなり邪推だけど、バスターズを継承させなかった展開は、昨今の陰謀論問題が多少なりとも影響していたりするのだろうか。今回はニューヨークが舞台ではないけれど、『ゴーストバスターズ』が常にその時々の潜在的恐怖と戦ってきたとするなら、昨今のアメリカにおけるそれは、間違いなくQアノンに代表される陰謀論だ。『レザレクション』なんかはモロにこの点を強く意識して作られた作品だった。たしかに、『ゴーストバスターズ』は『マトリックス』ほど大々的に陰謀論者に利用されてはいないと思うが、でも、世間が誰も信じていない某かの存在を声高に主張するマイノリティが、最終的にはその実在を証明し、政府に「ごめんなさい……。」させて「ざまぁっ!」する話って、取りようによってはかなり陰謀論チックになり得る。だから、そういう"負の遺産"は次の世代に継承させなかったのかもしれない。もちろん、バスターズの存在自体を否定するわけでは決してないだろうが、あんなにラストで「ごめんなさい……。」すべき前フリがあった黒人保安官にあえてそうさせないという描写(のオミット)を見ると、ちょっと勘繰りたくなる。

※そうそう、ポッドキャストっていうのも、"陰謀論映画頻出アイテム"である。『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』でも"陰謀論者"はポッドキャストを用いて"真実"を訴えていた。

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 あと、役者陣は誰も彼も彼女もすごく良かったですね。マッケナさんは先述のとおり最高に最高だし、ウルフハードくんもこれまでとは違うドボンクラなキャラが、フレッシュだがちゃんと板についている。ポール・ラッドは相変わらず最高にキュートでボンクラだし、フィービーとトレヴァーの母親キャリーを演じたキャリー・クーンさんもとっても良かった。『インフィニティ・ウォー』でプロキシマ・ミッドナイトを演じていたらしく、ポール・ラッドとはアベンジャーズ繋がりなんだな。彼女はブリブリゴージャスって感じでは決してないが、デートのためにおめかししたときはちゃんと美人……というかまぁ、この場合美醜は関係ないから……ちゃんと華やいで見える。オリジナルの面々も良かった。ビル・マーレイは結構シワクチャだから一瞬ギョッとするけど、イゴンのゴーストと横並びになったときの二度見リアクションとかは、やっぱり往年のビル・マーレイ感。特に二度見てクギヅケ……ではなく、二度見てまた前方に目線を戻す(しかも、真顔のまま)っていうオフビート感が、最高にビル・マーレイって感じでしたね。

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 ポスト・クレジット(ミッド・クレジットだったっけ?)でヴェンクマンとディナ、つまり、ビル・マーレイとシガニー・ウィーバーがイチャイチャするシーンもとっても良かった。これは当然、記念すべき一作目のタイトル後にヴェンクマンが学生に対してやっていたインチキ超能力実験の再現。まだまだ現役なウィーバーとの対比でマーレイがなおさらシワクチャに見えちゃうんだけど、でも全然微笑ましい。最後にディナが「まだまだ使えるじゃない。」って言って締めというのも、バスターズや世のあまねくジジイへのエールにも思え、優しい読後感。それから、2016年の胸像に続き、今度はフルCGでカムバックしたハロルド・ライミスも、筆者はありだと思った。『ローグ・ワン』とか、『ジェミニマン』とか、『アイリッシュマン』とか、昨今のハリウッドは、主に若返らせ方向で役者のビジュアルを作っちゃってて、これには賛否あると思う。ましてや、今回は既に他界している役者を冥府から引き釣り出すのだから、これは中々ナイーブな問題だ。でも、少なくとも『ゴーストバスターズ』ならOKだよな。ゴーストの存在、ゴーストの力こそ、彼らが命をかけて証明したものなのだから。

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 あとは、既にちょこちょこ話題には出してるけれど、クライマックス・バトルはすごく良かった。たしかに、筆者が思うヒーロー映画、または『ゴーストバスターズ』の肝である、民衆の声援を受けてのバトルではない。しかし、本作に限ってはコンセプト的にOKだ。本作のクライマックス・バトルが提示するメッセージは、他者との繋がりの大切さ、であろう。アヴァンで一人ゴーザ討伐戦に挑むも、敗北してしまうイゴン。しかし、今度は違う。娘が、孫たちが、その友人たちが、そして、かつての同志たちが。一人でモンモンと抱え込まず、対話と寛容な心で団結すれば、打ち勝てないものなどない。このことが、その場の全員が漏れなく役割を果たす、という展開で極めて映画的に論じられていたのが本当に良かった。ここは、「役立たずのモブなんていねぇから!」というメッセージが、民衆を排したことでよりソリッドになっていたと思う。特に筆者としては、トレヴァーの一撃に感動しました。彼がミニマシュマロマンの妨害で失敗するくだりでは、「まぁた、女尊男卑かよぉ……。」と肝を冷やしたが、全然そんなことはなかった。むしろ、イゴン敗北の決定的ポイントをカバーしたトレヴァーは、クライマックスにおけるMVPと言っていい。

※この"我々の真の武器は他者との繋がりの中にある"というメッセージは、『マトリックス:レザレクション』と同じですね。やっぱり総じて"『レザレクション』的続編"と称していいのではないか。まぁ、アッチじゃ本作の方が公開が早いから、『レザレクション』を"『アフターライフ』的続編"と呼び習わすべきか……。

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 あとは、ゴーストたち。クライマックスでドバーッ!と町を襲う彼らはちょっと量も質も物足りない感があったけれど、その代わり本作で大活躍する2体、鉄を食いまくるアイツとミニマシュマロマンは、中々良かったと思う。まず鉄を食いまくるアイツ(名前なんていうのかな?)。立ち位置としてはオリジナルのアグリー・リトル・スパッドに相当する"初邂逅ゴーストポジ"であり、また数多のゴーストを代表する"アイコン的ポジ"でもある。コイツが鉄ばかり食うのは、やっぱりコレクトネスへの配慮なのかな? 正確には、グリーンみたいにただ食いしん坊なだけだと、今のご時世、「彼はただ生きているのです! そんな彼を問答無用で捕獲するのは、明確な"霊権侵害"です!」と騒ぎ出す輩が現れかねない。そこで、捕獲もやむなしな攻撃力をまず設定し、そこから逆算して鉄を食うという偏食家なキャラになったのかな、と邪推する。まぁ、何も堅苦しいコレクトネスばかりではなく、コイツと"協力"することでフィービーたちはプロトン・パックの回収に成功するわけだから、彼もまた"他者との繋がり"を象徴する重要キャラであることは間違いない。

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 もう一体(群体)のミニマシュマロマン。彼らも良かった。『ゴーストバスターズ』シリーズではクライマックスで巨大な何かが街を闊歩する、という展開がお決まりだが、本作では巨大マスコットが登場しない。その代わり、一作目で数多の観客の度肝を抜いたマシュマロマンが、ミニミニサイズで、かつ大量に暴れまわる。コイツらがモールで繰り広げる"セルフ・ジェノサイド"は、しっかりとマシュマロマンの本質を捉えていると思った。つまり、宇多丸師匠が言っていたように、一作目のマシュマロマンの本質とは、"一見可愛いけど実は怖い"という点である。2016年版はマシュマロマンの代わりにバスターズのロゴが巨大化するが、彼はハナから怖い顔で暴れまわるため、この本質を外していた。しかし、本作のミニズは、一見可愛く見えてしっかり怖い。おもしろいのは、怖いと言ってもこちらへの物理的危害という意味ではなく、嬉々としてミキサーに"投身自殺"したり、コンロで"焼身自殺"したりする彼らの残虐なノリが怖い、という点だ。もちろん、彼らはゴーストだからグチャグチャになっても黒焦げになっても死ぬわけではない。ゆえに、これもコレクトネスにしっかり配慮し、しかし、その裏をかいた楽しいグロシーンである。

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 そんな感じで、個人的には全体のコンセプトから細部のディティールまですごく楽しめた。とはいえ、実は若干の不満もあるので、最後にそれらを少し書いて終わる。まずこれは自分の中でも賛否別れている点だが、"フィービーちゃんの家庭、悲壮感あんまりない問題"。たしかに、彼女ら一家はアパートを追い出されるほど極貧で、子供らはアンテナも一本しか立たない田舎町に強制移住させられ、お母さんは自分の人生が無いほど家事・育児・仕事に忙殺されている、ということは、セリフの端々から伝わる。しかし、彼女らがそんな苦境にも常に勇気とユーモアで立ち向かうあまりにも良い家族なため、設定が本来伝えたいほどの悲壮感が伝わっていないと感じた。この親子は、実はしっかりコミュニケーションも取れてるんだよな。「じゃあ、私の人生は?!」ってお母さんがキレたときにトレヴァーが「てめぇの人生は俺ら子供のためにあんだろ!」と言い返すシーンも、別にギクシャクした感じじゃなくて、あー……子供が気ぃ遣わんとそういうこと言える関係って良いね。って、筆者なんかは思っちゃった。まぁ、本作の主題的に彼らの悲壮感を濃厚に描く必要はないかもしれないが、例えばフード理論的に考えれば、どこかでクッソマズそうな貧乏飯のシーンを一つ入れておけば、わー……こんな生活いやだー……。ってなったように思う。

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 あと、民衆の声援を受けたクライマックスは無理でも、せめて黒人保安官がついにゴーストの実在と世界の危機を知り、「すまなかった……。この世界には、君たち"ゴーストバスターズ"が必要だ……。 保管庫の鍵ガチャー。「これは君たちの物だ。頼む……。世界を……娘を救ってくれ……!っていう"ざまぁ展開"が個人的には欲しかった気もする。とはいえ、先述のとおり、"新たな世代に背負わせない"という意図があるなら、むしろ彼があえて「ごめんなさい……。」しないことにこそ意味があるのだろう。しかし、仮にそうだとすると、いや借金は背負わすんかいっ!という別の問題が気になってくる。借金ってのは、もちろんイゴンから娘及び孫が相続した借金ですね。プラスの資産はゼロで借金だけたんまりある、しかも、ひょっとしたら金になるかもしれないバスターズのガジェットたちは、その他ジジイたちが持ち去ってしまった。これは……。フィービーたち、特にお母さんがすっごい可哀想。借金の件を知ったらポール・ラッドも逃げていったりして……。極貧に追い打ちをかける借金まで押し付けられても、それでも家族の和解こそがハッピーエンドでしょ?って、そりゃちょっと綺麗事が過ぎるようにも思えちゃう。

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 あとイゴン周りで言うと、やはり家族及びオリジナル・バスターズに対するイゴンからの謝罪が欲しかった。現状だと、家族に対しては一応熱い抱擁があるものの、オリジナル・バスターズに対してはレイモンドからイゴンへの「ごめんな、信じてやれなくて。」という謝罪があり、イゴンが「いいさ。すんだことだよ。」とでも言いたげな表情を浮かべる、という描写に留まっていたように記憶している。たしかに、家族との確執については、地下室の写真なんかでイゴンの真意がちゃんと表現されてはいる。また制作上の判断として、CGによるハロルド・ライミスの外見的蘇生はOKでも肉声をでっち上げるのはさすがに……。という側面があったのだと理解できる。しかし、他者との繋がりの大切さ、そのための他者との真摯な向き合い方をテーマとする本作においては、ちゃんと双方が腹を割って話す、という描写が不可欠であったと筆者は考える。だって、イゴンも悪いよ。作中の描写から推察するに、たしかに周りの理解不足もあったとはいえ、彼は腹を割ったコミュニケーションを放棄して引きこもったのだから。ゆえに、ラストでは、たとえ肉声は無理だとしても、フィービーちゃんとチェスでそうしたような音声以外での双方向なコミュニケーションがあれば、より納得度が高まったと思う。

点数:82/100点
 2021年の大作シーンを象徴する"同窓会作品"、"筆置きエピローグ作品"、はたまた"Rest in peace作品"の一つとして、こじんまりと、しかし見事にシリーズを締め括った良続編。"映画の連続ドラマ化"が推し進められ、いつまでも終わることのないシネマティック・ユニバース作品が乱立する昨今、本作のようにきちんと引導を渡してあげる完結編は、シリーズとの向き合い方という点でMCUとはまた違った真摯さがあり、筆者は大きな好感を持った。『ジュラシック・ワールド』とかどうなるんだろうな……。一応完結編っぽいけど、『新たなる支配者』っていうどこか『スター・ウォーズ』チックな邦副題を聞くと、とりあえず9作目までやるつもりなんじゃ……。とか思っちゃう。もちろん、筆者はMCU的なやり口を頭ごなしに否定するつもりはない。これはこれで映画シリーズの新たなるスタイルだし、実弟の妻なんかは一ヶ月くらい前から猛然と復習を始め、既にインフィニティー・サーガを踏破したらしい。それくらい、いつもどこかで誰かが夢中になっているんだ。とはいえ、特に自身の思い入れあるシリーズのリブートなんかは、晩節を汚さぬようある程度のところでしっかり引導を渡してほしいというのが、偽らざるファン心理。『ジュラパ』を始め、あたかもゴーストのようにこれから蘇生されるであろう全ての"物語"が、本作のようにRest in peace...な最期を迎えることを、筆者は願ってやまない。

(鑑賞日:2021.2.18)
(劇場:TOHOシネマズ梅田)


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